だって、そう決めたのは私
「仕事をしてただけ、なのよ。パパに頼っている分、必死に働いて家族を支えていたつもりだったんだけどね。でも改めて、息子の面倒をちゃんと見ていましたかって聞かれたら、それは否。保育園の送り迎えも、ほとんどがあの人だった。熱が出た時も、何もかも」
息子の生育環境を確認され、私は何も出来ていない母親だと気付いた。他の家のようには、カナタにしてあげられていなかった。一緒にお風呂に入ることも、絵本を読んだことも僅か。料理や洗濯も夫で、私のしていたことなど些末なものだ。寝静まった夜中に、隙間掃除とか排水口を磨くとか、音の出ないような細かなことをするくらいだけだったから。それが胸を張って子育てに参加していますと言えるか、と問われれば、すぐに声が小さくなった。
私がしていたのは、寝る時間を惜しんで出来ることをやり、勉強をすること。頭も体も疲れていたけれど、何とか踏ん張れたのは、息子、いや家族を愛していたからだ。夫には不満があったのかもしれないけれど、どうしてその幸せな生活を奪われねばならないのか、私には何一つ分からなかった。そして、写真を提示されたその日から、息子と夫は帰って来なくなった。小さなアパートが広く思えて、毎晩泣いた。分からなくて、悲しくて、悔しくて。先輩には、顔を合わせるたびに何度も問い詰めた。何度も、何度も。そうしているうちに、私の居場所がなくなっていった。職場にも、地域にだって。私が抜け殻のようになった頃、離婚は成立してしまったのである。
何も手に付かなくなり、実家へ戻ることになった前日。夫が帰って来た。今夜が最後だ、と息子の手を引いて。それが、カナタの五歳の誕生日だったのだ。
三人の本当に最後の誕生日パーティー。笑って、色んな話をして、たくさん息子を抱きしめた。カナタが寝た後で、夫を責めることも出来たかも知れない。でも、もう成立してしまったことは覆らない。先に出なさい、と夫は用意してくれていたホテルの連絡先を寄越した。カナタが起きてからでは別れづらいだろうから、と。泣きながら、必要なものだけ詰めた旅行バッグを手にした。目も合わせない夫に揃いで買った腕時計を渡し、玄関ドアの前に立った私。最後に、小さな靴をぎゅっと抱いた。息子のお気に入りの恐竜の靴。それを撫でて、夫に鍵を返し、嫌だったけれど頭を下げた。カナタをよろしくお願いします、と。震える小さな声で。後ろ髪引かれる思いだった。
そんな私を見たからなのか。ちょっと待って、と言った夫が部屋に戻り、押し付けるように渡してくれたのがくまのぬいぐるみだ。きっとそれは、夫の最後の愛だったのだと思っている。
「俺の意見は……?」
「子供が小さいうちはね、本人の意志はそこまで大きく捉えられないんだって。そうね、小学生の高学年、中学生にもなれば意見は通ったでしょうけど」
「そんな……」
「でもね。カナタは選べなかったはずよ。あなたは、ママだけじゃない。パパの事も大好きだったでしょう。だから、カナタが悔やむことじゃないの」
彼にはそれしか言えなかった。あんなことを大好きな父や祖父母がしたなんて。私が彼らを憎くとも、カナタには知られたくなかった。
息子の生育環境を確認され、私は何も出来ていない母親だと気付いた。他の家のようには、カナタにしてあげられていなかった。一緒にお風呂に入ることも、絵本を読んだことも僅か。料理や洗濯も夫で、私のしていたことなど些末なものだ。寝静まった夜中に、隙間掃除とか排水口を磨くとか、音の出ないような細かなことをするくらいだけだったから。それが胸を張って子育てに参加していますと言えるか、と問われれば、すぐに声が小さくなった。
私がしていたのは、寝る時間を惜しんで出来ることをやり、勉強をすること。頭も体も疲れていたけれど、何とか踏ん張れたのは、息子、いや家族を愛していたからだ。夫には不満があったのかもしれないけれど、どうしてその幸せな生活を奪われねばならないのか、私には何一つ分からなかった。そして、写真を提示されたその日から、息子と夫は帰って来なくなった。小さなアパートが広く思えて、毎晩泣いた。分からなくて、悲しくて、悔しくて。先輩には、顔を合わせるたびに何度も問い詰めた。何度も、何度も。そうしているうちに、私の居場所がなくなっていった。職場にも、地域にだって。私が抜け殻のようになった頃、離婚は成立してしまったのである。
何も手に付かなくなり、実家へ戻ることになった前日。夫が帰って来た。今夜が最後だ、と息子の手を引いて。それが、カナタの五歳の誕生日だったのだ。
三人の本当に最後の誕生日パーティー。笑って、色んな話をして、たくさん息子を抱きしめた。カナタが寝た後で、夫を責めることも出来たかも知れない。でも、もう成立してしまったことは覆らない。先に出なさい、と夫は用意してくれていたホテルの連絡先を寄越した。カナタが起きてからでは別れづらいだろうから、と。泣きながら、必要なものだけ詰めた旅行バッグを手にした。目も合わせない夫に揃いで買った腕時計を渡し、玄関ドアの前に立った私。最後に、小さな靴をぎゅっと抱いた。息子のお気に入りの恐竜の靴。それを撫でて、夫に鍵を返し、嫌だったけれど頭を下げた。カナタをよろしくお願いします、と。震える小さな声で。後ろ髪引かれる思いだった。
そんな私を見たからなのか。ちょっと待って、と言った夫が部屋に戻り、押し付けるように渡してくれたのがくまのぬいぐるみだ。きっとそれは、夫の最後の愛だったのだと思っている。
「俺の意見は……?」
「子供が小さいうちはね、本人の意志はそこまで大きく捉えられないんだって。そうね、小学生の高学年、中学生にもなれば意見は通ったでしょうけど」
「そんな……」
「でもね。カナタは選べなかったはずよ。あなたは、ママだけじゃない。パパの事も大好きだったでしょう。だから、カナタが悔やむことじゃないの」
彼にはそれしか言えなかった。あんなことを大好きな父や祖父母がしたなんて。私が彼らを憎くとも、カナタには知られたくなかった。