追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

99.神秘的な香りをもとめて

 ハーディとマドゥルスは開店一番にやって来た。
 彼らの早い来店に驚くフレイヤたちに、ハーディは人懐っこい笑みを浮かべる。
 
「フレイヤ殿、昨日ぶりだな」
「はい、またご来店いただきありがとうございます」

 接客用の笑みを浮かべつつ、ハーディとマドゥルスを見てしまう。昨日は気になることがありすぎて気づかなかったが、改めて見るとハーディもマドゥルスも彫りが深く、それぞれ異なる雰囲気の美形だ。
 
 ハーディは線の細い貴公子で、マドゥルスは野性味のある美丈夫。二人が並んで王都を歩いていたら目立ちそうだ。
 
「既製品の販売については、今日は工房長の時間が合わないため後日改めて商談の場を設けたいのですが、いつ頃までエイレーネ王国に滞在されますか?」
「ふむ……、建国祭が終わる頃には戻る予定だからそれまでには話したい」

 フレイヤの問いに、ハーディは顎に手を添えて思案しながら答える。
 
 建国祭まで日もある。となれば随分と長い滞在だ。
 砂漠を越える資金に加え異国に長期滞在できるとなると、よほど資金のある商会なのだろう。
 
「それでは日取りについて手紙を送りますので、泊っている宿を教えていただけますか?」
「……ああ、わかった」

 ハーディは首肯すると、マドゥルスにチラと視線を送る。するとマドゥルスはなにも言わずに外套の内ポケットから紙とペンを取り出すと、そこになにやら書きつけてフレイヤに紙を手渡した。
 マドゥルスは護衛と聞いているが、どちらかと言えば貴族の従者のようだ。

 フレイヤは手元の紙に視線を落とす。書かれているのはエイレーネ語で、走りが気にしては綺麗で読みやすい。どうやらマドゥルスもエイレーネ語を嗜んでいるらしい。
 
 紙に書かれていた宿の名前は見覚えがある。海辺にある平民向けの宿だ。
 
「海辺の宿に滞在されているんですね。この宿は部屋から海を眺望できると聞いた事があります」
「ああ、私の国では珍しいから、せっかくの機会だし眺めていたくてね。初めて見た時は感激のあまり言葉が出てこなかったよ」

 その時のことを思い出したのか、ハーディの声はやや弾み、どことなく無邪気な表情を浮かべている。
 
「エイレーネ王国で素敵な思い出をたくさん作ってくださいね。――それでは、調香用の応接室にご案内しますね」
 
 コルティノーヴィス香水工房には二つの応接室がある。
 一つは商会との商談にも使う通常の応接室で一階にあり、もう一つはオリジナルの香りの調香を希望する者への接客の際に使用する調香用の応接室で二階にある。

 フレイヤはハーディとマドゥルスを応接室の奥にある調香用の応接室に通す。そこには一台の調香台(オルガン)が置いてあり、その前に椅子が三つ並ぶ。そして扉をくぐってすぐの場所にも一つだけ椅子が置かれている。
 
 これらの椅子は、ハーディとマドゥルスの来店に備えてエレナが用意してくれたものだ。
 調香台(オルガン)の前に置かれている椅子にはフレイヤとハーディとマドゥルスが座り、扉の前の椅子には付き添いのレンゾが座ることになっている。

「どうぞおかけください」

 フレイヤがそう伝えるとハーディはごく自然に椅子に腰かけたが、マドゥルスはやや気まずそうな表情で椅子を見つめる。

「マドゥルス、座るといい」
「……」
 
 ハーディが声をかけると、ぎこちなく体を動かしてハーディの隣にある椅子に腰掛けた。
 フレイヤもまた椅子に腰かけると、調香台(オルガン)の上に置いていた紙とペンを引き寄せる。
 
「どのような香りをご希望ですか?」
「魔除けになりそうな神秘的な香りがいい。作れるだろうか?」
「神秘的な香り……ですか」

 抽象的な要望を出されてしまい、フレイヤは思案する。
 神秘的な香りとは、人によって異なるだろう。その者の触れてきた文化や好みによって変わってくるのだ。
 
「ハーディさんのご希望の香りを作れるよう、試しに今から用意する香りを嗅いでいただきます」

 フレイヤは紙にスラスラと精油の名前を書くと、調香台(オルガン)の棚からいくつかの精油を取り出して並べる。

 まずはイランイランとミルラの精油が入った瓶を自分の近くに引き寄せた。
 それぞれの精油の瓶の蓋を開け、瓶の口から試香紙(ムエット)をすっと差し込んで引き抜く。そうして二枚の試香紙(ムエット)を扇のように広げた状態で手に持つ。

試香紙(ムエット)をこのように動かして香りを嗅いでみてください」

 実際に香りを嗅ぐ動きを見せた後、ハーディに手渡した。
 ハーディは興味津々な様子で受け取ると、フレイヤを真似て香りを嗅ぐ。
 
「おお、なんだか親しみのある香りだ」
「このような東方の香や樹脂を用いた香りを、私たち調香師はオリエンタルノートと呼んでいます。こちらの香りは神秘さを感じますか?」
「う~ん、嗅ぎなれた香りだから神秘さは感じないな」
「やはり……では、こちらはどうでしょう?」
 
 フレイヤはサンダルウッドとアンバーの精油が入った瓶を引き寄せ、同じように試香紙(ムエット)を浸してハーディに手渡す。
 ハーディは慣れた所作で香りを嗅いだ。
 
「この組み合わせのような、温かさと重みのある樹木の香りはウッディノートと呼んでいます」
「先ほどとやや雰囲気が違うが、やはり神秘さはないな」
「なるほど……それでは、こちらの香りはいかがでしょう?」
 
 今度はローズとラベンダーの精油に浸した試香紙(ムエット)をハーディに渡し、彼の表情をつぶさに観察する。

「おお、華やかな香りだな」
「ローズとラベンダーの精油を組み合わせた香りで、これらのような花を組み合わせた香りをフローラルノートと呼ばれています」
「良い香りだが、神秘さより華やかさが勝るな」
「なるほど……」

 フレイヤは小さく呟くと、紙に三角とバツ印を書き足している。フローラルノートの精油の組み合わせのそばに三角を描き、オリエンタルノートとウッディノートの組み合わせのそばにはバツ印をつけた。

 書き出した精油の組み合わせを読み返したフレイヤは満足げに微笑んで頷くと、ペパーミントとユーカリの精油に浸した試香紙(ムエット)をハーディに手渡した。
 
「次にグリーンノートと呼ばれる、新鮮な青葉を連想させる香りの組み合わせを紹介しますね」

 試香紙(ムエット)を動かして香りを嗅いだ途端、ハーディは黄金色の目を大きく見開いた。

「こ、この香りだ! 爽やかな風と豊かな緑を感じさせて……なんて神秘的な香りなのだろう!」

 よほど感激したのか、ハーディは隣にいるマドゥルスにも試香紙(ムエット)を渡して匂いを嗅がせた。
 
(どうにかハーディさんにとって神秘的な香りを見つけられてよかった)

 フレイヤは内心胸を撫でおろす。

 エイレーネ王国の人々、とりわけ香水に慣れ親しんでいる貴族たちにとっては、神秘的な香りといえば異国情緒溢れて非日常を感じさせてくれる東方の素材を用いたオリエンタルノートを差すことが多い。
 しかしその東方の一国の出身であるハーディにとってオリエンタルノートの香りは嗅ぎなれているもので、日常的な香りなのだ。
 
 砂漠地帯に住むハーディにとっては青々とした植物の香りの方が非日常で神秘的な香りに思えたようだ。

 それからフレイヤとハーディは更に打合せをし、ライムの精油も足して爽やかな香りに仕上げた。

「フレイヤ殿、その香水に呪いや魔の物を祓う祝福を込めてくれないだろうか?」

 フレイヤが商品用の香水瓶に精油を入れていると、ハーディが懇願するような顔つきで問うた。

 まるでなにかに追い詰められているような様子だ。できれば力になりたいが、生憎自分は祝福を込める力を持ち合わせていない。
 
「祝福を込めるような能力はありませんが、ハーディさんをそれらから守ってくれるよう祈りを込めますね」
「私を守るように、か……」

 パチパチと目を瞬かせ、ハーディはフレイヤの言葉を口の中で転がす。
 
「……フレイヤ殿の気遣いに感謝する」

 心から嬉しそうな声で礼を口にするのに、やや寂しげな微笑を浮かべていた。
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