人質公女の身代わりになったら、騎士団長の溺愛に囚われました

4 霧の晩餐

 騎士団長の屋敷は、冬の城塞の外れにひっそりと建っていた。
 背後に絶壁の海が迫るそこは、確かに人質を入れておくには絶好の牢獄に違いない。
「妻……?」
 けれど彼の妻として暮らすというのは、ローザにはまるで実感がなかった。
 使用人に通されたそこは、母と暮らした家がいくつも入ってしまいそうな広い居室だった。白いレースが窓からそよぐ風に揺れていて、南向きの温かな部屋だった。
 使用人の中には侍女らしき女性もいて、戸惑ったようにたたずむローザに声をかける。
「馬車に揺られてお疲れでしょう。晩餐にはお声がけいたしますので、それまでごゆっくりお過ごしください」
「あ……」
 ローザはこの待遇が何かを訊ねようとしたが、酷く扱われているのでもないのに訴えるのは身の程が過ぎる。
 結局侍女に何も言えず、彼女が去った後も椅子に掛けてひとときを過ごしていた。
 屋敷にやって来たときはまだ淡い昼の光が差し込む頃だったが、冬の城塞の昼は短い。窓際で落ちていく陽を眺めていて、気づけば夜になっていた。
 侍女に導かれてローザが入ったのは、明々と暖炉が燃える半地下の一室だった。天井には古い時代のモザイク画が刻まれ、静かな気持ちにさせる晩餐部屋だった。
 騎士団長は既に席についてローザを待っていた。白いテーブルの向かい側から、彼はローザの顔色に苦笑して言う。
「君の緊張が解けるには少し時間が要るのだろう。食べられるものだけ食べるといい」
 彼が示したテーブルの上には、豪勢ではないがもてなしの意が見える食事が並んでいた。柔らかく肉を煮込んだスープや焼き立てのパン、たっぷりと野菜と卵があしらわれたパイ、いずれもローザに空腹を思い出させた。
 けれどローザはそれらに手をつける前に、問うように騎士団長をみつめた。彼はそのまなざしに気づいたのか、首を傾げてローザに言葉をうながす。
「ここには私のような女性が……何人ほどいるのでしょうか」
 大公の暴力で生まれ、父のいない子として育ったローザは、妻というものがどういうものかわからなかった。
 ローザは不思議そうに問いを重ねる。
「それともこれから、お迎えになるのですか?」
 彼はローザの言葉に少し驚いたようだった。彼は考えて、さとすようにローザに言う。
「私たちにはやはり少し時間が必要なのだろう。……ただ」
 彼はローザをみつめて言った。
「私は君を、唯一の人として迎えるつもりだよ」
 ローザはその言葉を、価値のある人質ということなのかしらと思った。
 まだ彼の心を少しも理解できない霧の中のような心地で、晩餐が始まった。
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