公爵令嬢ヘレーネの幸せな結婚
◇◆第二章◆◇

◇公女の岐路◇

 舞踏会を終え宿に戻ったヘレーネは寝台の上に腰掛けた。
 神経が昂って、今夜はとてもじゃないが眠れそうにない。

(……どうして、こんなことに?)

 思えば最初から、皇帝との見合いは番狂わせの連続だった。


 1853年8月15日水曜日の午後。
 公爵家の夏の居城ポッセンホーフェンから、ヘレーネと母親のルドヴィカは馬車に乗り込んだ。

 エリーザベトが現れ、見合いに付き添うと言い出したのは出発直前のこと。

 馬車を通せんぼしてでも譲らない勢いに、押し問答を続けていては遅刻と、同行を許さざるをえなかった。

 旅程途中にある宿場で休憩すると、エリーザベトは馬の世話をすると言い出し、ヘレーネとルドヴィカが止めても聞かなかった。
 エリーザベトが言い出したら聞かないことはいつものことだ。

 馬に水を飲ませて水桶をひっくりかえし、スカートの裾と靴をビチャビチャに濡らた。
 待ち受ける見合いに緊張して黙りこくるヘレーネとは対照的に、エリーザベトは濡れぼそったことさえ可笑しく、陽気にはしゃいで笑っていた。
 ルドヴィカは遅刻決定だと大層不機嫌だった。

 バイエルンの海と呼ばれる王国最大の湖キームゼーを過ぎると国境を越える。
 オーストリア帝国の小都市イシュルに大幅に遅刻して到着したヘレーネたち一行を、皇帝は出迎えてくれた。

 そしてたった一度、目線を合わせただけで、二度とヘレーネを見ることはなかった。

 吸い込まれるようにエリーザベトを見つめる皇帝を呆然と眺めるしかなかった。

 アルプスの明るい陽ざしに輝くキームゼーの湖面のように、煌めく瞳でエリーザベトから目を離そうとしない皇帝の姿に、へレーネは打ちのめされた。

(あの時、エリーザベトの同行を断ればよかった)

 順調満帆だったヘレーネの人生は、終わりを告げた。

 長女として生まれたヘレーネは、昔から上手く泣けない子供だった。
 エリザベートが泣き喚くような時でも、ヘレーネはぐっと堪え慰める方に回る。

 涙を溢すことも呻き声を上げることもできず、膨らむ不安を押し潰すように膝を抱え身を縮める。
 どれほどそうしていただろう。背後の扉が音を立てた。
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