公爵令嬢ヘレーネの幸せな結婚
「リシィ……いいわね。バイエルンらしく可愛いらしい響きだわ」

 母のお墨付きを得て、愛称が決まったばかりの妹の頭をルートヴィヒが愛おしむように優しく撫でる。
 ヘレーネも兄に負けじと手を伸ばし、エリーザベトの柔らかな湿った髪に触れた。

「よろしく、リシィ」
「よろちく、シシィ」

 ヘレーネの舌足らずな言い間違いに、ルートヴィヒは吹き出した。

「違うよ、ネネ。シシィじゃなくて、リシィだよ。僕の後に続いて言ってごらん……リシィ」
「シシィ!」

 兄の発音をヘレーネも真似てみたが、その口から出てきたのは異なる呼び名だった。

 その様子に母は可笑しそうに肩を揺らす。

「ネネったら、もう!」

 ルートヴィヒは呆れ声を上げ、兄妹の微笑ましいやり取りにルドヴィカはくすくすと笑い出した。

 だがヘレーネにとって笑いごとではない。大事な妹の名をちゃんと呼べないなんて一大事だ。

「シシィ」
「リシィだよ」
「シシィ!」
「リシィだってば」
「シシィ!!」

 真剣に何度も発音を訂正しようと試みるが、上手くいかない。
 ヘレーネは泣きそうになったが、泣き出したのは”シシィ“だった。

 不意に‘ふぇっ’と泣き声がしたかと思うと、見る見るうちに赤ん坊は激しく泣き出した。
 
「シシィ……ごめんなしゃい」
「僕たちが大きな声を出したから吃驚(びっくり)したんだね」

 ヘレーネは小さな声でおろおろと謝った。
 身体を震わせて泣くエリーザベトの腕を(さす)ろうと手を伸ばして、ピタリと止まった。 

 か細い泣き声を上げるエリーザベトの大きく開けた口に、白い小さな歯が一本生えていた。
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