追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。
150.微熱と果実水
休日が終わった翌朝、フレイヤは固い面持ちで、コルティノーヴィス伯爵家の馬車に乗っていた。
コルティノーヴィス香水工房の制服を着ており、手には大きな飴色のトランクを持っており、その中には商談用の商品が入っている。
今日はコルティノーヴィス伯爵家のタウン・ハウスへと赴き、ヴェーラと商談をする日だから、緊張しているのだ。
これまでに何度も一から香りを作り、平民に対しても貴族に対しても――最近では王族に対しても提案してきたが、未だに慣れない。
それだけではなく、髪にキスをする意味を知ってしまった今、シルヴェリオと顔を合わせると、途端に頬が熱くなってしまうため、困っていた。
向かいの座席に座っているシルヴェリオは、コルティノーヴィス香水の制服を彷彿とさせる白地に蒼玉の青のラインがあしらわれたシャツとジャケットとスラックスを纏っており、心配そうにフレイヤを見つめているため、彼の視線を感じてより緊張してしまう。
「フレイさん、顔が赤いが……もしかして、熱があるのではないか?」
「い、いえ! まったくありません!」
「……」
赤くなった頬をシルヴェリオに見られたことが恥ずかしいフレイヤは、更に赤くなってしまう前に話しを切り上げようと、慌てて否定した。
しかし、シルヴェリオからは視線を注がれたまま。
無言で見つめられているため、フレイヤは内心焦るのだった。
「すまないが、少し触れてもいいだろうか?」
「は、はい?」
思わず聞き返した言葉を肯定と捉えてしまったようで、シルヴェリオの手が顔に近づき、優しい手つきで前髪を分けると、フレイヤの額に触れてきた。
近づく端正な顔と、額にそっと触れる大きな手のひらの感触と温かさに、心臓がドキドキと痛いほど強く脈を打ちならし始める。
呼吸をしたらシルヴェリオに息がかかってしまいそうな気がして、息を止めた。
程なくして、額からシルヴェリオの手が離れ、指先が少し髪に触れる。前髪を整えてくれているのだとわかり、言いようのないくすぐったさを感じる。
「うむ、たしかに熱はないようだが……心配だから、屋敷に着いたら常駐している治癒師に診てもらおう」
「私のような平民なんかがお屋敷の治癒師に診ていただくなんて、ダメですよ!」
「何を言っているんだ、フレイさんは俺の大切な部下だし、姉上にとっても大切な客人だ。姉上に今の話をしたら、姉上も同じように勧めるだろう」
真摯な眼差しで真っ直ぐに見つめられながら言われると、これ以上断ると、彼の厚意を踏みにじってしまうような気がして、何も言えなくなった。
しかし、タウン・ハウスに着いた途端、心配したシルヴェリオがフレイヤをいわゆるお姫様だっこで運ぼうとし出した時には頑なに断り、診察を受けることもどうにか断ればよかったと思うフレイヤなのだった。
タウン・ハウスにある居間へと通されたフレイヤは、シルヴェリオの案内で豪奢な天鵞絨張りのソファに腰かける。
すると、ヴェーラと壮年くらいの女性の治癒師が入ってきた。
治癒師は栗色の髪と目を持つ、穏やかな雰囲気の人物だ。申し訳ない気持ちで治癒師に顔を向けると、彼女は柔らかな微笑みを返してくれる。
「シルヴェリオ様からお話は伺っておりますが、改めて診させていただきますね。――シルヴェリオ様、一度ご退室をお願いします」
「わかった。フレイさんをよろしく頼む」
シルヴェリオはそう言うと、不安そうに眉尻を下げてフレイヤをチラチラと見つつ、部屋から出た。
(商談に来たのに、病気でもないのに治癒師のお世話になるなんて……)
気まずい思いで診察を受けている間も、治癒師の女性は優しく微笑みながら診てくれる。
優しい人が診てくれて良かったと思う一方で、こんなにも親身になって診てくれる人の手を煩わせてしまったことへの申し訳なさが募った。
「魔法で確認しましたが、病気などの状態異常はありませんでしたので、ご安心ください。顔が赤くなっていたのは、暑さのせいかもしれませんね」
「そ、そうです! 今日はいきなり気温が上がったので、少し汗をかいていました!」
思いもよらず最適な言い訳を得られたフレイヤは、食い入り気味に同意して頷く。
もしもこれからもシルヴェリオの前で顔が赤くなってしまったら、暑さのせいにしようと思うのだった。
(とはいえ、寒い季節になったら、できない言い訳なのだけど……)
それまでに、シルヴェリオと顔を合わせると動揺してしまう自分をどうにかしたい。
この先のことを悩んでいたフレイヤは、ヴェーラと治癒師が温かな眼差しで見守ってくれていることに、気づいていなかった。
「ルアルディ殿が病気でなくて良かったが、暑さでバテてはならないから、今から冷たい飲み物を用意させよう。――リベラトーレ、今すぐ冷たい果実水を持ってきてくれ。シルヴェリオは、診察が終わったから、もう部屋に入ってもいいぞ」
ヴェーラが声を張り上げて扉の外にいる者たちに声をかけると同時に扉が開き、シルヴェリオが入ってきた。その間、「かしこまりました~」と返事をするリベラトーレの声が聞こえてくる。
シルヴェリオが瞬く間にフレイヤへと歩み寄り、距離を詰めてくるため、フレイヤは内心慌てふためく。
また顔が赤くなってしまいそうで不安だが、その時は治癒師が言っていた「暑さのせい」で乗り越えようと自分に言い聞かせた。
シルヴェリオは座っているフレイヤの目の前で床に膝を突いてフレイヤの顔を見ると、すぐに治癒師の方へと顔を向ける。
「フレイさんの容態は?」
「暑さのせいでバテていたのでしょう。今日は昨日よりも気温が高くなりましたから」
「病でなくて良かったが……今以上に体調を崩さないように、心掛けておくことはあるだろうか?」
「水分をよくとることと、きちんと休むようにしてください。あとは、食事と睡眠もしっかりとることですね」
「わかった。気をつけよう」
まるで、シルヴェリオがフレイヤを看病しようとしているかのような言葉だったため、フレイヤは慌てて「気をつけます!」と被せるように言った。
シルヴェリオに世話をしてもらうようになったら、心臓がいくつあっても足りないような気がしたのだ。
「シルヴェリオ様、診察を受けさせてくださって、ありがとうございました。これからは、一日に瓶二本分の水を飲むようにしますので、ご安心ください」
「それでも、何かあってからでは遅いから、できる限りの配慮をさせてほしい」
「い、いえ! もうすでに十分な食事と無理のない労働時間を提供していただいているので、大丈夫ですよ……!」
「しかし――」
シルヴェリオが口を開いたところで、ヴェーラが咳ばらいをした。
「さて、そろそろ商談を始めよう。ルアルディ殿が作ってくれた香りを心待ちにしていたんだ。早く見せておくれ」
「……かしこまりました」
シルヴェリオは釈然としない様子で立ち上がると、フレイヤの隣に腰かける。
彼が隣に座っていることで意識してしまうが、あのままシルヴェリオに流されて彼に世話をしてもらうよりは断然心の平穏が保たれる。
胸をなでおろしていた時、フレイヤの差し向かいにあるソファに腰かけるヴェーラが、片目を瞑って見せてくる。
自分のために機転を利かせてくれたのだと察したフレイヤは、心からヴェーラに感謝して会釈した。
コルティノーヴィス香水工房の制服を着ており、手には大きな飴色のトランクを持っており、その中には商談用の商品が入っている。
今日はコルティノーヴィス伯爵家のタウン・ハウスへと赴き、ヴェーラと商談をする日だから、緊張しているのだ。
これまでに何度も一から香りを作り、平民に対しても貴族に対しても――最近では王族に対しても提案してきたが、未だに慣れない。
それだけではなく、髪にキスをする意味を知ってしまった今、シルヴェリオと顔を合わせると、途端に頬が熱くなってしまうため、困っていた。
向かいの座席に座っているシルヴェリオは、コルティノーヴィス香水の制服を彷彿とさせる白地に蒼玉の青のラインがあしらわれたシャツとジャケットとスラックスを纏っており、心配そうにフレイヤを見つめているため、彼の視線を感じてより緊張してしまう。
「フレイさん、顔が赤いが……もしかして、熱があるのではないか?」
「い、いえ! まったくありません!」
「……」
赤くなった頬をシルヴェリオに見られたことが恥ずかしいフレイヤは、更に赤くなってしまう前に話しを切り上げようと、慌てて否定した。
しかし、シルヴェリオからは視線を注がれたまま。
無言で見つめられているため、フレイヤは内心焦るのだった。
「すまないが、少し触れてもいいだろうか?」
「は、はい?」
思わず聞き返した言葉を肯定と捉えてしまったようで、シルヴェリオの手が顔に近づき、優しい手つきで前髪を分けると、フレイヤの額に触れてきた。
近づく端正な顔と、額にそっと触れる大きな手のひらの感触と温かさに、心臓がドキドキと痛いほど強く脈を打ちならし始める。
呼吸をしたらシルヴェリオに息がかかってしまいそうな気がして、息を止めた。
程なくして、額からシルヴェリオの手が離れ、指先が少し髪に触れる。前髪を整えてくれているのだとわかり、言いようのないくすぐったさを感じる。
「うむ、たしかに熱はないようだが……心配だから、屋敷に着いたら常駐している治癒師に診てもらおう」
「私のような平民なんかがお屋敷の治癒師に診ていただくなんて、ダメですよ!」
「何を言っているんだ、フレイさんは俺の大切な部下だし、姉上にとっても大切な客人だ。姉上に今の話をしたら、姉上も同じように勧めるだろう」
真摯な眼差しで真っ直ぐに見つめられながら言われると、これ以上断ると、彼の厚意を踏みにじってしまうような気がして、何も言えなくなった。
しかし、タウン・ハウスに着いた途端、心配したシルヴェリオがフレイヤをいわゆるお姫様だっこで運ぼうとし出した時には頑なに断り、診察を受けることもどうにか断ればよかったと思うフレイヤなのだった。
タウン・ハウスにある居間へと通されたフレイヤは、シルヴェリオの案内で豪奢な天鵞絨張りのソファに腰かける。
すると、ヴェーラと壮年くらいの女性の治癒師が入ってきた。
治癒師は栗色の髪と目を持つ、穏やかな雰囲気の人物だ。申し訳ない気持ちで治癒師に顔を向けると、彼女は柔らかな微笑みを返してくれる。
「シルヴェリオ様からお話は伺っておりますが、改めて診させていただきますね。――シルヴェリオ様、一度ご退室をお願いします」
「わかった。フレイさんをよろしく頼む」
シルヴェリオはそう言うと、不安そうに眉尻を下げてフレイヤをチラチラと見つつ、部屋から出た。
(商談に来たのに、病気でもないのに治癒師のお世話になるなんて……)
気まずい思いで診察を受けている間も、治癒師の女性は優しく微笑みながら診てくれる。
優しい人が診てくれて良かったと思う一方で、こんなにも親身になって診てくれる人の手を煩わせてしまったことへの申し訳なさが募った。
「魔法で確認しましたが、病気などの状態異常はありませんでしたので、ご安心ください。顔が赤くなっていたのは、暑さのせいかもしれませんね」
「そ、そうです! 今日はいきなり気温が上がったので、少し汗をかいていました!」
思いもよらず最適な言い訳を得られたフレイヤは、食い入り気味に同意して頷く。
もしもこれからもシルヴェリオの前で顔が赤くなってしまったら、暑さのせいにしようと思うのだった。
(とはいえ、寒い季節になったら、できない言い訳なのだけど……)
それまでに、シルヴェリオと顔を合わせると動揺してしまう自分をどうにかしたい。
この先のことを悩んでいたフレイヤは、ヴェーラと治癒師が温かな眼差しで見守ってくれていることに、気づいていなかった。
「ルアルディ殿が病気でなくて良かったが、暑さでバテてはならないから、今から冷たい飲み物を用意させよう。――リベラトーレ、今すぐ冷たい果実水を持ってきてくれ。シルヴェリオは、診察が終わったから、もう部屋に入ってもいいぞ」
ヴェーラが声を張り上げて扉の外にいる者たちに声をかけると同時に扉が開き、シルヴェリオが入ってきた。その間、「かしこまりました~」と返事をするリベラトーレの声が聞こえてくる。
シルヴェリオが瞬く間にフレイヤへと歩み寄り、距離を詰めてくるため、フレイヤは内心慌てふためく。
また顔が赤くなってしまいそうで不安だが、その時は治癒師が言っていた「暑さのせい」で乗り越えようと自分に言い聞かせた。
シルヴェリオは座っているフレイヤの目の前で床に膝を突いてフレイヤの顔を見ると、すぐに治癒師の方へと顔を向ける。
「フレイさんの容態は?」
「暑さのせいでバテていたのでしょう。今日は昨日よりも気温が高くなりましたから」
「病でなくて良かったが……今以上に体調を崩さないように、心掛けておくことはあるだろうか?」
「水分をよくとることと、きちんと休むようにしてください。あとは、食事と睡眠もしっかりとることですね」
「わかった。気をつけよう」
まるで、シルヴェリオがフレイヤを看病しようとしているかのような言葉だったため、フレイヤは慌てて「気をつけます!」と被せるように言った。
シルヴェリオに世話をしてもらうようになったら、心臓がいくつあっても足りないような気がしたのだ。
「シルヴェリオ様、診察を受けさせてくださって、ありがとうございました。これからは、一日に瓶二本分の水を飲むようにしますので、ご安心ください」
「それでも、何かあってからでは遅いから、できる限りの配慮をさせてほしい」
「い、いえ! もうすでに十分な食事と無理のない労働時間を提供していただいているので、大丈夫ですよ……!」
「しかし――」
シルヴェリオが口を開いたところで、ヴェーラが咳ばらいをした。
「さて、そろそろ商談を始めよう。ルアルディ殿が作ってくれた香りを心待ちにしていたんだ。早く見せておくれ」
「……かしこまりました」
シルヴェリオは釈然としない様子で立ち上がると、フレイヤの隣に腰かける。
彼が隣に座っていることで意識してしまうが、あのままシルヴェリオに流されて彼に世話をしてもらうよりは断然心の平穏が保たれる。
胸をなでおろしていた時、フレイヤの差し向かいにあるソファに腰かけるヴェーラが、片目を瞑って見せてくる。
自分のために機転を利かせてくれたのだと察したフレイヤは、心からヴェーラに感謝して会釈した。


