追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
141.交差する悩み事
翌日の昼下がりのこと。
フレイヤはコルティノーヴィス香水工房の調香室で、試香紙を片手に、魔獣の革手袋に使用する香りを考えていた。
調香台の上には、青地に白色の装飾が施された木の箱が置かれている。
これは、シルヴェリオから貰った、魔獣の革手袋保管用の魔道具だ。
元々は魔力を放つ魔道具や魔石の魔力が周囲に影響を与えないように保管するための道具らしいが、臭いに対しても同じような効果を発揮する。
だから、この箱の中に入れている間は、革手袋の臭いが周囲に広がることはない。
(う~ん……全然しっくりこない)
フレイヤはもう一度、先ほど考えた香りの組み合わせの香りを纏う試香紙と魔獣の革手袋を併せて、同時に臭いを嗅ぐ。
途端に、何とも形容しがたい強烈な臭いがして、思わずうめき声を上げた。
あまりにもひどい臭いだったため、うっすらと涙が浮かぶ。
「副工房長、大丈夫?」
涙を拭っていると、アレッシアが声をかけてくれた。
「はい、ちょっとだけ臭いに圧倒されていました」
「その革手袋、独特な臭いだものね。――ところで、既存商品の生産が終わったから、箱に入れて出入り口前に置いたわよ」
「ありがとうございます。それでは、シルヴェリオ様が来たら魔法を付与してもらいますね」
建国祭の翌日、コルティノーヴィス香水工房にきたシルヴェリオから、香水の製造に関して新しい方針の説明があった。
今後は他の工房との差別化を図るために、仕上げに香水の中にキラキラとしたラメのようなものを魔法で入れることになったのだ。
差別化を図るということは建前で、本当はフレイヤの魔力を隠すためのものらしい。
オルメキア王国の第一王女であるラグナがフレイヤの魔力が悪用されることを危惧して、提案してくれたそうだ。
仕上げの魔法は全てシルヴェリオが担うことになったため、作り終えた香水はシルヴェリオに魔法をかけてもらうまでの間、調香室に保管している。
「生産が終わったから、今から新作の調香に取り掛かるわね」
「よろしくお願いします。アレッシアさんが作る新作、とても楽しみです!」
コルティノーヴィス香水工房の通常販売商品の新作を、アレッシアに頼んでいる。
その新作は、調香師に復帰したアレッシアのデビュー作となるのだ。
「も、もうっ! そんなことを言われたら、プレッシャーになるわ!」
アレッシアは咎めるように言うものの、表情は嬉しそうだ。
「それにしても、魔獣の革手袋の臭いはすごいわね。鞣し方の違いが影響しているのでしょうけど、動物で作られたものとは違った臭さがあるのね」
「すみません、アレッシアさんの調香の妨げになりますよね。別室で調香した方がいいかもしれません」
「調香台同士が離れているから、全く臭わないわ。だから、気にしないでちょうだい」
革手袋の香りがアレッシアの仕事の妨げにはなっていないようで、フレイヤは安堵した。
実を言うと、魔道具の箱の中から革手袋を取り出す度に、アレッシアの調香台にまで臭いが広がっているのではないかと、不安だったのだ。
「どんな香りにするつもりなの?」
「う~ん……貴婦人用の手袋なので、華やかさのあるバラを軸にした香りを考えていたのですが……どうも革手袋の臭いとの相性が悪いので、別の花にしようと思っています」
「そうね、濃厚で華やかな香りと合わせると、臭い同士が喧嘩してしまいそうだわ」
「ただ、控えめな香りの花だと、革手袋が持つ苦みのある臭いに負けてしまうんですよね……」
「いっそのこと、柑橘系の香りに振るのはどう? 苦みのある柑橘系の精油があるくらいだから、相性がいいかもしれないわ」
「たしかに、男性用の香水では苦みのある柑橘系の香水と青葉の香りを組み合わせることが多いですものね」
調香室の扉を叩く音が聞こえてきた。
フレイヤが「どうぞ」と返事をすると、扉が開き、にっこりと笑みを浮かべたリベラトーレが姿を現す。
リベラトーレは手に大きなバスケットを持っており、バスケットからは甘いお菓子の香りが漂う。
フレイヤは鼻をくんくんと動かして匂いを嗅ぐと、うっとりとした顔になった。
「フレイヤちゃ~ん、今日のおやつを持ってきたよ~」
「リベラトーレさん、いつもありがとうございます!」
フレイヤとシルヴェリオの間で交わされた福利厚生の一つであるおやつは、シルヴェリオかコルティノーヴィス伯爵家の使用人、もしくはリベラトーレが持って来てくれる。
リベラトーレが持って来てくれるときは工房の視察も兼ねているため、フレイヤは直近の売り上げ状況などを報告するのだ。
「それでは、さっそく報告を始めますね」
「あはは、お菓子を見て喜んでいるフレイヤちゃんに‶待て〟なんてさせたくないよ。アレッシアちゃんも一緒に、先にお茶にしよう」
今日のお菓子が気になっていたフレイヤの目が、キラキラと輝く。
そんなフレイヤを見て、リベラトーレは口元に笑みを浮かべる。
「お菓子でこんなにも喜ぶなんて、フレイヤちゃんは可愛いねぇ~」
リベラトーレがフレイヤの頭を撫でようとした時、背後からぬっと現れた手がリベラトーレの腕を掴んだ。
その手は、魔導士団の制服である漆黒の外套を纏っている。
もしやと思ったフレイヤが振り返ると、そこには圧力を感じさせる眼差しをリベラトーレに向けるシルヴェリオがいた。
「リベラトーレ、命が惜しくないようだな。フレイさんに気安く触れるな」
「ひいっ! 申し訳ございません!」
シルヴェリオに腕を握られたまま、リベラトーレはブルブルと震えた。
部屋の空気がぴんと張り詰めている。
その空気に耐え切れなくなったフレイヤは、思い切ってシルヴェリオに話しかけた。
「シルヴェリオ様、今日は早いですね。魔導士のお仕事はもう終わったのですか?」
「……ああ。昨日急に決まったことだが、実家の事で姉上と話すことがあるから、早めに切り上げさせてもらったんだ。話は夜まで続きそうだから、今日は早めにここに立ち寄った」
シルヴェリオはリベラトーレからバスケットを取り上げると、フレイヤに手渡す。
「明日、その菓子の感想を聞かせてくれ」
微笑みを浮かべるシルヴェリオだが、彼の深い青色の目には、どこか思いつめたような気配があった。
(シルヴェリオ様……?)
何かあったのだろうか。
心配になったフレイヤは声をかけようとしたが、自分が踏み込んで良いのかわからず、躊躇ってしまう。
そうして、リベラトーレを連れて調香室を出ていくシルヴェリオを見送った。
フレイヤはコルティノーヴィス香水工房の調香室で、試香紙を片手に、魔獣の革手袋に使用する香りを考えていた。
調香台の上には、青地に白色の装飾が施された木の箱が置かれている。
これは、シルヴェリオから貰った、魔獣の革手袋保管用の魔道具だ。
元々は魔力を放つ魔道具や魔石の魔力が周囲に影響を与えないように保管するための道具らしいが、臭いに対しても同じような効果を発揮する。
だから、この箱の中に入れている間は、革手袋の臭いが周囲に広がることはない。
(う~ん……全然しっくりこない)
フレイヤはもう一度、先ほど考えた香りの組み合わせの香りを纏う試香紙と魔獣の革手袋を併せて、同時に臭いを嗅ぐ。
途端に、何とも形容しがたい強烈な臭いがして、思わずうめき声を上げた。
あまりにもひどい臭いだったため、うっすらと涙が浮かぶ。
「副工房長、大丈夫?」
涙を拭っていると、アレッシアが声をかけてくれた。
「はい、ちょっとだけ臭いに圧倒されていました」
「その革手袋、独特な臭いだものね。――ところで、既存商品の生産が終わったから、箱に入れて出入り口前に置いたわよ」
「ありがとうございます。それでは、シルヴェリオ様が来たら魔法を付与してもらいますね」
建国祭の翌日、コルティノーヴィス香水工房にきたシルヴェリオから、香水の製造に関して新しい方針の説明があった。
今後は他の工房との差別化を図るために、仕上げに香水の中にキラキラとしたラメのようなものを魔法で入れることになったのだ。
差別化を図るということは建前で、本当はフレイヤの魔力を隠すためのものらしい。
オルメキア王国の第一王女であるラグナがフレイヤの魔力が悪用されることを危惧して、提案してくれたそうだ。
仕上げの魔法は全てシルヴェリオが担うことになったため、作り終えた香水はシルヴェリオに魔法をかけてもらうまでの間、調香室に保管している。
「生産が終わったから、今から新作の調香に取り掛かるわね」
「よろしくお願いします。アレッシアさんが作る新作、とても楽しみです!」
コルティノーヴィス香水工房の通常販売商品の新作を、アレッシアに頼んでいる。
その新作は、調香師に復帰したアレッシアのデビュー作となるのだ。
「も、もうっ! そんなことを言われたら、プレッシャーになるわ!」
アレッシアは咎めるように言うものの、表情は嬉しそうだ。
「それにしても、魔獣の革手袋の臭いはすごいわね。鞣し方の違いが影響しているのでしょうけど、動物で作られたものとは違った臭さがあるのね」
「すみません、アレッシアさんの調香の妨げになりますよね。別室で調香した方がいいかもしれません」
「調香台同士が離れているから、全く臭わないわ。だから、気にしないでちょうだい」
革手袋の香りがアレッシアの仕事の妨げにはなっていないようで、フレイヤは安堵した。
実を言うと、魔道具の箱の中から革手袋を取り出す度に、アレッシアの調香台にまで臭いが広がっているのではないかと、不安だったのだ。
「どんな香りにするつもりなの?」
「う~ん……貴婦人用の手袋なので、華やかさのあるバラを軸にした香りを考えていたのですが……どうも革手袋の臭いとの相性が悪いので、別の花にしようと思っています」
「そうね、濃厚で華やかな香りと合わせると、臭い同士が喧嘩してしまいそうだわ」
「ただ、控えめな香りの花だと、革手袋が持つ苦みのある臭いに負けてしまうんですよね……」
「いっそのこと、柑橘系の香りに振るのはどう? 苦みのある柑橘系の精油があるくらいだから、相性がいいかもしれないわ」
「たしかに、男性用の香水では苦みのある柑橘系の香水と青葉の香りを組み合わせることが多いですものね」
調香室の扉を叩く音が聞こえてきた。
フレイヤが「どうぞ」と返事をすると、扉が開き、にっこりと笑みを浮かべたリベラトーレが姿を現す。
リベラトーレは手に大きなバスケットを持っており、バスケットからは甘いお菓子の香りが漂う。
フレイヤは鼻をくんくんと動かして匂いを嗅ぐと、うっとりとした顔になった。
「フレイヤちゃ~ん、今日のおやつを持ってきたよ~」
「リベラトーレさん、いつもありがとうございます!」
フレイヤとシルヴェリオの間で交わされた福利厚生の一つであるおやつは、シルヴェリオかコルティノーヴィス伯爵家の使用人、もしくはリベラトーレが持って来てくれる。
リベラトーレが持って来てくれるときは工房の視察も兼ねているため、フレイヤは直近の売り上げ状況などを報告するのだ。
「それでは、さっそく報告を始めますね」
「あはは、お菓子を見て喜んでいるフレイヤちゃんに‶待て〟なんてさせたくないよ。アレッシアちゃんも一緒に、先にお茶にしよう」
今日のお菓子が気になっていたフレイヤの目が、キラキラと輝く。
そんなフレイヤを見て、リベラトーレは口元に笑みを浮かべる。
「お菓子でこんなにも喜ぶなんて、フレイヤちゃんは可愛いねぇ~」
リベラトーレがフレイヤの頭を撫でようとした時、背後からぬっと現れた手がリベラトーレの腕を掴んだ。
その手は、魔導士団の制服である漆黒の外套を纏っている。
もしやと思ったフレイヤが振り返ると、そこには圧力を感じさせる眼差しをリベラトーレに向けるシルヴェリオがいた。
「リベラトーレ、命が惜しくないようだな。フレイさんに気安く触れるな」
「ひいっ! 申し訳ございません!」
シルヴェリオに腕を握られたまま、リベラトーレはブルブルと震えた。
部屋の空気がぴんと張り詰めている。
その空気に耐え切れなくなったフレイヤは、思い切ってシルヴェリオに話しかけた。
「シルヴェリオ様、今日は早いですね。魔導士のお仕事はもう終わったのですか?」
「……ああ。昨日急に決まったことだが、実家の事で姉上と話すことがあるから、早めに切り上げさせてもらったんだ。話は夜まで続きそうだから、今日は早めにここに立ち寄った」
シルヴェリオはリベラトーレからバスケットを取り上げると、フレイヤに手渡す。
「明日、その菓子の感想を聞かせてくれ」
微笑みを浮かべるシルヴェリオだが、彼の深い青色の目には、どこか思いつめたような気配があった。
(シルヴェリオ様……?)
何かあったのだろうか。
心配になったフレイヤは声をかけようとしたが、自分が踏み込んで良いのかわからず、躊躇ってしまう。
そうして、リベラトーレを連れて調香室を出ていくシルヴェリオを見送った。


