初恋の終焉〜悪女に仕立てられた残念令嬢は犬猿の仲の腹黒貴公子の執愛に堕ちる

初恋の終焉


「その手を離してください」

 ウィリアムに掴まれた腕を見下ろし、エリザベスの口から冷ややかな声が出る。婚約者だった頃にはあり得なかったエリザベスの態度に、面食らっている事だろう。

「ウィリアム殿下、聞こえませんでしたか? その手を離してくださいと言いました」

「なんだと! エリザベス、なんだその態度は!!」

「婚約者のいる女性に対して許可もなく触れるなど、殿下の態度の方が責められるべきかと思いますが」

「貴様!!」

 エリザベスの言葉に憤怒の表情を浮かべたウィリアムの手が振り上げられる。それを見たエリザベスは、持っていた扇子で彼の手を冷静に払い落とす。

 その態度が、ウィリアムの怒りをさらに煽るであろうことは承知の上だ。

 たとえ怒りを買ったとしても、ウィリアムに腕を掴まれているという事実が、エリザベスは我慢ならなかった。

「エリザベス! こっちへ来い。どうせ拗ねているだけなのだろう。結婚など出来ない公爵家の男と婚約したのも、俺に対する意趣返しだったのであろう。自分を見てくれない俺に対する仕返しだったのか。可愛いことをしてくれる。寄りを戻そうではないか。父も母も、きっと歓迎してくれる」

「ウィリアム殿下、何を勘違いされているのですか? まさか、今でも私が貴方様の事を愛しているとでも、お思いですか? 婚約破棄を言い渡したのは、殿下ですよね」

「ち、違う! あの婚約破棄は、マリアに唆されて……、決して俺の意志ではなかった。マリアに嘘を吹き込まれさえしなければ、俺は今でもエリザベスと婚約をしている」

 確かにマリア男爵令嬢という毒婦がウィリアムに近づかなければ、今でもエリザベスは彼と婚約していた事だろう。

 ウィリアムの浮気癖を利用して公爵令嬢から王太子妃の座を奪ってやろうなどと、大それた事を考える貴族はそうそういない。それ程までに、貴族社会に与える公爵家の力は絶大なのだ。

 せいぜい、浮気相手として、裏でコソコソ密会を繰り返す程度が関の山だろう。

「――そうかもしれませんわね。マリア男爵令嬢が現れなければ、今でも私は貴方様と婚約していたでしょう」

「だったら、今すぐ婚約をし直せばいい。あぁ、そうだ……、婚約など面倒だ。ちょうど明日は、婚礼の儀ではないか。このままマリアの代わりに、エリザベスお前が俺と結婚すればいい」

 熱に浮かされたように言葉を紡ぐウィリアムを見るエリザベスの目が徐々に据わっていく。

(この男は何を言っているの。マリア男爵令嬢の代わりに、花嫁になれだなんて……)

 事の成り行きを見守っていた貴族の反応も、ウィリアムの言動を聞き冷ややかなものへと変わる。一瞬で変化した場の空気にすら、ウィリアムは気づいていないのだろうか。

 頬を紅潮させて戯言を言い続けるウィリアムに周りは見えていない。

 全てを肯定してくれる自分の世界に閉じこもる事を選んだウィリアムに、真実を突きつける時が来たようだ。

「そうですか。私がウィリアム殿下と明日結婚する……。それを神はお許しになりませんわ」

「いいや、そんな事はない。王位継承権を持つ王子との結婚だぞ。誰も反対などしない。神ですら俺たちの結婚を祝福する」

「ふふふ、では聞いてみましょうか。神の御心を」

 スッと伸ばした手を合図に、会場の扉が開かれる。

 ざわめきと共に人垣が割れ、現れた人物を認めたウィリアムの目が驚きに見開かれた。その様を見つめ、エリザベスの口角が上がっていく。

(わたし……、今とっても悪い顔している。これぞ悪女という顔をしているわね、きっと)

 そう思うだけで、なぜだか勇気が湧いてくる。

 レベッカさん。反撃開始ですわ。

「――レベッカ、なぜ君がここに……」

「お久しぶりです、ウィリアム殿下」

 ウィリアムに一礼したレベッカと一瞬目が合うが、彼女はすぐ視線を外し、陛下へと向き直る。

 意志を宿した強い眼差し。今の彼女なら大丈夫。ウィリアムの呪縛に囚われることはもうないだろう。

「陛下、一介のシスターがこの場を借りて発言させて頂く無礼をお許しください。私はウォルター伯爵家の娘レベッカでございます。訳あって今は家から離れ、とある教会のシスターをやっております。以前、私は側妃様付き侍女として王城で働いておりました。侍女として側妃様の元で働いていた日々は地獄でした。毎日の虐めに、過度な労働、肉体的にも精神的にも病んでいった私は、ウィリアム殿下の甘い言葉に惑わされ、肉体関係を持ってしまったのです」

「嘘だ!! そんな事はない。こんな女、俺は知らん!」

 ウィリアムの心ない言葉にも、彼女の心は揺るがない。それだけの覚悟を持ち、この舞台に立つことを決めたのだ。彼女が大切そうに抱く男児のために。

「ウィリアム様に求められるがまま肉体関係を続けた私は、ちょうど一年前ウィリアム様の子を身籠りました。子を宿した私は突然王城を追放され、行くあてのない私はシスターになるしかなかった。ウィリアム様は、子を宿した私が邪魔になったのです。だから捨てた。私は今いる教会で貴方の子を産みました。可愛らしい男の子です」

 包まれていた布から現れた子を見た者達の騒めきが広がり、会場内は騒然となる。

『あの赤ちゃん金髪だわ。本当にウィリアム殿下の子みたいよ』
『一年前に身籠ったって、エリザベス様と婚約していた時よ。最低だわ、婚約者がいて不貞を働くなんて』
『しかも赤ちゃんがいる事実を知って王城から追い出すなんて……』
『婚約解消後のエリザベス様を貶める噂も、この事実を隠すため流したのではないか』

 そこかしこから聴こえてくる声に、ウィリアムの顔色が徐々に悪くなっていく。

 やっと、自分の世界から現実へと戻ってきたようね。

「ま、待ってくれレベッカ! 俺は知らなかったんだ。君が身籠っていたなんて。知っていたら君と結婚していたよ。い、今からでも遅くない、俺と結婚しよう!」

「白々しい事言わないでください。私のいる教会には貴方と関係を持ち身籠った女性がたくさんいます。その女性達全員と結婚するおつもりですか!」

 レベッカが、ウィリアムに言いたい事をぶちまけ、踵を返し出ていく。それを呆然と立ちつくし見送ることしかできなくなった彼にトドメを刺す。

「これでも、私と結婚すると、まだおっしゃいますか?」

「エリザベス……」

「神がお許しになっても、私が許しません。貴方様は、女性をなんだとお考えなのですか? 自分の欲を満たすためだけの道具? 馬鹿にするのもいい加減になさいませ!」

 振り上げた手を、渾身の力を込め振り下ろせば、小気味の良い音が会場に鳴り響く。

 打たれた頬を抑え、エリザベスを茫然自失で見つめる殿下に優しく言ってやる。

「ウィリアム殿下、貴方様との結婚、謹んでお断り申し上げますわ」

「ウィリアムよ……、お前はどのように申し開きするつもりなのだ?」

「……」

「ウィリアム、沙汰があるまで自室にて謹慎しておれ」

 陛下の言葉にも反応しないウィリアムは、衛兵に連れられ会場を後にする。その後ろ姿を見つめていたエリザベスの耳元でハインツがささやく。

「エリザベス、貴方にかけられた呪縛は解けたかな?」

「えぇ、もう囚われる事はないわ。だって、ずっとハインツ様が側にいてくれるのでしょ?」

「もちろん」

 ハインツの言葉にエリザベスの顔に笑みが溢れる。

 やっと解放された……、呪いのような初恋から……
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