身代わりで嫁いだお相手は女嫌いの商人貴族でした
 部屋に戻ったアメリアは、部屋着を脱いで寝間着に着替えた。それから、ショールを部屋の椅子の背にかけて少し伸ばす。

「許していただいたわ……よかった……」

 ほっと落ち着いて、アメリアはベッドにあがる。まだ少し髪は濡れていたが、枕の上にタオルを敷いて横になる。毛布をかぶって瞳を閉じるが、なんだかどきどきして落ち着かない。

 思い出すのは、彼の低い声。そして、案外と穏やかな声音。

――身の丈がどうこうという話ではない。君がこれを選んだのだから、そんなものは関係がない――

 ああ、よかった。どうしてかはわからないが、彼女の気持ちは高揚していた。もしかしたら、思っていたほど彼は怖い人ではないのかもしれない……その気持ちが少しだけ大きくなっていく。タオルを持ってきてくれた。ショールを拭いてくれた。それらが、本当は「風邪をひかれては困る」という意図で行われたことを彼女は知らず、ただただありがたいと思う。

 そして、最後に「おやすみ」と返してもらった。それが、彼女にとってはあまりにも大きな出来事で、素直に嬉しいと思えた。これまで、何度もおやすみなさいと言っては無視をされていたが、それでも何かを言って別れなければと思ってつい口に出していた。そうしたら、やっと返って来た。

(なんて、なんて嬉しいのかしら。こんなことが……おやすみなさいと言って、言葉が返って来るなんて)

 ずっと、誰にも言えなかった。幼い頃、乳母がいた時は当たり前のようにおはようもおやすみも言っていたのに。乳母がいなくなって、誰にも言うことがなかった挨拶。それを久しぶりに口にして、そして久しぶりに返してもらった。なんとそれが嬉しいことか。

 侍女たちはいつでも「失礼いたします」と言って部屋に入って来て「それでは失礼いたします」と言って下がっていくだけだった。ヒルシュ子爵邸ですら、誰ともそんな言葉を交わすことがなかった彼女には、それに違和感をまったく感じていなかった。

 なのに、まさか。ここで、アウグストとそんなやりとりが出来るなんて。まるで、生まれて初めて言葉が通じたかのように、彼女の心は浮き立った。

(ああ、アウグスト様……ありがとうございます……)

 心の中ではいまだに「様」をつけてしまうが、それも許して欲しい。そんなことを思いながら、彼女は温かい毛布に包まれて幸せな眠りについた。
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