三十路アイドルはじめます
「私は、もう富田雅紀さんのことは好きじゃないので、ルナさんとお腹の子を大事にしてください。私はこれで失礼します」

 私がその場を立ち去ろうとすると、渋谷院長が私の肩に手をそっと添えてきてアイコンタクトをとってきた。

 私はイケメン院長に自分の恥ずかしい場面を見られていたのが嫌で、早くこの場を立ち去りたかった。

「雅紀、私と離婚して⋯⋯この子は私、1人で育てるわ」
 冷めたような声で静かに言うルナに驚いてしまった。
 私の会社で大暴れしていた時とは別人のように落ち着いている。

「ルナ! 何を怒っているんだ? そんな顔しているとお腹の子がママ怖いってなっちゃうぞ」
「お前、ふざけるなよ。日本は一夫多妻制じゃないんだよ」
 ルナは静かに雅紀の胸ぐらを掴んで低い声で言った。

「なんか、ヒートアップしてきそうだから、俺たちはもう行こうか」
 耳元で渋谷院長に囁かれ、私はビクッとしてしまった。
(なんか、この人イケメンな上に声が良すぎない? 院長を辞めても声優になれそう⋯⋯)

「あの、私、もう帰るんで⋯⋯」
「家まで送るよ、うちの研修医が迷惑かけたみたいだし」
 イケメンでイケボの若き院長が手を挙げると送迎車がきた。

 彼は慣れた手つきで私を運転席後ろの後部座席に乗せて、自分も白衣を脱いで隣に座る。

 私はその様子を映画でも見るように見ていた。
 ハイスペイケメンに優しくされて、ときめいても良いはずなのに私の心は静かに冷めている。
 この時、私はもう心に決めていた。

 もう、一生誰も好きにならないし、誰との未来も夢に見ないことを。
< 9 / 95 >

この作品をシェア

pagetop