人嫌いと聞いていた王太子様が溺愛してくるのですが?~王太子妃には興味がないので私のことはどうぞお構いなく~
           ◇◇◇

「スノウ、ちょっといいか」
「はい、お父様」
 ある午後、公爵家にある図書室で読書をしていると、王城から帰った父がやってきた。
 公爵家当主である父は、王城では財務大臣として勤めている。国庫を管理する重要な役割だ。
 そのため父は基本的には王都の屋敷におり、領地に帰ることは殆どなかった。
 代わりに母が頻繁に戻り、領地経営をしている。
 元侯爵家の娘であった母には領地経営の知識があるのだ。最初は多忙な父の助けになればと思って始めたことらしいのだが、どうやら性に合っていたようで、今では辣腕を振るっている。
 今も母は領地に行っており、来週まで帰ってくる予定はない。
 将来の勉強になるからと弟も連れて行っているので、使用人を除けば、王都の屋敷には私と父しかいなかった。
 できれば私も連れて行って欲しかったのだけれど、父が「ひとりになるのは嫌だ」と言うので残っているのだ。
 父は厳しい目つきと氷のような冷たい態度で皆から恐れられている人なのだけれど、私たち家族だけは実は寂しがり屋な愛情深い人だと知っている。
 そんな父が、王城からいつもより二時間も早く帰ってきた。
 財務大臣としての仕事が忙しいだろうにどうしたのだろうと不思議だったが、どうやら私に話があり、早く帰宅してきたらしい。
 父の顔を見れば懊悩(おうのう)に歪んでおり、あまり楽しくない話であることは明白だった。
 読んでいた本を本棚に戻し、父に向かう。父は身長があまり高くないので、女性としては上背がある私とあまり目線が変わらない。
「……ええと、談話室に移動しますか? それか、お父様の執務室にでも……」
「いや、いい」
 短く否定の言葉が返ってきた。
 そうして複雑そうな顔で私を見た。
「お父様……?」
「いや……な。うむ……言いたくはないが話さないわけにもいくまい。実はな、先ほど陛下に命じられたのだ。お前を殿下の後宮へ入れろ、と」
「えっ、後宮!?」
 目をパチクリさせる。予想もしていない話だった。
 父の言う後宮とは、国王や王太子の妻を住まわせる場所のことだ。
 この世界では大抵どこの王家も一夫多妻制を敷いていて、正妃がひとりに、愛妾と呼ばれる側妃は何人でも娶ってよいことになっている。
 今の国王も自分の後宮に正妃と愛妾を三十人ほど住まわせている。
 そして父が今言った『殿下』――シリウス王子にも彼のための後宮があった。
 シリウス王子。
 現国王の跡取りで、正妃が生んだ唯一の息子だ。年は二十二歳。
 愛妾たちにも子供はいるが、なんと全員が娘。そのため、アウラウェイン王国を継ぐのはシリウス王子しかいないと言われている。
 正妃の子で男児ともなれば、それも当然だろう。
 そのシリウス王子だが、まだ正妃は決まっていない。
 更に彼はあまり外に出るタイプではないらしく、その容姿や人となりを知る者は少ない。金髪だというくらいだろうか。私も公爵家の娘だが、一度も会ったことがなかった。
 そんな人の後宮へ。
 公爵家の娘として、命じられれば断る術はないのだけれど、それでもつい言ってしまう。
「えっ、嫌なんですけど」
 日本で生きてきた記憶を持つ私には、一夫多妻制を(いと)う感覚があるのだ。
 ひとりの男性に対し、たくさんの女性。
 うん、嫌悪感がどうしても先に出る。
 これまで育ててもらった恩もあるし、別に誰かに嫁ぐのは構わないが、大勢妻を持つ人のところへは行きたくない。
 とはいえ、諦めなければならないのだろうけど。
 父は国王命令だと言っていた。それならもう全部呑み込んで後宮に上がるしかない。
 それがこの世界で『生きる』ということなのだから。
「…………」
 ――私も運がないわね。
 王家以外なら一夫一妻制だったのにと思いつつ、溜息を吐いていると父が言った。
「安心しろ、スノウ。私もお前を王家へやる気はない」
「えっ……?」
 ――たった今、後宮に上がれと言ったのに!?
 真意が掴めず父を見る。父は後ろで手を組み、窓際まで歩いていった。その後ろを追う。
「お父様?」
「誰が可愛いお前を王家へなどやるものか。確かに王家との繋がりはできるが、それ以上に苦労の多い場所。そんなところにお前を嫁がせるつもりはない。だからスノウ、一年だ。一年だけ我慢してくれないか?」
「……一年?」
 父を(うかが)う。父は窓を開け、外に目をやった。
 今日は天気がよく、心地いい風が室内に入ってくる。
「実はな、陛下曰く、殿下は今まで一度も後宮にお通いになられていないようなのだ」
「えっ……!?」
 驚き、父を見る。彼は深く頷いた。
 しかし一度も後宮に訪れていないなんて、そんなことが本当にあるのか。
 シリウス王子のための後宮ができたのは、彼が十五になった年で、当時後宮には多くの女たちが集められたと聞いている。
 その後宮には独自のルールがあり、集まった女たちは従わなければならないと定められていた。
 後宮のルール。中でも一番知られている規則が『一年制』である。
 一年制。
 簡単に説明するなら、通いがなければ一年でお役目終了というものである。
 後宮入りが決まった女性は、まずは妃候補として遇される。
 ここで注意して欲しいのは、あくまで候補であり、妃ではないということ。
 通いがあればそこで各々の身分に応じて愛妾、もしくは正妃として召し上げられることとなる。
 逆に通いがなければ『候補』のまま。何もなく一年が過ぎれば候補からも外され、後宮を出ることが定められているのだ。これが一年制。
 つまり、王子が一度も後宮に通っていないということは、だ。
「シリウス殿下には、ひとりも愛妾がいないのですか? それどころか、毎年後宮の面子が全員変わっているとそういう?」
「そうだ。いるのは候補だけだ」
「……うわ」
 重々しく頷かれ、頬が引き攣った。
 毎年、後宮の女性が総入れ替え状態になっているのか。しかも七年もの間。
 後宮の人数は、平均二十人程度。それが毎年総入れ替えともなれば、いい加減、後宮に入れる女性もいなくなるのではないだろうか。
 何せ、後宮に入れる身分は決まっている。
 少なくとも親が爵位持ちでないといけないのだ。
 彼女たちの中から将来の国母が生まれると考えれば、それも当然なのだけれど。
 ドン引きする私に父が言う。
「陛下も、何度も殿下に言ってはおられるのだ。正妃を決めるのは後回しでいい。まずは愛妾だけでも設けないか、と。だが、殿下は頑なに後宮へ行くことを拒まれてな。結果、集められた女性たちは殿下のお顔を見ることもなく後宮を去るという悪循環が起こっている」
「……うっわ」
「お前は公爵家の娘だ。当然、正妃候補として上がることとなる。だが間違いなく、殿下がお顔を見せられることはないだろう。スノウ。これは一年だけ我慢するという話なのだ。一年後宮で過ごし、何事もなく屋敷に戻ってくる。お前に求められているのはそれだけだ」
「……最初にお父様がおっしゃった一年ってそういう?」
「そうだ」
「…………」
 黙り込む。
 今まで一度も後宮に姿を見せなかった王子。彼が何を考えているのかは分からないが、いきなり宗旨替えして後宮へ来るようになる……なんてことはなさそうだ。
「お前に後宮へ上がれというのは、正妃候補となれる娘がもう殆ど残っていないというところから来た話なのだ。今朝方、執務室へ書類を持っていった際に陛下から『そうだ。確かお前のところの娘はまだ息子の後宮に上がったことがなかったな』と目をつけられてしまって」
「目をつけられたって……それ……単に運が悪かったと、そういう?」
 おそるおそる尋ねると、父はムスッとしながらも頷いた。
 最悪である。
「断ったのだがな。当てがもう殆どないと泣きつかれてしまっては、臣下としてそれ以上は言えまいよ。スノウ、一年だけ頼めないか。一年後宮にいれば、そのあとは自由だ。二度と呼ばれることはないから、今後王家の意向を気にする必要はなくなる」
「……分かりました」
 悩みはしたが、結局私は頷いた。
 何せ『頼む』とは言っているが、これはすでに国王と父の間で決められた話なのだ。
 私が嫌だと言ったところで覆るとも思えない。
 それに父の言うとおり、通いがないのなら、ただ一年の間、後宮で過ごすだけという話だし。
 本を読んだり刺繍をしたり、趣味を楽しんだりしていれば、一年などあっという間に過ぎるだろう。そう思えた。
 父が(すが)るように私を見る。
「ほ、本当か……」
「はい。お父様の立場もおありでしょうし」
「すまない。だが、本当に一年だけだ。一年経ったら帰ってくるんだぞ……! 先ほども言ったが、私はお前を王家へやるつもりなどないのだ。くそっ、こんなことになるのなら、さっさと婚約なり何なりさせておくのだった。娘可愛さに婚約を先延ばしにしていたつけが、まさかこのような形で回ってくるとは」
 悔しげに窓枠を叩く父だが、婚約相手など別に要らないので同意はできなかった。
 いつか結婚しなければならないのは分かっているが、その時ができるだけ遅ければいい。そんな風に思っているのだ。
 これは間違いなく前世の影響だろう。好きでもない人と結婚したいとは思えない。
 とはいえ、言っても仕方のないことだ。
 何せ公爵家の娘。政略結婚になることは決まっているので。
 だけど今まで私に婚約相手がいなかった理由は知らなかったので、ちょっと驚いた。
 ――お父様、私のことを手放したくなかったんだ。
 何故だろうと不思議だったが、まさかこんな理由だったとは。
 内心少し呆れつつ、父に改めて告げる。
「お父様、落ち着いて下さい。決まったことは仕方ありません。私は、シリウス殿下の後宮へ上がりますから」
「うむ……そうか。すまないな」
 私の言葉を聞いた父はどこかホッとしたように息を吐き、額に滲んでいた汗を拭った。その仕草からも、国王からかなり圧力を掛けられていたことが窺える。やはりどうあっても行くしかないようだ。
「一年だけの我慢ですから」
 自分に言い聞かせるように言う。
 こうして行きたくもない私の後宮行きは、あまりにもあっさりと決まったのだった。

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