花とリフレイン —春愁切愛婚礼譚—

第漆話 花盗人 —櫂李譚—

◇◇◇

三月も中旬になると昼間は暖かい陽気が続いている。
今年は櫻坂の桜が例年よりもずっと早く、すでに満開になっていると聞く。
それは我が家の庭の桜の様子からもうかがえる。
自宅から目と鼻の先にある桜並木のことを噂程度にしか知らないのは、この時期にはあまり出歩かないようにしているからだ。
うちに手伝いに来てくれているハウスキーパーの女性は聞いてもいない世間の話をよく教えてくれる。

私の父と母はこの季節に事故で他界した。
命日なのだから墓参りに行くべきなのだろうが、そこにあるのは遺品だけだと思うとあまり意味を感じない。
だからこの季節は家で一人で過ごしている。
もう十六年も経っているから、それ自体を悲しむ気持ちは随分と落ち着いている。
それでもこの時期はあまりよく眠れず、創作意欲というものもまったくと言って良いほど湧いてこない。

その夜、櫻坂へと深夜の散歩に出たのはほんの気まぐれだった。
どうせ眠れないのなら、夜桜見物でもして無理矢理にでも創作意欲を刺激しようかという程度の。

桜並木は深夜でもライトアップされていると聞いていたが、どうやら今日は休みのようで暗がりに白い桜がほんのりと浮かび上がっている。
疲れのせいか夜目が利きにくいが、本来の桜の有り様という気がしてこの日に見られて良かったと思う。

それでも描きたいと思うほどの心の動きはない。

肌寒いし帰ろうか、と家路の方向へ振り返ったときだった。

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