だって、そう決めたのは私

第63話 今の生活が終わる覚悟

「お仕事、お忙しいですよね」
「あぁ……まぁそうですね。生き物相手ですから、先も読めませんし」

 苦笑しながら、彼にそう答える。ニコニコとした顔は悪気はなく、素直に有り難いと思えぬ自分の心が浅ましい。どうして正直に、実家に帰るだけです、と言えなかったのか。少し前の自分が恨めしかった。

 実家の最寄り駅を降り、ふぅ、と一息吐いて、改札を抜けた時。逆方向に進んでくる人の波に、見慣れた顔を見つけてしまった。目を合わせないようにしないと、と思った時は手遅れで。池内さんは嬉しそうに、私に駆け寄ってきた。後ろから、気不味そうな息子を携えて。当たり障りなくやり過ごそう。そう決め込んで、スッと妻の顔(・・・)を貼り付けたのは早かった。上手くやれているはずだったのに。私が宏海のところへ来たと疑わない池内さんに、気圧されてしまったのだ。そして彼は、私がアトリエに行ったことがないのを知っている()である以上、変に拒否することも出来なかった。その結果が、これである。
 でも、カナタは苛ついていたな。次の仕事があるのだというし、平気だとウインクしたから、きっと分かってくれたはず。母は上手く案内されますよ、と。

 でも、カナタは苛ついていたな。次の仕事があるのだというし、平気だとウインクしたから、きっと分かってくれたはず。母は上手く案内されますよ、と。

「そうですよねぇ。それにお休みの日に、タケナカですもんね。あ、トリーツ人気ですよ」
「あら、良かったです。何かご意見とか上がったら、是非教えてくださいね」

 トリーツに人気が出たことは、素直に有り難い。カナタがこの販路を広げてくれたようなものだからか、私はどこか誇らしげな気持ちになった。ただ、これを上手く終わらせないといけない焦りがジリジリと湧く。近づいてきたら、驚かせたいから、とか言って別れよう。よし。
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