結婚前夜に殺されて人生8回目、今世は王太子の執着溺愛ルートに入りました!?~没落回避したいドン底令嬢が最愛妃になるまで~
【や、やめろ! 助けてくれエルザ!】
 リックはピアニーから逃げまとい、しゃがんだままの私の胸に飛びついてくる。リックは大型犬くらいの大きさがあるため、飛び疲れるとなかなかの衝撃だがなんとか受け止めた。
「よしよし。リック、落ち着いて」
 私はリックの毛を以前のように優しくゆっくり撫でる。耳の裏から顎下と、リックが喜ぶポイントを探って、気持ちよさげに目を細めるとそこを集中的に撫で続ける。
 そうしていると、ついさっきまで暴れていたリックが借りた猫のようにおとなしくなった。可愛い。そして相変わらずリックのもふもふは国宝級の心地よさだわ。ピアニーがいなければ、このまま顔面を突っ込んでもふもふに埋もれてにおいを吸い込みたいくらい。
「……す、すごいわエルザ。リック様がこんなにおとなしく撫でられるなんて」
 ピアニーにとってはよほど驚きの光景なのか、私の腕の中でおとなしくしているリックに釘付けのようだ。
「でも、アタシだってできるもん……! アタシだって、リック様のこと気持ちよくさせられる……」
 私のところまで小走りでやって来ると、ピアニーは私が触れていない尻尾を撫で始める。すると、目を閉じてリラックスしていたリックがぱちりと目を開けてピアニーに牙を向けた。
【触るなピアニー! お前とエルザは別物だ!】
「そ、そんな……っ! どこが違うんですかっ」
【エルザの撫で方は心地いいが、お前のは不快だ】
 オブラートに隠すこともせず、リックは牙を向けたままピアニーに言う。ピアニーは相当ショックだったのか、その場で固まってしまった。
「あの、ピアニー、大丈夫?」
 心配になり、もふもふを続けながらピアニーの顔を覗き込む。すると、ピアニーの目からはぼろぼろと涙が流れていた。半泣きというより、ガチ泣きだ。
「ア、アタシだって、リック様のこと撫でたいのにっ……!」
 嗚咽するわけでもなく、ただ涙がとめどなく流れている。そのため、目を閉じて恍惚気分なリックはピアニーが泣いていることに気づいていない。
「……ピアニー。私がリックの弱点を教えてあげるわ。そうしたら、絶対喜ぶわよ」
「……弱点?」
「ええ。リックのお腹を優しく撫でてみて。私の手つきを真似するように。わしゃわしゃーって、乱暴にしてはダメよ」
「わ、わかった」
 アンタなんかに教えてもらいたくないわよ! とでも言われるかと思ったが、意外にもピアニーは素直に私のアドバイスを聞き入れてくれた。
 左手で涙を拭って、右手をリックのお腹に伸ばす。そしてぎこちなく、私の手つきを真似するようにリックのお腹を撫で始めた。
【おお……! そこが一番いい……さすがエルザ。日々のストレスも吹っ飛ぶ……】
 リックが歓喜の言葉を口にする。作戦成功を称えるようにピアニーにウインクすると、ピアニーもきらきらと目を輝かせた。
「ふふ。リック、そこを撫でているのは私じゃなくてピアニーよ」
【なに!? そんな馬鹿な……あいつはもっと荒々しく揉むように触ってくるが……ほ、本当だ】
 目を開けてピアニーに触れられていることを確認すると、リックは信じられないというように目をまんまるに開いた。
「リック様、気持ちいですか?」
【ま、まぁ……悪くはない】
「うふふっ! 嬉しいっ!」
 素直になれないリックと、素直すぎるピアニー。傍から見るととてもお似合いで、見ているだけで微笑ましい。
「ありがとう。エルザ! エルザっていい子なんだね! アタシ、ノアに好かれる女なんてヤバイと思ってたから、エルザのこと誤解してたみたい!」
「そ、そうだったのね」
「これからは仲良くしようね! リック様に触れられたのも、エルザのおかげよ。エルザ、大好き!」
 凄まじい掌返しに反応が追い付かない。でも、ピアニーに嫌われるのは寂しいなと思っていたため、好意を向けられるのは素直に喜ばしい。
【あーあ。エルザ、面倒だぞ。こいつ、好きになった相手には愛が重いタイプだからな。そこはノアと同じだ】
「ちょっとリック様! ノアと一緒にしないでっ!」
 イラッとしたのか、ピアニーがリックのお腹をもぎゅっと掴む。リックは強い刺激に悶えたが、すぐに私が掴まれた部分をなでなでしてカバーしておいた。
「……あ、そうだ。ふたりに聞きたいことがあるんだけど」
 その後もピアニーとリックをもふなでしていると、私はこの機会にとある疑問を庭の住人であるふたりにぶつけてみることにした。
【なんだ?】
「なーに? なんでも聞いてっ!」
 リックは片目だけ開けて私を見上げ、ピアニーはずいっと身を乗り出した。
「私って、王家の血筋でもない普通の人間でしょう? それなのに、どうして過去も現在も、神と精霊の庭に入れるのかなと思って。ふたりはその理由、知ってたりする?」
【ああ、そのことか】
「そんなの、エルザが神様に認められたからよ!」
 私が神様に……? どういうことだろう。
【神の庭に入れる者は二種類。神と友人になり国を創ったと、初代ディールスの血を引く王家の者。それと――純粋な心を持つ者だ。自己の強い欲望や邪念を持つ者は、神様にそれを見抜かれる。そういった場合、結界が庭への侵入を拒否するんだ。結界には不思議な魔力が込められているからな】
「純粋な心……」
「エルザは綺麗で、リック様みたいに真っ白な心の持ち主だったということよ! そんな人間、ほぼ皆無なのよ! だからエルザは特別な存在!」
 ピアニーがにっこりと笑いながら、私を褒め称えてくれる。
 純粋で、真っ白い心……。初めてあの庭へ入った時は子供で、なにも知らなくて、たしかに純粋だったかもしれないが……今はどうだろうか。
「神様、間違えていないかしら。今の私は、人並みに欲望もあって、そんなふうに言ってもらえる人間じゃあない気がする」
 生きたい。家族を幸せにしたい。
 そのために、ノア様を利用して結婚したような女だ。これまでだって、好きでもない令息と己の欲望だけで婚約してきた。そんな私が、純粋なわけがない。私は大人になるにつれて、汚い心を持ち合わせてしまったのだ。
【いいやエルザ。お前の心は綺麗だ】
「……リック」
 まるで私の心の中の葛藤が聞こえていたかのように、リックが起き上がって私にそう言った。
【お前は自分に起きた不幸を、決して誰かのせいにしない。お前の欲望の色が私には見える。だが、それは幸せへと導く欲望だ。悪いものではない】
 リックはすべての感情に色が細かく存在すると教えてくれた。さらに、私の心は綺麗だとも。自分ではそんなふうに思ったことはない――が、今も庭へ入れたということは、ローズリンドの神様は私を認めてくれているって考えてもいいのだろうか。
「ん? でも、神様は今不在なのよね?」
【そっ、そうだが……遠くからでも庭の様子を見ることはできる。神様なのだから】
「そっか。神様ってすごいんだね。早く庭に戻ってきたらいいけど」
 そんな話をしていると、隣にいるピアニーの身体が半透明になり透けていることに気づいてぎょっとする。
「ピアニー!? その身体……!」
「あーん。タイムリミットがきたみたい。身体がこうなったら、庭へ強制送還される合図なの。またねエルザ! リック様!」
 リックの名前を呼び終えたタイミングで、ピアニーの身体は空間に溶け込むように消えていった。嵐の前の静けさならぬ、嵐の後の静けさとでもいうべきか。ピアニーがいなくなった部屋は、途端に閑寂としている。
「精霊って自由に飛び回っているイメージあったけど、タイムリミットもあって案外不便なのね」
 私が言うと、リックが【……今はな】と、どこか遠い目をして意味深な発言をした。精霊や精獣の不便には、神様の留守が関係しているように思ったが、リックもそれ以上はなにも口にしない。
 その後、ノア様が部屋に戻って来た。だが、事はすべて終わっている。
ノア様には申し訳ないけれど、私たちだけで楽しいもふなでタイムを過ごしてしまったことは内緒だ。

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