結婚前夜に殺されて人生8回目、今世は王太子の執着溺愛ルートに入りました!?~没落回避したいドン底令嬢が最愛妃になるまで~

もふもふ精獣なでなで

 午後になり、私はひとりでノア様のいる執務室へと向かった。目的は――学費のお礼を言いに行くためだ。
 ベティには内緒にしてと言われたが、私からするとそうもいかない。ノア様の行動には私も伯爵家もすごく助けられた。それを知らないふりをしたままそばにいるなんて、私にはできそうもない。もちろん、後でノア様がベティを責めないよう説得もするつもりだ。
「あっ……ノア様!」
 執務室へ向かう途中で、廊下を歩いているノア様を見つけた。右手にはたくさんの資料を持っている。これからあれを全部処理するのだろうか。
「エルザ!」
 ノア様は私の声に反応してこちらを見る。その瞬間、凛々しかった表情が柔らかくなったように見えた。
「どうしたんだ?」
「あの、ノア様に話したいことがあって……でも、忙しいですよね?」
「いいや、まったく忙しくは……」
 言いながら、ノア様の視線が徐々に手元の資料へと流れていく。嘘をつける仕事量ではないらしい。
「ごめんなさい。出直します」
「待てエルザ。すぐに仕事を終わらせるから、俺の部屋で待っててくれないか?」
「ノア様の部屋でですか?」
「ああ。ここからすぐ近くなんだ。適当にくつろいでくれていい。……あと、君は動物は好きだろうか?」
「! はい! 好きです」
 脈絡のない質問ではあるが、食いつくように返事をする。
 動物は好きだ。特に、大きくて、毛並みのいい動物が。ふわっふわでもっふもふの毛なんて、一日中撫でていたいくらい。
「俺の部屋に大型犬のペットがいる。退屈しているだろうから、相手をしてくれたら嬉しい」
「えっ! いいんですか!? 喜んで!」
「ありがとう。助かる。それじゃあまた後で」
 ノア様がペットを飼っているなんて! しかも私の大好きな大型犬!
 期待を胸に膨らませ、私はひとまずノア様の部屋へと向かった。場所はノア様に聞いたのと、本当に近くだったため迷うことなくたどり着くことができた。
 金色の重いドアハンドルを押し中へ入ろうとすると……なにやら話し声が聞こえて手を止める。
【なんでなんだ! どうしてうまくいかない!】
 ……ノア様はいないはずなのに、誰か中にいる?
 まさか誰にも言っていない愛人とか? 私は中途半端な体勢のまま動けなくなるが、その間も声は聞こえ続けた。 
【なんでノアとエルザが結婚したのに、私は解放されないんだあああ!】
 耳がビリっとするほどの嘆きに、おもわず空いた左手で左耳を塞ぐ。声と口調的に……男性? でも、アルベルト様ではなさそうね。……不審者の可能性もある!?
 そうだとしたら大問題だ。私はこっそりと中を覗き込むと、普通の屋敷でいう広間くらいのスペースがあるだだっ広い部屋の中で、衝撃の光景を目にしてしまう。
「だ、誰もいない……」
 声の主と思わしき人物が、どこにも見当たらなかったのだ。
 ようやく部屋の中に両足を踏み入れた私は、うろうろと部屋中を歩き回って声の主を探した。だけども、やはり人の気配すら感じない。
「……私の勘違いだったのかしら」
 勘違いにしては、あまりに野太くはっきりとした声だった。
 とりあえず、ソファの上に置かれた真っ白の巨大クッションの上に腰掛ける。するとその瞬間、下からまた声が聞こえた。
【ぐぇっ】
 今度は嘆きではなく、小さな呻き声だ。
 驚いて立ち上がり、辺りをきょろきょろと見渡すと、巨大クッションが唐突に姿を変えて恨めしそうに私を見つめた。
【痛いぞ!】
「……ワ、ワンちゃん!?」
 私がお尻に敷いてしまったのは、なんとノア様のペットと思わしき大型犬。ついでに……声の主だったのだ。
「ど、どうしてワンちゃんが喋っているの!?」
【次から気を付けてくれ。エルザ】
「ななな、名前まで!?」
 喋る大型犬。それだけでも驚きなのに、なぜか私を知っているかのような口ぶりに二段階で驚く。すると、どっしりと構えた態度だったワンちゃんが急にしまった! というような顔を見せた。
【や、やってしまった。つい興奮してそのまま話してしまった……そうだ! 今からでも遅くはない。クッションに扮して……】
「全部聞こえているわ。あと、もう遅いと思うけど……」
【……はぁ】
 どうやら、私の前で話したことはワンちゃんにとって誤算だったようだ。やんわりと無茶な作戦に助言すると、ワンちゃんは観念したようにため息をついた。
【バレてしまったなら仕方ない。私はリックという名で、この王宮でノアのペットとして飼われている大型犬。しかし、実態は――精獣なのだ】
「精獣って……人々に加護をもたらす、神の使いっていう」
【そうだ。精霊の仲間と思ってくれればいい】
 精霊の仲間なんて簡単に言っているけれど、この世界で精霊や精獣っていうのは崇めるべき対象だ。ワンちゃんなんて呼んで大丈夫だったろうか……。言葉を話せるのも、精獣と聞いて納得がいく。
「……すごい! 精獣を見るのなんて初めてだわ!」
 私は身体を屈ませて、ソファに座るリックと目線を合わせた。
 見た目はたしかに大型犬と言われるとそう見える。しかし、金色の凛々しい瞳や長いふさふさの毛並みは、リックが高貴な存在であることを現していた。私はすぐにでもリックの真っ白い毛に触れたかったが、精獣に粗相はできないと思いなんとか堪える。……うぅ。めちゃくちゃ撫でくり回したい……!
「あれ? でも、精獣とか精霊って、普通は神の庭で生活しているんじゃあないの?」
 ふと疑問に思い、リックに問いかける。
【普通はそうだ。普通はな】
 やけに〝普通〟の部分を強調している。つまり、リックは普通でないということか。
「というか、精獣をペット扱いするノア様も普通じゃないような……」
【勘違いするな。ノアやほかのやつらもみんな、私を精獣だと思っていない。私はわけあって、ペットのふりをしてここにいる】
「そ、そうなんだ……なんだか、たいへんそうね」
 ノア様はリックを大型犬だと認識しているってことよね……リックの言う〝わけ〟がすっごく気になるけれど、リックが喋ろうとしないので、私も追及するのはやめておいた。とにかく、いろいろと言えない事情があるのだろう。私がループしていることを誰にも言えなかったのと同じような類の事情が。
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