勇者倒しに行ってきますっ! 〜天才少年は最強王女のお気に入りなのです〜

17 ずっと偽っていたら

【三章】



 わかっているつもりだった。

『私の愛しいティア。大人しくしていてね』

 会者定離、という言葉があるように

『おかあさま……?』

 出会えば必然に別れがある。

『ティア』

 それは例え突然に

『かあさまはティアのこと』

 残酷に奪われようともーー

『ずっと、愛しているわ』


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(お母様……)

 三日に一度、アストライアは夢をみる。母と交わした、最後のやりとりだ。あのやりとりの後、アストライアの母は人間によって殺された。

 重たい体を起こし、汗で濡れた額を拭う。夏だからだろうか。湿気が強く、歩くのもすぐにやめてしまいたくなるような、そんな日だった。

(【氷結】【風吹】【創造】……)

 アストライアは前者の二つで部屋の気温を下げ、後者で新しいネグリジェに着替えた。純白のレースやフリル、緻密に縫われたビーズの刺繍は見る者の視線を惹きつける。

 どこで売られているのか、と尋ねても、きっと望むような回答は得られないだろう。アストライアの着る服のほとんどは、アストライア自身が創っているのだから。

 詠唱しなくては使えない魔法も、アストライアはそのほとんどを無詠唱で使うことができる。全てはアストライアの努力と才能によるものだ。

 その原動力は好奇心と探求心の二つ。本当はもう一つあったのだが、今はもう失ってしまっている。戻ることも、おそらくはないだろう。

(お母様……)

 下を向いてしまうと、涙が溢れるかもしれないと思い、アストライアは上を向いた。

(……【創造】【模倣】)

 アストライアは魔法で自分自身を創り上げる。姿形が瓜二つのアストライアが出来上がると、アストライアは偽物のアストライアに自分と同等の魔力を発させる。

 これで完璧な二人目のアストライアだ。

「私が帰ってくるまで、寝ていて」
「わかったわ」

 声もそっくりだ。

 偽物のアストライアは布団に戻り、眠りについた。そして本物のアストライアは、フローラに見つからないように、なるべく魔法の痕跡を残さずに展開、発動させた。

(【転移】)


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 アストライアの朝は、ここから始まる。視界一面に広がる薔薇の花畑に転移し、ある人に会うのだ。

 薔薇は全て、アストライアの瞳と同じ色をしていた。

 そんな中に一人、透明なケースに入れられ眠っている女性がいた。女性はアプリコットの髪に、鮮やかな赤色をしたドレスを見に纏っていた。

 この時点で勘の良い者は、女性が故人であることを悟る。そして聡明な者は、この故人がアストライアの母であることもわかるだろう。

(お母様……)

 アストライアの母ーーリリスエッタはとても素晴らしい人だった。困っている人がいたら助けるような、自分にできることがあればなんでもする、アストライアの自慢の母だった。

 そんなリリスエッタが亡くなったのは今から四年弱ほど前のことだ。原因は、不慮の事故ということになっているが、本当は人間に殺されてしまったのだ。

 リリスエッタは魔力もそこまで強くなければ、武術に長けているわけでもない、ごく普通の一般の魔族だった。魔王ライゼーテの正妻になったのは、稀な恋愛結婚によるものだ。

 ライゼーテには政略結婚でもう一人の妻がいる。いわゆる、アストライアの継母(ままはは)だ。そちらの方は魔力も高く、教養もしっかりと身についている上級貴族の女性である。

 リリスエッタが殺されたのは、そんな継母の仕業(しわざ)ではないか、と一時期考えがよぎったが、そんなことをするような女性ではないとアストライアは知っていた。

 誰であろうともリリスエッタを害すれば、ライゼーテの怒りを買うと知っていたからである。

『リズ、リズ……っ! ああああああああああぁっ!!!』

 アストライアがライゼーテの泣いている姿を見たのは、リリスエッタが死んだ時だけだった。最愛の妻を亡くしたライゼーテは、ひどく苦しんでいた。



(ーーだからこそ、誰もお母様を殺した犯人が勇者だと言える者など、いなかったのよね)



 今もまだ、ライゼーテは犯人を知らずにいる。国民も同じだ。この事実を知る者はごく一部しか知らない。

 その後すぐにライゼーテはアストライアをより一層溺愛するようになった。アストライアはリリスエッタの容姿のほとんどを受け継いでいたからかもしれない。

 アプリコットの髪に、ローズレッドの瞳。アストライアと同じ髪の色、瞳の色だ。そして何より、ふっと微笑んだ時の表情は、誰もが二人を親子だと認識せざるを得ないものがあった。

 リリスエッタとアストライアは、何もかもが酷似していたのだ。

(だからお父様は私を愛してくれるのね)

 リリスエッタの死から思考を逃れるため、アストライアをリリスエッタの代わりに寵愛しているのではないか。

 そうとしか、アストライアは考えられなかった。

 そして、もう一つリリスエッタの死には原因がある。アストライアはその原因を作った者こそが、勇者以上に殺されなければならないと思っている。

(……なんで、殺されないのかしら)

 その、人物はーー



(私なんか、死んでしまえばよかったのに……っ)



 アストライアは大粒の涙を流す。自虐の念が、アストライアを襲う。自殺しようと何度も思った。だが、実行に移せないのはーー

(死ねば、いいのに……っ)

 アストライアは短剣を作り、喉元の近くには先を向ける。だが、手はギリギリで止まったままだ。

(死ぬべき、なのに……っ)

 未練があるのか、自殺することは不可能だった。そして今は、死ねば何も償えないから生きなければ、と保身の思考が巡っている。

(大っ嫌い……私なんて、大嫌いよ……)

 短剣を消し、目元を拭う。そして誰にも見つからない場所に転移した。


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 魔王城の一番上の塔から見下ろすと、いかに魔界が広いかが窺える。ここから飛び降りれば死ぬことは可能だろうか、なんて考えるが、すぐに誰かに見つかって助かるだけだろう。

「ーーーー………………」

 朝の涼しい風が横切る。目元が敏感になっているのか、くすぐったく感じた。

 すると、どこからか風を切る音がアストライアの耳に届く。

(……何かしら、この音)

 場所は騎士の稽古場だろうか。だが、こんなにも朝早くから練習するとは聞いたことがない。

(誰が鍛錬しているのかしら……)

 少し気になり、魔力探知などで探ろうと思ったが、その前に片付けなければならない事項が発生した。

「…………隠れていないで出てきたら? オリバー」

 アストライアは後ろの方に向かって呼びかける。相手は隠す素振りもなく気配を現した。

「さすがですね、アストライア姫」
「姫だなんて思ってもないくせに、よく言えるわね」
「おやおや、今日は気分があまり優れないようで。そのようなつもりは全くなかったのですが……申し訳ございませんでした、アストライア様」

 アストライアは「ふんっ」と不機嫌な表情を作る。

「偽りのオリバー、なんて言われているそうな、あなた」
「お恥ずかしい……そのような二つ名があるだなんて、有名になってしまった証拠です。任務に支障がなければいいのですが……」
「そんな噂如きで支障が出るのなら、とっくに主人に解雇されていることでしょうね」
「……もしかして、褒めてくださってます?」
「想像にお任せするわ」

 オリバーとはアストライアの有力騎士候補だったので、何度か会っている。が、なかなか素顔を見せてくれないため信用に欠け、結局は魔王の次に命を狙われているアストライアの兄の従者になった。

(エドワード兄様も物好きなものね。こんな得体の知れない奴を従者にするだなんて……。まあでも、オリバーは隠密行動に長けてるし、実力もある。妥当と言えば妥当ね)

 いったい、オリバーはいくつの顔を持っているのだろうか。女性になることもあったりして……、などと考えたこともある。もし女性に変装していた場合、その美貌を男性陣にも使うことになる。

(ーー絶対ないわね。女性になったら騎士たちの質が落ちそうだわ)
「? どうかしましたか?」
「いーえ、なにも」

 しれっと嘘をつくアストライア。そして強引に心の中でこの話題に幕を下ろした。

「……でも、ずっと偽っていたら、いつか本当の自分がわからなくなりそうだとは思ったわね」
「…………そうですね」
「あなたはどうしているの? オリバー」
「私はーー」

 オリバーは一拍溜めると、アストライアにこう告げた。

「本当の素顔を見せることができる者と会うことが重要かと思います」
「ふうん……家族とか?」
「ご想像にお任せ致します」
「…………」

 オリバーのそれは、家族だと勝手にアストライアは認識し、決定することにした。

(……私は到底、そんな人に会えそうにないわ)

 アストライアの悩んでいることは、家族に話すことなどできないものだ。大好きな母はもうこの世にはおらず、父になど打ち明けるような事柄ではない。兄や姉はいるが、普段から忙しく、会うことは滅多にないため、候補には上がらない。

 アストライアが素顔を見せることができる者は、今、この世にはいないのかも知れない。

「ですが」

 オリバーはゆっくりと、はっきりと言った。

「そのような者に会えたのならば、きっと、私たちは幸せになれると思います」
「……あっそ」

 しれっと私たち、と言ったオリバー。

 アストライアは深く息を吐くと、「じゃあね」とオリバーに言って自室へと転移した。

「ええ、また」

 オリバーの言葉は、誰にも届かない。

「……きっと、もうすぐ会えますよアストライア様」

 だからこそ、オリバーはそう呟いた。

 オリバーの言葉を、風は気まぐれにさらっていった。


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