人質公女の身代わりになったら、騎士団長の溺愛に囚われました

5 揺らぐ灯

 手探りのように始まった晩餐は、食事も会話もそれほど進んだわけではなかった。
 ローザは食堂娘には向いていないと街の人にからかわれるほど人見知りであったし、騎士団長も食堂に来ていた頃からのように無口だった。
 けれどふとローザが食事の手を止めて顔を上げると、食堂にいた頃から自分に注がれてきた不思議なまなざしがある。
 黙ってみつめられるのは居心地が悪くなってもおかしくないのに、今日は心が静かだった。部屋を明々と照らしだす、暖炉のぬくもりのおかげかもしれなかった。
 ローザは食事も終わりに差し掛かろうとした頃、ようやく自分から声をかけた。
「騎士団長様、もてなしいただいてありがとうございました」
 ローザは食堂で働いているが、客に出すのと自分が取る食事はまったく違う。ローザが普段口にするのはパンとミルクにわずかな野菜だけで、今晩のように肉を食べることすらまれだった。
 彼は少し考えて、ぽつりと告げる。
「大したことはしていない。あと私のことは、ディアスでいい」
「ディアス……」
 ローザが小声で彼を呼ぶと、彼は目をほころばせた。
 呼び名ひとつでも、ローザには遠く仰ぎ見ていた騎士団長という存在が少し身近に思えた。ローザは彼にならって、自分のことも口にする。
「私のことも、ローザとお呼びいただけますか?」
 彼が一度目を伏せて、ローザの名を口にしようとしたときだった。
 ふっと燭台の灯が消えて、辺りに霧のような静寂が立ち込めた。ローザは見えなくなった彼の姿を目で追って、暗闇の中を探す。
 けれどよく辺りをうかがえば、暖炉はまだ明々と燃えていた。それなのに、向かいの席が見えないのは不思議なことだった。
「……ディアス?」
 ローザがそうつぶやいたときは、彼は元通りに席についていた。
 時間にしてほんの一瞬の心地は、彼という存在をまた遠くに感じさせる。
 ディアスは困ったようにほほえむと、ローザに優しく声をかける。
「ゆっくりでいい。好きなだけ食べなさい」
 そう言って、彼とローザの晩餐は長く続いた。
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