公爵令嬢ヘレーネの幸せな結婚
 気づけば白いドレスの裾を強く握りしめている。
 純白のソワレは、この舞踏会にあわせてミュンヘンの一流の仕立て屋にルドヴィカが発注したものだ。

 陶器のように滑らかで白い肌を持つ華奢なヘレーネに白絹のドレスは恐ろしいほどよく似合っていた。

 こんな未来が待っているとは露知らず上機嫌で布地を選んでいた無邪気な母の姿を思い出し、ヘレーネの胸は軋むように痛んだ。

 バイエルン王女として生を受けたにも関わらず格下の公爵家へ嫁がされたルドヴィカにとって、お気に入りの娘であるヘレーネが皇家に嫁ぐことは悲願であった。

 ゾフィー大公妃の指示に従い、語学・歴史・礼儀作法・教養・宮廷貴族の暗記と膨大な妃教育を受けてきた。皇妃の名に恥じぬ花嫁支度の準備が整っていた。

 その全てが灰塵(かいじん)()したのだ。

 (お母様の期待も伯母様の信頼も裏切ってしまった……)

 ヘレーネは思わず顔を伏せた。

 この場から逃げてしまいたい。
 いっそ夏に降った雪のように、この世から溶けて無くなってしまえたらどんなにいいか。
 汚名は一生、(そそ)げない。

 死を迎えようとも皇帝に拒絶された公女の烙印は歴史に刻まれ人々の記憶から消えることはないだろう。

 せめて生きてる間は、一族の恥として幽霊のように息を殺して寿命が尽きるのを待つのだ。

 悲痛な未来を想像すると心が悲鳴をあげ視界が滲み出す。

 ふと、ヘレーネは顔を上げた。
 咎めるような視線が首筋に突き刺さっていた。

 視線の先を辿ると人垣から距離を置いて立つ若者がいる。
 黄昏を映したような赤金(あかがね)色の髪が目立つ、背の高い男だ。

 彼は食い入る様にへレーネを凝視している。

 思わず姿勢を正すと、男の刺すような視線は柔らいだ。
 そして、“それでいい”とでも言いたげな表情を浮かべ口角を吊り上げる。

 (……笑った?)

 ヘレーネは面食らう。
 その笑みは、未来を失った悲劇の公爵令嬢を嘲り笑うものではない。
 場違いなほど晴れやかで、澄み切った青空のように屈託がない。

 だが、すぐに彼の顔から喜色は消え、苦々しいものへと変わる。
 青年はくるりと踵を返すと、足早に大広間から立ち去っていった。
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