唇を隠して，それでも君に恋したい。

プロローグ

「んべ」



トイレの洗面所，鏡前。

押すと痛む肉厚を，その手と目で確認する。

じっとした自分と目が合って，僕はそっと瞳を閉じた。

水の流れる音，同時に聞こえたドアの開閉。




「ーーなにしてんだ？　伊織」



僕より低い，男の声がする。




「……ああ，ううん。何でもないよ」



どきりとした僕は，そう言って瞼を持ち上げると，マスクを鼻までしっかりと引っ掛けた。



「戻ろうか，敦(あつし)」



慣れた作り笑顔。

顔のほとんどをマスクと言う布に覆われた僕がそれを表現するのは，とても簡単な事だった。

その，嘘まみれの取り繕った表情は，とても親友に向けるものではない。

だけどそれも，仕方の無いこと。

だって僕が敦に向ける感情は，親友なんて関係にはくくれない。

2年2組　中村　敦。

それは僕の好きな人……ー僕が，恋をしている相手の名前だから。

けれど，僕がこの事を打ち明けるには，あまりに弊害が多すぎる。

この世はいつも……僕にとっては甘く冷たく，残酷なものだ。

言葉を隠し，秘密を隠し





『唇を隠して，それでも君に恋したい。』




💛start☆