三十路アイドルはじめます
「ええ! 流石に一時の感情で行動するのは、やめた方が良いと思いますよ。失恋したからって尼寺にでも行くつもりですか? すぐに、新しい彼氏ができそうですけどね。ほら、美人さんだからショートが似合いますね」

 気がつけば私はバッサリショートカットになっていた。
 ちなみに、私は彼氏なんて2度と作る気はない。

 そして、美容師が急に掃除機のようなもので頭を吸い取ってくる。

「ちょっと、何するんですか?」
「こういうところ初めて来るんでしょ。カットした後、こうやって切った髪を吸い取るんですよ」

 私はあまりの出来事にひとしきり笑った後、なぜか涙が出てきてしまって慌てて店を後にした。
(三十路にもなって人前で泣くのだけは嫌だ)

 店を出ると、渋谷さんが心配そうに私を待っていて驚いてしまった。

 私が思わず泣いている顔を隠すと、急に抱きしめられた。

「僕にできること見つけました。今、顔を人に見られたくないんですね。このまま梨田さんを家までお送りするので、顔は見られませんよ。僕も見ないから安心してください」

 私は彼の胸元に顔を押し付けさせられたまま、また車に乗せられた。

「はあ、惨めですね。実は今日、プロポーズされると思って気合いそ入れて髪を巻いてたんです。セットした髪を見ていられなくて切っちゃいました」

「巻き髪も素敵でしたが、今のショート姿はもっと魅力的ですよ」

 渋谷さんはそう一言声をかけて来ただけで、後は私に話し掛けてこないでくれた。

 私は声を押し殺して彼の胸で泣いた。

「到着しましたよ。梨田さん」

顔を上げると、優しそうな顔で渋谷さんは私を見ていた。

 私は彼の高そうなスーツに私の涙や鼻水がついていることに驚愕した。

(せめて、白衣なら洗濯できそうだったのに、これは確実にクリーニングだよな)

「送って頂きありがとうございます。これは、クリーニング代です。ご迷惑お掛けしました」

 私は渋谷さんに1万円を渡すと引き止める彼を置いてマンションの中に走って入った。
(きっと、セレブのクリーニングは1万円くらいかかるはずだわ!)

 本当は「お礼にお茶でも」とか言って部屋に招いたりする流れだったと分かっている。

 しかし、私は彼との関係はここで終わりにしたかった。
 私の1番情けない姿を見せた人。

 もう、関わりたくないし、会うこともないだろう。


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