花とリフレイン —春愁切愛婚礼譚—
「木花さん、前にも言ったけれど」
透子さん声音が一段低くなった気がする。

「櫂李いいえ、春櫂に恥をかかせないでちょうだい」
「恥って……」

「彼はあなたと結婚して以来、桜をいくつか描いたけれど、最近は作品をまったく見せてくれていないわ」
「それは……彼のペースなんじゃないですか?」
櫂李さんはアトリエに籠って何か描いているし。

透子さんは苛立ちを含んだため息をついた。

「私はね、彼が二十代の駆け出しの頃からずっと見てきたの。彼はこれまで着実にキャリアを積んできたのよ。若い日本画家でこんなに評価されている人はいないわ」
それは最近勉強を始めたから私にもわかってきた。思ってたよりずっとすごい人だって。

「それが若い女の子にうつつを抜かしているなんて噂がたったら、評価が下がってしまうでしょ」
「うつつを抜かしているなんて、そんなこと——」
「あなた、まさか本当に自分がミューズだなんて思っているわけじゃないわよね?」
彼女がまた柔和で冷たい笑顔を見せる。

「私は、櫂李さんの言葉だけ信じます」
透子さんの目を見て言った。

「本はやっぱり自分で買います。これで失礼します。コーヒーごちそうさまでした」

そう言って私は口をつけていないコーヒーを残して立ち上がると、出口に向かう。
外に出ようとドアに手を掛けたときだった。

「どうせすぐに飽きられちゃうわよ。今までだってそうだったもの。早く彼を解放してあげてね」

私は彼女の言葉を無視してギャラリーを後にした。
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