白薔薇の棘が突き刺さる

02 不躾な同級生

「君は、賢い女性だね」

 鐘が鳴り響き、講義が終了した。最前列中央の席で受講していたシュネージュに、背後から不躾な声がかけられる。
 シュネージュは振り向いて、顔を微かに顰めた。
 同級生のレオナールが、黒髪から覗く青い瞳に嘲笑を滲ませて、こちらを見下ろしていた。
 言われたことの意図が分からず、言葉を発するのも悪手のように思えて、目顔で続きを促す。
 男だらけの教室の中で、女一人。良くも悪くも目立つ。手短に用件を終わらせて静寂を取り戻したい。
 実際、教室中の視線がシュネージュに向けられていた。

「大学ならたくさんの男と会える。有利な結婚をするのに向いてるだろう。着飾って舞踏会へ行くお嬢さんたちより、君のほうが上手ってわけだ」

 頭に血が昇る。だが、シュネージュは腹が立てば立つほど、冷静になるタイプらしい。
 動揺を悟らせてなるものかと、細く息を吐いて、不躾な同級生を見返した。

「……わたくしは、法律を勉強しに来ているわ」

 ぴしゃりと言い切って、シュネージュは、ノートや教科書などの教材を手早く纏めて鞄に入れた。白い絹ブラウスの共布でできたボウタイのリボンが揺れる。一刻も早く、この場から立ち去りたかった。

「それに、あなたを婿候補にしないから、安心して」

 立ち上がったシュネージュは、金緑の瞳でレオナールを見据えて告げた。
 大学で法律を学ぶことはシュネージュの念願でもあった。母からは理解できないと詰られたが、教育省の文官である父は賛成してくれた。

 クラスメイトは、すべて男性。大学に通う女性は珍しい。伯爵令嬢となれば尚更だ。
 男性の集団の中に、一人女性であるシュネージュが混じる心許なさを誰も理解してない。大学に籍を置くような生徒はみな、紳士だとは分かっていても、心が落ち着かなかった。
 折角通わせて貰ってるのだからと、シュネージュは不安や不満を誰にも吐露できなかった。
 不名誉な噂が立たないように、講師の目が届く教室の最前列中央の席を確保し、隙を与えないように勉学に集中する。
 万事、控え目に騒がず目立たないように努めても、性別の違いはシュネージュを際立たせた。

 深緑のスカートを翻し、教室を出ていく。
 手入れされた小径を抜けて、白樺の幹に背を預けた。澄んだ空を見上げる。顔を上げていれば、涙は零れない。時間がたてば、涙腺から湧きあがった涙は、目頭の涙点から吸収される。

 長子であるシュネージュは我慢することに慣れていた。泣けば、目が真っ赤になる。だから、シュネージュは、涙を零さない方法を知っていた。どうしても泣きたければ、洗顔しながら涙を流す。だが、家と違って大学で顔を洗うのは憚られた。ならば泣くのを我慢するしかない。

 落ち葉を踏みしめる音がする。顔の横に、瓶入りのソーダ水が差し出される。差し出した相手を見て、シュネージュはギョッとした。シュネージュにひどい言葉を投げた相手が目の前に立っていたからだ。
 
「これを」
「いらないわ」
「気分を害したようだったから」
「いい加減にしてちょうだい!」

 シュネージュは声を荒げた。彼の無礼さを受け流して、心に留めたくなかった。
 嫌うすら通り越して、無関心でいたい。

「迷惑よ! 近づかないで頂戴!」

 スカートを翻し小径を駆け抜ける。彼は追いかけてはこなかった。


 半年後、シュネージュは、生家である伯爵家が破産寸前だと知らされる。

 シュネージュは大学の事務局に向かっていた。
 授業料が払えない。破産するなら、大学を辞めなくてはならない。
 母の無理解に根気強く説得を続け大学に通わせてもらった。それなのに、おめおめと逃げ出さないといけないなんて、馬鹿みたいだ。

 ふいに、シュネージュの手が後ろに引かれた。驚いて振り向くと、レオナールが息を切らして、追いかけていた。

「大学を辞めるのか?」
「なぜ、あなたがそれを?」
「噂になっている。近々、ブランシュ伯爵家は破産するって」

 レオナールは青い瞳で、シュネージュの金緑の瞳を覗き込んでくる。相変わらず無遠慮な行為をする。嫌悪感から、思わず顔を背けた。 

「あんなに偉そうに言った癖に、逃げ出すのか?」

 頭にカッと血が昇る。レオナールは不躾で嫌な人間だ。どうして、彼はシュネージュが苛立つようなことばかりしてくるのだろう。
 深緑のスカートの裾を皺になるほど握っても、自制心を取り戻せそうにない。このままだと、事務局の前でレオナールを大声で詰ってしまいそうだ。

 シュネージュは感情的になり、冷静な判断を失っていた。だから、あんな取引に諾と答えてしまったのだろう。

「取引をしよう」

 そう告げるレオナールの唇は笑みらしき形になっていたが、目は笑ってなかった。
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