追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

23.女伯爵と聞き分けの悪い犬

 同じくフレイヤとシルヴェリオが香水工房を開くための物件を探していた頃、王都にあるコルティノーヴィス伯爵家の屋敷(タウン・ハウス)に、とある人物が帰還した。
 シルヴェリオの姉ヴェーラの秘書である、リベラトーレだ。

「ヴェーラさまぁーっ!!」

 リベラトーレは屋敷(タウン・ハウス)に着くと、王都中に響き渡るほどの大声で愛する主人の名を呼んだ。そして返事を待たずに魔法で飛ぶと、ヴェーラがいる執務室の窓から中に入った。
 その様子を見ていたリベラトーレの父親――コルティノーヴィス伯爵家の執事頭は、愚息の無礼な振舞いに青筋を立て怒りに震えていたのだった。

「ヴェーラ様っ、あなたの忠犬リベラトーレが戻りましたよ!」
 
 愛する主人のもとに一直線で向かったリベラトーレは、執務机に向かっているヴェーラを見つけると頬を赤く染める。
 
 今日のヴェーラは白金色の髪を一つの三つ編みにして肩から流している。髪にはメイドがつけたのだろうか、真珠の小さな髪飾りが散りばめられている。
 溜息が出るほど美しい、彼の女神で唯一の主。その姿を前にして、リベラトーレは目を潤ませ、うっとりとした表情になる。
 
「はぁぁ、久しぶりに見るヴェーラ様のご尊顔……今日もお美しくて眼福です。睡眠を削って移動した甲斐がありました!」
「……そうか、ご苦労だった」
「ええっ、それだけ~?!」

 ヴェーラはリベラトーレが窓から室内に入ってきたのにもかかわらずいつも通りだ。書類から目を離さずに素っ気なく言葉をかける。
 少しは驚いた表情が見られるのではないかと期待していたリベラトーレは、当てが外れて拗ねてしまった。腹いせにヴェーラの背後にまわって彼女の目を片手で覆ってみるものの、主はされるがままで叱ってもくれない。
 
「……わかった。報酬として明日から無期休暇をとるといい。代わりに新しい秘書を雇う」
「んも~、照れないでもっと褒めてよ~」
「戯言は結構だ。早く報告しなさい」
「ちぇ~っ、わかりましたよ~」

 リベラトーレはヴェーラからパッと手を離し、調査書を手渡す。そのままヴェーラの隣を陣取ると、机の上に頬杖をついて彼女の横顔を眺めた。
 秘書にしてはいささか近すぎる距離だが、ヴェーラも周りにいる使用人たちも咎めない。初めこそ執事頭がリベラトーレに苦言を呈したものだが、懲りずにヴェーラの隣を陣取るリベラトーレに根負けしたのだった。
 
「シルヴェリオ様は王都を発つと真っ直ぐにローデンに向かい、薬草雑貨店(エルボリステリア)ルアルディにいるフレイヤ・ルアルディに三度も会っていました。なんでも、その子が作る香水には奇跡を起こす力があると噂されているそうです。それを聞いたシルヴェリオ様は、彼女が作る香水がネストレ殿下を目覚めさせてくれるかもしれないと思って、力を借りることにしたそうです」
「フレイヤ・ルアルディ……なるほど、王妃殿下が探しているという、例の調香師か」
「例の調香師?」
「君が王都を離れている間にひと波乱あったのさ。王妃殿下が専属調香師としてご所望した調香師を、カルディナーレ香水工房の工房長が解雇して自分が王妃殿下専属調香師になろうとしていたらしい。……まあ、彼の従業員がその企みを告発したことで、怒った王妃殿下が今後一切カルディナーレ香水工房の香水を買わないと宣言したそうだ」
「実は、シルヴェリオ様がそのフレイヤ・ルアルディを専属調香師として雇いまして……」
「無事に契約成立したのか?」
「ええ、ただ……フレイヤ・ルアルディを雇うために、シルヴェリオ様がご自身に誓約魔法を使ったんです。彼女を裏切らず、また己の私欲のために利用しない――と証明するために」
「――っ!」

 ヴェーラが息を呑んだ。いつもは少しの感情の揺らぎも見せない彼女が、今は目を見開いて動揺している。リベラトーレが待ち望んでいた表情だが、それが自分ではなく腹違いの弟であるシルヴェリオがそうさせたのだと思うと、リベラトーレはやるせない思いでいっぱいになった。

「貴族が平民のために誓約魔法を使っただと……?」
「ええ、この目で魔法が成立する瞬間を見届けましたので間違いありません」
「それでは……シルヴェリオは一生、その子に忠誠を誓うと宣言したも同然だな」
「まあ、そうですね。なんせ誓約魔法でシルヴェリオ様の心臓を握っているようなものですからね」
「あの子の心臓を……フレイヤ・ルアルディに会ってみたいものだな」

 これまでに浮いた話がなく、冷徹な次期魔導士団長と囁かれる弟。そんな彼が命を差し出した人間に興味を覚えた。
 
「シルヴェリオは今、何をしている?」
「フレイヤ・ルアルディと一緒に香水工房を開く場所を探しています」
「ふむ……場所が決まると、次は材料が必要になるだろう。私の商団の中から香料を扱う紹介を選んで手を回しておいてくれ」
「かしこまりました。用意はしますけど、シルヴェリオ様のことだからヴェーラ様に頼らず別の商会を使うんじゃないですか?」
「そうするだろうけど、きっと最後には私を頼ることになるだろう。実はカルディナーレ香水工房の騒動が会った時に興味があってアベラルド・カルディナーレについて調べていたんだ。彼の妻はセニーゼ家出身で、気に入らない調香師がいる工房とは取引をしないよう父親に頼んでいるらしい。だからカルディナーレ香水工房を追い出されたフレイヤ・ルアルディを専属調香師にしたシルヴェリオには材料を売らないように手を回しているはずだ」
「……へぇ。その情報、どうやって集めたんですか?」
「情報屋を使った」
「ふぅん……その情報屋って、男でしたか?」
「ああ、そうだが?」
「そっか……男か……」
 
 リベラトーレの声が、ぐっと低くなる。にこやかな表情とは裏腹に、その笑顔に似つかわしくない冴え冴えとした空気を漂わせ始めた。

「ねぇ、ヴェーラ様。俺という優秀な秘書がいるのに、なんでどこの馬の骨ともわからない男を頼るんですか?」
「君が王都にいなかった。ただそれだけだ」
「悲しいなぁ。俺はどこにいてもヴェーラ様が望むのなら馳せ参じて任務を遂行するのに、信用してくれないんですね?」
「だから、王都にいない君に王都の情報収集を任せるのは無理な話だから情報屋を使ったんだ」
「どんな状況でも、一度は俺に命令してください。後は俺が他の者に指示しますから」
「それでは効率が悪いではないか」
「ヴェーラ様が他の人間を頼るなんて嫌なんです。ヴェーラ様の忠犬は俺だけです。他の犬を連れて来たら追い返しますからね?」
「……聞き分けの悪い犬だな」
 
 ヴェーラは淡々と呟くと、ぶ厚い書類の束をリベラトーレに押しつける。

「忠犬なら仕事を手伝ってくれ。君の主人は弟の事業に介入したいからその機会を作りなさい」
「承知しました。必ずやヴェーラ様が満足する筋書きをご用意します」
「シルヴェリオにはセニーゼ家の息がかかっていない商会が必要になってくるだろうから、その隙を狙いなさい」
「代わりにヴェーラ様の息がかかりまくっていますけどね」
「何か言ったか?」
「いいえ、何も」
 
 愛する主人から仕事を貰ったリベラトーレは鼻歌交じりに部屋を出る。ぱたんと扉が閉まると、執務室には静寂が戻ってきた。

「――シルヴェリオ、この家を出るために事業を始めるつもりかい?」
 
 執務机の上に残された調査書に視線を落としたヴェーラは、ふっと笑い声を零す。
 
「そう簡単に逃げられると思うなよ」
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