公爵令嬢ヘレーネの幸せな結婚
◇◆第三章◆◇

◇不遇の王妃◇

 時は、へレーネが9歳の頃に遡る。
 この年、王太子妃マリー・フォン・プロイセンの肖像画が完成した。

 別格の気高い美しさで描かれた王太子妃は、バイエルン国王ルードヴィヒ一世の美人画コレクションの珠玉だ。

 (……伯母上もご覧になったのかしら?)

 美人画が飾られた展示室の中央でへレーネは一人、溜め息をついた。

 へレーネの伯父にあたるルートヴィヒ一世が、自ら選りすぐった美女を描いた肖像画は、現在三十点ほど制作され、今後も増えていくだろう。

 しかしながら、国王のコレクションには、最も高貴で重要な肖像画が欠けている──へレーネはそう思わずにはいられない。
 王太子妃が国王のコレクションに加わったことで、彼女(・・)の不遇はより鮮明になった。

 従順な妻、良き母、そして福祉に身を捧げる、王妃テレーゼ。
 彼女は、バイエルン国民に人気があり愛されている。
 だが、国王の愛は得られなかった。

 政治的に無力ゆえ無害なザクセン=ヒルトブルクハウゼン公爵家出身の王妃。
 裕福とはいえない公爵家では、持参金も財産も期待できない。

 だが、我慢強く物分かりがいい公女は、我が道を行く国王にとって都合のいい花嫁であった。
 ルートヴィヒ一世は献身的な王妃を貶めるようなことを(おおやけ)の場で何度も行い苦しめ続けている。

 国民に寄り添い、賢くて我慢強いテレーゼは素晴らしい王妃だと、誰もが高く評価する。
 だが、素晴らしい王妃だからといって、幸福になるとは限らない。
 その賢さと我慢強さ故に辛酸を嘗めることもあるのだ。

 国王が王妃の肖像画制作を宮廷画家のシュタイラーに命じ、展示室の特等席に飾る日は来るのだろうか──。

 きっと、そんな日は永遠に来ないだろう。
 もう、美人画コレクションの最大の目玉は完成したのだから......。
 突きつけられた現実にヘレーネの胸は痛む。

“ヘレーネ、貴女には王女の娘に相応しい縁談を用意するわ”

 王女として生を享け公爵家に降嫁した母のルドヴィカはヘレーネにそう言い聞かせ、格式の高い王室に嫁がせることに野心を燃やす。

 テレーゼとへレーネは公女という立場も我慢強い性格も似ている。
 国王に蔑ろにされる王妃の境遇は、己の未来を示唆しているようでヘレーネは恐ろしくなった。

(私は、テレーゼ様のように耐えれるかしら……)

 貶められ軽んじられ、我慢して耐える暮らし──想像しただけで気分が沈み込む。

「……そんな人生は嫌よ」
 
 ぽつりと小さく漏れた本音に呼応するように、空気がふわりと動く。ヘレーネは思わず部屋の隅に身を潜めた。
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