追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
142.姉の困った忠犬
***
コルティノーヴィス香水工房を出たシルヴェリオは、表情を硬くした。
停車していた馬車に乗り込むや否や、「姉上の具合は?」とリベラトーレに問う。
「手のしびれが残っているようですが、何事もなかったかのように働いています。昨夜、看病している間も、急激な体調の悪化はありませんでしたよ~」
「……周囲に不調を悟られないよう、無理をされているようだな」
「ええ、一部の家臣や親族たちが今回の事件を受けて、ヴェーラ様の健康状態が当主としての職務遂行が困難だと言いがかりをつけて横槍をいれてきそうですのでねぇ~」
「相変わらず、性根が腐った連中が残っているようだな」
シルヴェリオは深く溜息を吐いた。
今から屋敷に行くのは、ただコルティノーヴィス伯爵家の話をするためだけではない。
ヴェーラの見舞いと――彼女に毒を盛った人物を調査するためである。
というのも、昨日の夜、ヴェーラが執務室で血を吐いてしまったのだ。
リベラトーレはすぐさま司祭を手配し、執事頭に指示して使用人たちを屋敷から出さないようにした。
ヴェーラの食事に毒を盛った犯人が逃げないようにするためだ。
「昨夜から、信頼できる者――コルティノーヴィス伯爵家の騎士団長と執事頭に侍女長と一緒に使用人を一人ずつ取り調べをしています。直近二週間の行動を聞き、他の使用人たちにも聞き込みをすることで、嘘をついていないか確認しているところです」
「その間、リベラトーレは姉上の看病もしていたのだろう? いろいろと負担をかけてしまったな」
「ヴェーラ様のためになることが私の喜びですから、このくらいどうってことありませんよ~」
リベラトーレはにっこりと笑みを浮かべる。
しかし、彼は微かに剣呑な気配を纏い始めた。
「司祭が解毒してくれましたが……どうやら今までに少量ずつ毒を摂取していたようで、お体が弱っているようです。ヴェーラ様を――私の女神を害したことを、必ずや後悔させてやらなけれなればなりませんねぇ」
穏やかな声だが、怒りや恨みが込められている。
ヴェーラが全てであるリベラトーレにとって、今回の事件は非常に許しがたいものなのだ。
犯人には、生きていることを後悔するほどの地獄が待っているだろう。
シルヴェリオは密かに予想するのだった。
「犯人の目星はついているのか?」
「先代当主の親戚筋だと予測しています。このところ、どうも不穏な動きをしているんですよぉ」
「……そうか」
シルヴェリオは苦虫を嚙み潰したような顔になる。
自分でも気づかないうちに、膝の上に置いていた手を強く握りしめていた。
(姉上には助けられているのに、俺は姉上が危機に晒されていることを知らなかった……)
不義の子である自分はコルティノーヴィス伯爵家に関わらない方がいい。
そう思って離れていたが、本当にこれでいいのだろうかと疑念を抱く。
「先代当主に媚びを売って甘い汁を啜っていた者たちが、ヴェーラ様が当主になってから恩恵を断ち切られて不服に思っているようです。そこで、ヴェーラ様を葬り去って新しい当主を擁立し、再び己の懐を温めようとしているのでしょう」
「まったく……己の利益しか考えられない者ばかりだな」
先代当主――シルヴェリオの父親が生きていた頃から、コルティノーヴィス伯爵家の一部の家臣や親族には良い感情を抱いていない。
彼らはシルヴェリオの父親を傀儡にし、弱っていく義母を嘲笑い、ヴェーラを操り人形にしようと目論んでいたのだ。
しかしヴェーラが利発で自分たちの思うように扱えないとわかると、今度はシルヴェリオに近づく者もいた。
幸にもシルヴェリオが継承権を放棄した事で、その者たちはシルヴェリオから手を引いたのだが。
「姉上の未婚をとやかく言う連中の相手もしなければならないから、姉上は双方の対応で気苦労が耐えないだろう。とはいえ、少しでも俺が当主の仕事に介入すれば、俺を忌避する家臣たちが黙ってはいないから、逆に姉上に負担をかけてしまう。……口惜しいな」
「ええ、彼らは未だにシルヴェリオ様が当主の座を狙っているのではと警戒なさっていますから、難癖をつけてきそうですね~」
コルティノーヴィス伯爵家の家臣や傍系筋の貴族家の中には、未だにシルヴェリオが当主になることを懸念している者たちがいる。
シルヴェリオの産みの母親が先代当主を利用して贅沢三昧していたため、その子どもであるシルヴェリオもコルティノーヴィス伯爵家の財産を狙っているのではないかと警戒しているのだ。
そのようなつもりは毛頭ないから、シルヴェリオは継承権を破棄し、ヴェーラから男爵位を譲ると言われても断り、屋敷を離れて魔導士としての道を進んだというのに。
「少しでも煩わしい連中を黙らせるには、姉上が婿をとるしかないだろうな。そうすれば、仕事を分散もできて姉上の負担が減るだろうし」
ぽつりと呟いた途端、馬車の中の空気が張りつめた。
シルヴェリオは、向かい側の席に腰かけているリベラトーレから、ただならぬ冷気を感じる。
「シルヴェリオ様、まさか婿の候補がおありで~?」
「いいや、今のところはいないな。……むしろ、誰かさんのせいでいなくなったと言うべきか」
ヴェーラはエイレーネ王国の貴族の世界で、行き遅れに分類される。
原因はリベラトーレだ。
この秘書のせいで、姉は結婚どころか婚約すらままならない。
姉に縁談が来たかと思えば、すぐに裏で手を回して相手に縁談を取り下げさせる。
幼い頃からずっと、この秘書の姉に対する執着は異常だった。
姉のそばから離れようとせず、また、姉に異性が近づくと相手に圧力のこもった眼差しを向ける。
かつてシルヴェリオもリベラトーレに睨まれていた時期があった。
曰く、「ヴェーラ様に気にかけてもらっていて気に食わない」らしい。
しかし、そのことがヴェーラに露見し、彼女から一週間ほど口をきいてもらえなくなったことで反省し、以降は普通に接するようになった。
(縁談の事も、姉上がリベラトーレに忠告すれば収まるだろうに……なぜ野放しにしているのだろうか)
当主として冷徹な判断をしてきた姉だが、なぜか自分の縁談を邪魔するリベラトーレを諫めようとしない。
「いやはや、どなたか心当たりがあるのかと思って、身構えてしまいましたよ~。ヴェーラ様に求婚してきそうな貴族家には手を回して防いできたのですから、いなくて当然です」
「……」
悪びれもしないリベラトーレの様子を見たシルヴェリオは、遠い目になった。
コルティノーヴィス香水工房を出たシルヴェリオは、表情を硬くした。
停車していた馬車に乗り込むや否や、「姉上の具合は?」とリベラトーレに問う。
「手のしびれが残っているようですが、何事もなかったかのように働いています。昨夜、看病している間も、急激な体調の悪化はありませんでしたよ~」
「……周囲に不調を悟られないよう、無理をされているようだな」
「ええ、一部の家臣や親族たちが今回の事件を受けて、ヴェーラ様の健康状態が当主としての職務遂行が困難だと言いがかりをつけて横槍をいれてきそうですのでねぇ~」
「相変わらず、性根が腐った連中が残っているようだな」
シルヴェリオは深く溜息を吐いた。
今から屋敷に行くのは、ただコルティノーヴィス伯爵家の話をするためだけではない。
ヴェーラの見舞いと――彼女に毒を盛った人物を調査するためである。
というのも、昨日の夜、ヴェーラが執務室で血を吐いてしまったのだ。
リベラトーレはすぐさま司祭を手配し、執事頭に指示して使用人たちを屋敷から出さないようにした。
ヴェーラの食事に毒を盛った犯人が逃げないようにするためだ。
「昨夜から、信頼できる者――コルティノーヴィス伯爵家の騎士団長と執事頭に侍女長と一緒に使用人を一人ずつ取り調べをしています。直近二週間の行動を聞き、他の使用人たちにも聞き込みをすることで、嘘をついていないか確認しているところです」
「その間、リベラトーレは姉上の看病もしていたのだろう? いろいろと負担をかけてしまったな」
「ヴェーラ様のためになることが私の喜びですから、このくらいどうってことありませんよ~」
リベラトーレはにっこりと笑みを浮かべる。
しかし、彼は微かに剣呑な気配を纏い始めた。
「司祭が解毒してくれましたが……どうやら今までに少量ずつ毒を摂取していたようで、お体が弱っているようです。ヴェーラ様を――私の女神を害したことを、必ずや後悔させてやらなけれなればなりませんねぇ」
穏やかな声だが、怒りや恨みが込められている。
ヴェーラが全てであるリベラトーレにとって、今回の事件は非常に許しがたいものなのだ。
犯人には、生きていることを後悔するほどの地獄が待っているだろう。
シルヴェリオは密かに予想するのだった。
「犯人の目星はついているのか?」
「先代当主の親戚筋だと予測しています。このところ、どうも不穏な動きをしているんですよぉ」
「……そうか」
シルヴェリオは苦虫を嚙み潰したような顔になる。
自分でも気づかないうちに、膝の上に置いていた手を強く握りしめていた。
(姉上には助けられているのに、俺は姉上が危機に晒されていることを知らなかった……)
不義の子である自分はコルティノーヴィス伯爵家に関わらない方がいい。
そう思って離れていたが、本当にこれでいいのだろうかと疑念を抱く。
「先代当主に媚びを売って甘い汁を啜っていた者たちが、ヴェーラ様が当主になってから恩恵を断ち切られて不服に思っているようです。そこで、ヴェーラ様を葬り去って新しい当主を擁立し、再び己の懐を温めようとしているのでしょう」
「まったく……己の利益しか考えられない者ばかりだな」
先代当主――シルヴェリオの父親が生きていた頃から、コルティノーヴィス伯爵家の一部の家臣や親族には良い感情を抱いていない。
彼らはシルヴェリオの父親を傀儡にし、弱っていく義母を嘲笑い、ヴェーラを操り人形にしようと目論んでいたのだ。
しかしヴェーラが利発で自分たちの思うように扱えないとわかると、今度はシルヴェリオに近づく者もいた。
幸にもシルヴェリオが継承権を放棄した事で、その者たちはシルヴェリオから手を引いたのだが。
「姉上の未婚をとやかく言う連中の相手もしなければならないから、姉上は双方の対応で気苦労が耐えないだろう。とはいえ、少しでも俺が当主の仕事に介入すれば、俺を忌避する家臣たちが黙ってはいないから、逆に姉上に負担をかけてしまう。……口惜しいな」
「ええ、彼らは未だにシルヴェリオ様が当主の座を狙っているのではと警戒なさっていますから、難癖をつけてきそうですね~」
コルティノーヴィス伯爵家の家臣や傍系筋の貴族家の中には、未だにシルヴェリオが当主になることを懸念している者たちがいる。
シルヴェリオの産みの母親が先代当主を利用して贅沢三昧していたため、その子どもであるシルヴェリオもコルティノーヴィス伯爵家の財産を狙っているのではないかと警戒しているのだ。
そのようなつもりは毛頭ないから、シルヴェリオは継承権を破棄し、ヴェーラから男爵位を譲ると言われても断り、屋敷を離れて魔導士としての道を進んだというのに。
「少しでも煩わしい連中を黙らせるには、姉上が婿をとるしかないだろうな。そうすれば、仕事を分散もできて姉上の負担が減るだろうし」
ぽつりと呟いた途端、馬車の中の空気が張りつめた。
シルヴェリオは、向かい側の席に腰かけているリベラトーレから、ただならぬ冷気を感じる。
「シルヴェリオ様、まさか婿の候補がおありで~?」
「いいや、今のところはいないな。……むしろ、誰かさんのせいでいなくなったと言うべきか」
ヴェーラはエイレーネ王国の貴族の世界で、行き遅れに分類される。
原因はリベラトーレだ。
この秘書のせいで、姉は結婚どころか婚約すらままならない。
姉に縁談が来たかと思えば、すぐに裏で手を回して相手に縁談を取り下げさせる。
幼い頃からずっと、この秘書の姉に対する執着は異常だった。
姉のそばから離れようとせず、また、姉に異性が近づくと相手に圧力のこもった眼差しを向ける。
かつてシルヴェリオもリベラトーレに睨まれていた時期があった。
曰く、「ヴェーラ様に気にかけてもらっていて気に食わない」らしい。
しかし、そのことがヴェーラに露見し、彼女から一週間ほど口をきいてもらえなくなったことで反省し、以降は普通に接するようになった。
(縁談の事も、姉上がリベラトーレに忠告すれば収まるだろうに……なぜ野放しにしているのだろうか)
当主として冷徹な判断をしてきた姉だが、なぜか自分の縁談を邪魔するリベラトーレを諫めようとしない。
「いやはや、どなたか心当たりがあるのかと思って、身構えてしまいましたよ~。ヴェーラ様に求婚してきそうな貴族家には手を回して防いできたのですから、いなくて当然です」
「……」
悪びれもしないリベラトーレの様子を見たシルヴェリオは、遠い目になった。


