初恋の終焉〜悪女に仕立てられた残念令嬢は犬猿の仲の腹黒貴公子の執愛に堕ちる

星の海


 溢れ出した涙に、漏れそうになる嗚咽。

 貴人用の個室を飛び出したエリザベスは一人になれる場所を探し、長い回廊を走る。淑女たるものドレスを翻し走るなど、はしたないと後ろ指を指されても文句は言えない。ただそんな些末な事に構っていられるほどの余裕、今のエリザベスにはなかった。

 廊下の壁面に飾られた色鮮やかな絵画も、天井から吊り下げられた凝った造りのシャンデリアも滲んだエリザベスの視界には入らない。

 早く一人になりたい。その想いだけがエリザベスの足を動かす。

 足を止めてしまえば、きっとその場にくず折れてしまう。そして、みっともなく泣きじゃくってしまう。

 どれくらいの距離を走ったのだろうか。長い回路を抜けた先、突然目に飛び込んで来た街の夜景にエリザベスの足が止まる。

「きれい……」

 金、銀と煌めく街の光が闇夜に浮かび、無数の星のように観える。まるで星の海を眺めているような錯覚を覚えたエリザベスは、ガラス窓へと近づき時を忘れ眺める。

(なんて綺麗なの……)

 美しい夜景に魅入られたエリザベスは、バルコニーへと続く扉へと足を向けた。

 ドアノブに手をかけひねれば、カチャっという小さな音を鳴らし扉が開かれる。バルコニーに敷き詰められたタイル張りの床へとエリザベスが足を踏み入れれば、優しい夜風が頬を撫で、美しい銀色の髪が風にさらわれなびいた。

 青と白を組み合わせたモザイク柄の床は、月の光に照らされ、見ているだけで感嘆の声をあげてしまいそうなほどに美しい。

(こんな素敵な場所があったなんてね。まるで、星の海を歩いているみたいだわ)

 キラキラと輝く街の光に、青と白を組み合わせて造られたタイル張りの床。そして、遠くから聴こえるメロディーが、あの夜会の記憶を呼び覚ます。

(この曲……、ハインツ様と踊った曲だわ)

 エリザベスの両腕が自然と上がりホールドを張ると、曲に合わせてステップを踏み始めた。

 友人の成婚披露パーティーで初めてハインツと踊った曲。

 ウィリアムと踊るためだけに必死に覚えたダンスのステップ。体が覚えるまで何度も何度も練習した。しかし、殿下と踊ることは最後まで出来なかった。壁の花になるしか出来なかった日々。そんなエリザベスの努力に気づき、認めてくれた人。

 彼が紡いでくれた言葉全てが嘘だったとは思いたくない。利のためだけについた嘘だとは。

 曲の終わりと共にステップを踏んでいたエリザベスの足が止まる。遠くから聴こえる拍手の音に、観劇が終わったことを知った。

(あの悪役令嬢は騎士に連れられ、舞台から退場したのかしらね……)

 膝をつき項垂れていた悪役令嬢と自分が重なり止まっていた涙が溢れ出し、エリザベスは膝から崩れ落ちた。

(彼女の末路はどうなるのだろうか?)

 あの観劇の内容はあまり覚えていない。

 彼女の犯した罪とはなんだったのか? 舞台から引き摺り下ろされるほどの罪だったのだろうか?

 あの劇を観ていた観客の誰もが悪役令嬢の退場に喝采を贈っていた。彼女の味方は誰一人としていなかった。

 婚約者をヒロインに奪われ、狂気へと変貌した悪役令嬢。彼女に同情の余地はなかったのか。

 フィナーレでそんな事を思っている者はいない。遠くから聴こえてくる歓声と拍手の音が全てを物語っていた。

 悪役が退場してこそ物語は終わる。主役さえ幸せになれば観客は満足する残酷な世界。退場した悪役令嬢がどんな末路を迎えるかなど誰も興味はないだろう。

 そう誰も悪役令嬢の末路になど興味はない。人知れず消えていく存在。

 沸々と湧き上がる怒りがエリザベスの体を熱くする。

 ウィリアムに捨てられ、今度はハインツの思惑の道具とされる。

 悪女と罵られ社交界から爪弾きにされた者は、理不尽な事でさえ甘んじて受け入れなければならないのか? 

(このままハインツ様の駒になどなってたまるもんですか! 徹底的に抵抗してやる。絶対に彼の思惑通りになんてならないわ!!)

 沸々と込み上げてきた闘争心のまま、溢れ出した涙を拭うと、エリザベスは立ち上がる。

 その時だった。突然背後からかけられた声にエリザベスの肩が震える。

「――エリザベス様、こちらでしたか」

 おそおそる振り返った先で見た人物の顔にエリザベスの心臓が嫌な音を立て軋みだした。

 なぜ、彼がここにいるの? レオナルド・マレイユ――
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