追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

145.ボンボローニを言い訳にして

     ***

 ヴェーラから依頼を受けた三日後の夕方。
 空には薄い夜のヴェールがかかり始めた頃のこと。
 フレイヤはコルティノーヴィス香水工房の二階にある調香室で、アレッシアと一緒に試作品の匂いを嗅いでいた。
 
「驚いた、随分とマシな臭いになったわね。最初に話を聞いた時は、どうなることかと思っていたけれど……さすがは副工房長ね」
「ありがとうございます。アレッシアさんがアドバイスしてくれたおかげで、良い組み合わせを見つけられました」
「……それにしては、浮かない顔だわ。何か気になることがあるの?」
「臭いの原因を調べたら、より良い香りになるかもしれないと思ったんです。コルティノーヴィス伯爵の話によると、魔獣の革を鞣す時は、通常の鞣すための薬品の他に魔法薬も使うと聞きました」 
「なるほど、魔法薬には魔法植物が使われているから、その魔法植物を知りたいってことね?」
「はい、その魔法植物の匂いに合った香りを組み合わせると、より良い香りに改善できると思うんです」

 香料には相性があるように、魔法植物にも相性の良い香料があるのではないか。
 それに、場合によっては、香料が深いな臭いを抑えてくれることもある。
 
 フレイヤの考えに、アレッシアは「なるほどね」と言い、賛同してくれた。
 
「だけど、工房によっては独自の調合で作っているから、教えたがらないかもしれないわね」
「そうですよね……。万が一、使用している道具や薬品が他の工房に知られてしまったら、他の工房にお客様を盗られてしまう可能性がありますからね……」 
 
 それは、香水工房の世界でも同じだ。
 カルディナーレ香水工房で働いていた時も、特別に作った道具や新作の精油の仕入れ先が外部に漏れないよう、細心の注意を払っていた。
 独自性とは、それだけで価値となるのだ。

 フレイヤがしょんぼりとしていると、調香室の扉が開き、魔導士の仕事を終えたシルヴェリオが現れた。

「シルヴェリオ様、お疲れ様です」
「フレイさんとアレッシアさんも、お疲れ様」
  
 シルヴェリオはフレイヤとアレッシアが手に持っている手袋に視線を移した。

「調香は上手くいっているか? もし必要なものがあれば、いつでも言ってくれ」
「……もし可能でしたら、魔獣の鞣しに使われる魔法薬の原材料を工房の方から教えていただくことはできますか?」
「ああ、姉上を通して聞いてみよう。ちょうど、しばらくは屋敷で過ごすことになったから、今晩にでも姉上に伝えておく」
「ありがとうございます。……ところで、シルヴェリオ様、無理はされていませんか? なんだか、顔色が悪いような気がします」

 フレイヤは眉尻を下げる。
 オルメキア王国の宰相にかけられた呪いは解呪したとはいえ、呪いに苦しめられて消耗していたシルヴェリオが、体調を崩してしまわないか心配だ。
 
 ただでさえ魔導士の中でも部下を従える立場にあり多忙なのに、コルティノーヴィス香水工房を毎日気にかけてくれている。
 そのうえ、最近は製造した香水全てに魔法をかけてもらうことになったのだ。
 自分のせいで以前よりも負担が増えたことを、申し訳なく思っている。

 シルヴェリオは一瞬、きょとんとした表情になったが、すぐに微笑みを浮かべた。
 
「実家の事で少し、夜更かしが続いていたからだろう。ところで――実は、今日の菓子を先ほど休憩室に置いて来たんだ。夕食前だが……良ければ、ここで食べていかないか?」
「それもいいですね! ちょうど、お腹が空いていたんです」

 お菓子と聞いて、フレイヤの表情がパッと明るくなる。
 
 シルヴェリオの一言で、頭の中はお菓子の事でいっぱいだ。
 今日は、どんなお菓子を食べられるのだろうか。
 そう考えただけで、フレイヤの頬が緩む。

「それでは、皆を呼ぼう。人数分買ってきているから、集まって食べるといい」
「かしこまりました!」 

 フレイヤとシルヴェリオ、それにレンゾとエレナとアレッシアは、休憩室に集まった。
 すでに休憩室にいて本を読んでいたオルフェンも、終業後のお茶会に参加する。

 休憩室の中に入った途端、お菓子の甘い香りがして、フレイヤはワクワクするのだった。
 
 レンゾが皆のために皿を出している間、エレナが紅茶を淹れる。
 みんなに配るために紙袋を開けて中を覗いたフレイヤは、中に入っているお菓子を見るなり、小さく歓声を上げた。
 
「今日のお菓子はボンボローニですね! 揚げたての生地の香りと甘いクリームの香りのハーモニーで、すでに幸せな気持ちになります!」

 ボンボローニとは、丸い揚げたパンの中にクリームやジャムなどを詰め、表面には降り積もった雪のように粉砂糖をまぶしたお菓子だ。
 
 こんがりとキツネ色に焼けた表面にまぶしている砂糖のコントラストが美しい。
 フレイヤはうっとりとボンボローニを見つめていたが、ハッと我に返り、いそいそとみんなの皿の上にボンボローニを一つずつ載せた。
 
「それでは、いただきます!」

 皆にボンボローニとお茶が行き渡ると、フレイヤはボンボローニを手に取り、パクリと齧りついた。
 すると、これ以上の幸せは無いとでもいうかのように、目尻を下げて味わい始める。

「はぁ~、外はサクッとしていて中はフワフワの生地と、コクのあるクリームが口の中で合わさって、至福です」
 
 ひと口ひと口を大切に味わっていたフレイヤは、不意にシルヴェリオからの視線に気づいた。
 顔を向けると、シルヴェリオはボンボローニには手をつけず、頬杖をついてフレイヤをじっと見つめているのだ。
 
「シルヴェリオ様、なぜこちらを見ているのですか?」
「菓子を食べているフレイさんを見ることが好きだから」
「……っ!」

 フレイヤは思わず、口の中にあったボンボローニをごくりと飲み込んでしまった。
 恋愛感情の有無にかかわらず、異性から「好き」と言われることに慣れていないため、すっかり動揺してしまったのだ。
 
(なんだか、顔が熱くなった気がする……)
 
 頬が赤くなっていないか心配になったフレイヤは、自分の頬に手を当てる。
 
(早く、頬の熱が下がりますように) 

 心の中で念じていると、シルヴェリオがくすりと笑う声が聞こえてきた。
 
「頬を押さえるほど美味しいのか?」
「えっ……? あ、はいっ! そうなんです! とっても美味しいので、頬っぺたが落ちそうだと思いました!」
 
 有難いことにシルヴェリオが勘違いしてくれたので、フレイヤはそれに便乗することにした。
 その様子を、レンゾとエレナとアレッシアがニヤニヤとして見守っていたのだが、フレイヤもシルヴェリオも気づいていなかった。




***あとがき***
遅くなって申し訳ありません!
先週ずっと体調が悪く、書き進められませんでした><
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