初恋の終焉〜悪女に仕立てられた残念令嬢は犬猿の仲の腹黒貴公子の執愛に堕ちる

真相の片鱗


「――あ、あの……、顔を上げてください」

 エリザベスの目の前には、膝を折り床に額を押しつけ震えながら謝罪の言葉を紡ぐ女性がいる。

 年の頃は、エリザベスと同じくらいだろうか。黒のシスター服に十字のロザリオをつけているあたり、この教会のシスターで間違いはないのだが、必死に謝られる理由にエリザベスは心当たりがない。

(例のシスターよね。ハインツ様がお熱をあげていると噂の)

 じゃあ、彼女が必死に謝る理由は、ハインツ様と浮気をしてしまったから?

 頭に浮かんだ疑問のままに、エリザベスは視線をハインツへと向けるが、当の本人は笑いを堪え下を向いている。よっぽど今の状況が笑いのツボにはまったのか、肩まで震わせている。

(あの様子では、目の前のシスターとハインツ様の浮気は百パーセント無いのは確かね)

 では、何故彼女はこんなにも必死に謝るのだろうか? 

 しかも、面識が無いにも関わらず、彼女はエリザベスの名前を知っていた。

(私が覚えていないだけで、面識があったのかしら?)

 エリザベスの頭の中を疑問符がクルクルと回るが、いっこうに答えは見えない。

「あの、シスター。私、貴方様に謝られる理由に心当たりがございませんの。失礼を承知でお聞きしますが、以前どこかでお会いしたことがありましたでしょうか?」

 膝をつき、頭を下げ続けるシスターの手を取り、エリザベスは目線を合わせるため屈む。手から伝わる震えが、彼女が極度に緊張している事を知らしめていた。

「顔を上げてはくれませんか? これではお話も出来ませんわ」

 出来るだけ優しく話しかければ、シスターはやっと顔を上げてくれた。涙に濡れた顔を間近で見てもやはり見覚えはない。

「シスター、本当に謝罪を受ける理由がわかりませんの。もし、貴方様が罪悪感を抱いているのであれば、その理由を話してはくれませんか?」

「……エリザベス様、私は罪深き女です。私がした事は許されることではありません。ただ、子に罪はないのです。どうかお願いです。私はどんな罰でも甘んじて受けます。どうか、あの子だけは見逃してください。どうか、どうか――」

 あの子? あの子とは誰なの? 子に罪はないと聞こえた気がするけど……、気のせいかしら?

 エリザベスは助けを求めハインツの方を見るが、笑いのツボから未だに抜け出せないのか、ハインツは背を向け笑いを堪えて震えている。あの状態では全く当てにならないだろう。

「えっと……、子というのは誰のことですか?」

「――ウィリアム殿下との子です」

「はっ?……、ハァァアァァ!!!?」

 ウィリアム殿下の子、ウィリアム殿下の子……

 エリザベスの頭の中を彼女の言った言葉がクルクルと回る。

(いったいどう言うことなの!?)

 予想の範疇を大きく超える衝撃にエリザベスはよろける。

 出来ることなら、このまま倒れてしまいたいと心が叫ぶ。

「えっと……、ちょっとよろしいですか? では、貴方の浮気相手はハインツ様ではなく、ウィリアム殿下?」

「えっ? なぜ、ハインツ様の名前が出てくるのですか?」

「いやぁ……、あの、そのぉぉ……」

 困惑顔のシスターを前に、ハインツの浮気相手だと勘違いして二人の浮気現場を抑えるために、ここまで遠路はるばるやって来ましたなど口が裂けても言えない。絶対に。

 内心冷や汗をタラタラ流しつつ、言い訳を必死で考えているエリザベスの後ろで、堪えきれず吹き出したかのような笑い声が一瞬響く。

 反射的に背後を振り返ったエリザベスは、壁に手をつき必死で笑いを堪えるハインツを見て堪忍袋の尾が切れた。

(まったく、あの男は!!!!)

 カツカツと靴音を鳴らしハインツの背後に近づいたエリザベスは、振り上げ手を渾身の力を込め、壁に叩きつけた。

 バンっ!と派手な音が鳴り響き、壁に当てたエリザベスの手がジンジンと痺れる。

「ハインツ様……、いい加減になさいませ」

 腹の底から出たエリザベスの声が、思いのほか低く部屋に響く。

「貴方、真相をご存じね。さっさとしゃべらないと、このまま股間を蹴り上げますよ」

「それは、流石に嫌だな。笑うつもりは全くなかったのですが、エリザベスがあまりに可愛くて、つい……」

「か、可愛い!? いい加減からかうのは――」

「――からかっているつもりはないのですがね。シスター、私から話してもよろしいですか?」

 深々と頭を下げるシスターにうなづき、ハインツが事の真相を話し出した。

 彼女の名は『レベッカ・ウォルター』と言う。ウォルター伯爵家の次女だったと。

「ウォルター伯爵家と言うと第二王子派の貴族ですね。でも、なぜ伯爵家のご令嬢がこんな辺鄙なところでシスターなどやっておられるのかしら?」

「それは、ウィリアム殿下の子を身籠ったからですよ」

「つまりは、王位継承権を持つ子を身籠ったために、王家によって監禁されている!? なんてことなの……」

「まぁ、似たり寄ったりです。ただ、レベッカさんには特別な事情もあるようで、伯爵家へ戻る事は望んでいないみたいですがね」

 確かに、王子殿下と浮気した挙句、子まで身籠ったとなれば大騒ぎになる。しかし、そんな話どこからも出ていない。つまり、レベッカは秘密裏に此処へ連れて来られたと言うことだ。

(でも不思議だわ。なぜ娘が突然消えたにも関わらず、ウォルター伯爵家は騒いでいないの?)

「あの一つ聞いてもよろしいですか。なぜウォルター伯爵家は、娘が突然行方知れずになったのに大騒ぎしていないのですか?」

「それは、私の家庭環境に理由があるのです」

 泣き伏していたレベッカが意を決したのか、顔をあげ話し出す。

「ウォルター伯爵家にとって私は、居ても居なくても同じ存在だからです」

 意を決した彼女が話す身の上話は、エリザベスの想像をはるかに超えるほど過酷なものだった。
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