追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

97.ラベンダーと黄金の実の香りを

 お茶を終えたフレイヤたちは各々の作業場所を片づけたり明日の仕事の準備をする。
 
 フレイヤが一階のカウンター部分でエレナと商品の売れ行きについて話していると、魔導士の仕事を終えたシルヴェリオがコルティノーヴィス香水工房にやって来た。

 シルヴェリオはかなり疲弊した様子で、げっそりとした表情である上に扉に寄りかかりながら建物の中に入ってきた。
 
 いったいなにがあったのだろうかと心配したフレイヤが声をかけようとしたところで、シルヴェリオの深い青色の目と視線が絡む。シルヴェリオはフレイヤを見るや否や、途端に柔らかな表情になった。

「昼間は王宮に出向いてくれてありがとう。工房は変わりなかったか?」
「実は、イルム王国の商人を名乗る方とその護衛の方が来ました」
「イルム王国の商人が訪ねてきただと?」

 シルヴェリオが目を見開く。彼もまた、騎士団の本部で話した彼の国の名前をコルティノーヴィス香水工房で聞くことになるとは思ってもみなかったのだ。

「はい、ジャウハラ商会のハーディさんと護衛のマドゥルスさんという方たちです。ハーディさんは私が調香した香水が第二王子殿下を呪いの眠りから目覚めさせたと思って訪ねて来たようです。第二王子殿下が目覚めたのは祈祷のおかげだと言ったのですが、それでも私が調香した香水が奇跡を起こすのではと思っているようで、ぜひ香水を作ってほしいとのことでした。それに、既製品を卸してほしいそうです」
「……なるほど、フレイさんの調香する香水になにかしら特別な力があると思ってここを訪ねて来たのか」

 シルヴェリオは眉間に皺を刻む。フレイヤがネストレに香水を献上した時、束の間だけネストレの意識を呼び戻した時の話はエイレーネ王国では広く知られている。
 いつかは異国でも噂されるだろうとは思っていた。噂を聞きつけた者が、かつてネストレを目覚めさせるためにフレイヤを頼った自分のように、フレイヤが調香した香りに縋りに来るのではないかと予想していた。

 窮地に陥った者は手段を選ばなくなることもある。その者がフレイヤに危害を加えないか気掛かりでならない。
 姉のヴェーラが工房の周りに護衛を置いてくれているが、外に居ては咄嗟の対応はできないだろう。
 もしもの時のために護符(アミュレット)を渡しているが、それでも心配は尽きない。
 
「ジャウハラ商会のお二人は明日また店に来ると言っていました。調香は私の方で対応しますが、既製品の販売については条件を伺ってから後日シルヴェリオ様と商談いただくのはいかがでしょうか?」
「調香に関してはフレイさんの提案通りでいいが、既製品の販売については全て俺にまわしてくれたらいい。フレイさんに販売の仕事まで負担させてしまうと、調香師の仕事に専念できなくなってしまうだろう」
「シルヴェリオ……お気遣いありがとうございます。それでは、既製品の販売はシルヴェリオ様と直接取引していただくよう伝えます」
「そうしてくれ。それと、明日の調香する際にはレンゾさんも同席してもらってほしい。異国の商人とその護衛の二人が君に危害を加える可能性がなくはないからな」

 フレイヤとシルヴェリオの会話が終わる頃合いを見計らって、これまで黙って話を聞いていたエレナがシルヴェリオに声をかける。
 
「シルヴェリオ様、差し出がましいとはわかっているのですが、この件をヴェーラ様に話していただけませんか?」
 
 エレナの問いかけに、シルヴェリオはこくりと頷く。綺麗に結わえられた紫色の髪が、彼の頭の動きに合わせてサラリと揺れた。
 
「今まで姉の商団が独占的に販売していた香水を他国の商会に売る可能性がある以上、前もって話をするつもりだ」
「もちろん販売に関するお話合いは必要なのですが、そもそもジャウハラ商会が取引するに値する商会なのか調べていただいた方がよろしいかと思います。シルヴェリオ様もご存じの通り私はつい最近までコルティノーヴィス商団で働いていましたのでイルム王国の商会はほぼ全て覚えていると自負していますが、ジャウハラ商会なんて聞いた事がないのです。新しい商会にしては砂漠を越えてこの国まで来る資金があるようですし……既製品の販売については不可解な部分があるままお取引しない方がよろしいかと思います」

 エレナの話によると、仮にジャウハラ商会が新しく商売を始めたばかりの商会であるのなら、異国まで買い付けに来るのは難しいそうだ。
 砂漠を越えるにはそれなりに資金や人手がいる。砂漠は厳しい環境であるうえに、盗賊や魔物が潜んでいるから装備を整えて護衛を雇わなければならないのだ。

「わかった。この後すぐに屋敷に帰って相談しよう。姉とリベラトーレなら情報を掴めるはずだ」
「あ、あの。少しお待ちいただけますか?」
  
 くるりと踵を返したシルヴェリオを、フレイヤが慌てて呼び止める。
 フレイヤは階段を駆け上がると、程なくして小さな小瓶を手に戻って来た。

「ラベンダーと黄金の実の精油をブレンドしたものです。コットンか、なければハンカチにつけて香りを嗅いでみてください」
 
 フレイヤが小瓶を手渡すと、シルヴェリオは両手で受け取る。微かに、ラベンダーの甘い香りと黄金の実の爽やかな香りがした。
 
「シルヴェリオ様が疲れているように見えたので、お節介かもしれませんが寝る前に使ってみてください。私が持ち運んでいた香油を調香室にあった小瓶に移したものなので、使いかけで申し訳ないのですが……」

 使いかけのものを渡すことに躊躇いがあったようで、フレイヤは申し訳なさそうに眉尻を下げる。

「これを俺のために……」
 
 シルヴェリオは感嘆の呟きを零す。大切そうに小瓶を片手で摘まむと、魔導士団の制服である黒地に銀色の上着の内ポケットの中にしまい込んだ。

「ありがとう。確かに今日は急な仕事が舞い込んできて疲れていたが――フレイさんを見て少し回復したところだ。しかし、この精油は使わせてもらおう。回復薬より効果がありそうだ」
「私を見て回復した……?」

 首を傾げるフレイヤの至近距離で、氷のような美貌が蕩けてフレイヤを見つめる。
 出会ってからほぼ毎日シルヴェリオと顔を合わせて見慣れているはずのフレイヤでさえ、ドキリとするほどの甘い微笑だった。
 
「ああ、疲れを癒してくれるなんて、まるでフレイさんが調香した香りのようだな」
 
 それだけ言い残し、シルヴェリオは工房を出る。外に出ると振り返り、フレイヤを一目見てから停車しているコルティノーヴィス伯爵家の馬車に向かうのだった。

「私を見て回復するって……ど、どういうこと……?」
 
 残されたフレイヤは顔を赤くして呟く。シルヴェリオから向けられた微笑みが、何度も頭の中に浮かんで離れない。

 そんなフレイヤの横顔を、エレナは微笑みを浮かべて見守っている。

「あの冷徹なシルヴェリオ様も甘い言葉を囁くのねぇ。とっても意外だわ。それとも、副工房長のおかげでそうなったのかしらね」

 エレナは小さく呟くと、フレイヤに気づかれる前に視線を外してカウンターの掃除を始めるのだった。
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