Love is blind〜無口で無愛想な作家は抑えられない独占愛を綴る〜
「斎藤様の娘さん、あの街に住んでいるんですか⁈」

 春香は驚き、つい大きな声を出してしまう。

「あら、行ったことあるの?」

 斎藤がにこやかにそう言ったが、春香は返事に困って苦笑いをする。

「い、いえ……友人に遊びにおいでと誘われていて……」
「あの辺りに住んでいるお友達がいるの? じゃあきっと娘と知り合いかもしれないわね!」

 いまさら後には引けず、とりあえず笑顔でやり過ごすことにする。

「最近は若い方の移住が多くて、新しいお店が出来たりして結構栄えてるのよ。でも少し山寄りになると閑静な住宅地でね、セキュリティもしっかりしたマンションが増えてるんですって。夏は花火大会も夏祭りもあるし、漁港が近くにあるから魚も安くて美味しいわよ」

 意気揚々と話す内容を聞いていると、その街に行ったことがある人だからこそ知る街の姿を知り、春香は不思議とわくわくした。

 瑠維にホームページを見せてもらった時とは違い、行ってみたいと思えてきたのだ。

「素敵な街なんですね。知りませんでした」
「私も娘が引っ越すまでは知らなかったんだけどねぇ。百聞は一見にしかずとはよく言ったものだわ。まだまだ自分の知らない場所があるんだって教えてもらえたから」
「確かに……私も自分の周りのことしか知らない気がします」

 異動をするにしても、つい自分が住む街や暮らしてきた場所を想定していることが当たり前のように思っていた。この職場に配属された時も、よく学生時代に遊んだ場所だからと安心していたのだ。

 でも学校や仕事によって、何も知らない土地で新しい生活を始める人だっている。それなのに当たり前を自分で決めてしまっていた。

 慣れ親しんだ場所を離れるのはやはりどこか不安もあるけれど、もしかしたらその地で待っている新しい出会いや可能性があるかもしれない。

 それを逃してしまうのって少しもったいないかもしれないーー春香の中で前向きな気持ちが生まれ始めていた。

「そうそう。意外と"住めば都"かもしれないしね。じゃあまた来るわね!」
「はい、本日もありがとうございました! お気をつけて」

 春香に向かって手を振る後ろ姿を見送りながら、先ほどまでとは全く違い、心が晴れやかに澄み渡っている気がする。

 斎藤の話を聞いていると、一度行ってみたくなった。もしかしたら自分にとっても"住めば都"かもしれない。

 瑠維くんは私から離れたくないと言ってくれた。それは私も同じ気持ち。でも本当は買った家に引っ越したいはず。それなのに彼は私の勤務地に合わせて一緒に住もうと言ってくれた。よく考えたら、私にばかり合わせるのもおかしな話。

 今大切にしたいのは何だろうーー春香は自分の心に問いかける。瑠維との関係はもちろん、仕事だって続けたい。

 どちらかが我慢をするんじゃなくて、お互いを尊重出来るような選択するにはどうしたらいいのだろう。

 その時春香の頭にはある考えが浮かんでいた。店長の出勤したら相談してみよう。

 足取りが軽くなり、満面の笑みで店内に戻った。
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