愛を教えて、キミ色に染めて【完】
 雷斗の運転する車の中、初めこそ緊張していた円香は徐々に慣れてきたのか自然と口数が増えつつあった。

「ところで早瀬さん、今は何処へ向かってるんですか?」
「知りたい?」
「はい、知りたいです」
「そうだなぁ、それじゃあ、その『早瀬さん』っていうの止めてくれたら教えてもいいよ?」
「え?」
「名前で呼んで欲しいって事。駄目かな?」
「え……っと……その……」

 他愛の無い会話の中で突然名前で呼ぶよう提案された円香は言葉を詰まらせる。

 名前くらい……とは思うものの異性との付き合いは伊織だけで、伊織の名前を呼ぶ時でさえ緊張した円香にとってそれは難易度の高い提案だった。

「ごめんごめん、そんなに悩むとは思わなかったよ。無理にって訳じゃないから気にしないでいいよ。今はね、海に向かってるよ」
「海に?」
「悩みがある時とか、考えたい事がある時って、たまに行くんだよね、俺」
「そうなんですね。私は海自体あまり行かないです」
「まあ車じゃないと遠いもんね」
「そうですね。でも海、良いですね。潮風が気持ちよさそうです」
「そうそう、それが良いんだよ。まあ、今は冬だから寒いけどね」
「確かに」

 口数は増えていたけど表情はどこか暗いままだった円香。

 しかし雷斗の気遣いのおかげか、円香自身も気付かないうちに表情には明るさが戻っていた。

「やっぱり少し肌寒いねぇ」
「はい。だけど、潮風が気持ちいいです」

 海岸に着いた二人は車を降りて砂浜を歩きながら潮風を感じ、景色を堪能する。

 冬の海なので人の姿はほぼなくて、波の音が聞こえてくるだけの静けさが今の円香には丁度良かった。

(……伊織さん、何してるかな……。海、一緒に来たかったな)

 初めての彼氏である伊織とはあまり会えないし、基本どこかへ出掛ける事も無かったけれど、仕事が落ち着いたらデートが出来るかもしれないと密かに楽しみにしていた。

 だけど、場所なんて重要ではなくて、伊織と一緒に居られさえすれば幸せだった。

 それなのに、今はそれすら出来ない状況にいる事がたまらなく淋しいのだ。

「……円香ちゃん」

 昨日、雷斗が伊織に言った『俺が彼女を貰う』発言は、本気だった。
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