アンダー・アンダーグラウンド

 学校からの帰り道、ここ最近は警官とよくすれ違う。
 厳戒態勢なのは何となく分かるけど、それでもこの町は不気味なくらい静かで、時折、騒ぎ立てているのはテレビ越しの人達だけで、本当は何も起こっていないんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。
 梅雨入り前の空は灰色が多い。
 五月も終わりに差し掛かった今日も、どんよりと曇っていた。
 まるで、いつも通り。
 僕が中学一年に上がるタイミングで越して来たこの町は、それから三年間ずっとこの陰鬱とした雰囲気を持ち続けている。きっとこれからもそうだ。晴れの日も雨の日も四季も関係なく、どこか鬱屈としていて、淀んでいた。
 恐らく、僕がここへ来る前からずっとそうなのだろう。
 治安が悪いとか、それだけでは説明出来ない何かがこの町にはあった。
 確かに事件そのものも多かったけれど、その中に不可解なものや、猟奇的な事件が過去に三件。僕がこの町に越して来てから起きていた。
 一年に一回の頻度は決して少ないとは言えない。
 それでも、この町には他と変わらず当たり前のように人が住んでいる。もしかしたら、全員おかしいのかも知れない。結局、この町の高校を選んでいる僕が言えた事じゃないけど。
 カラーネーム事件は新たな四つ目だった。まぁ仲間入りしたのは最近だけど。
 簡単な話、連続して起きている女子生徒殺人の被害者が全て名前に色が入っている人物だから「カラーネーム」事件。全く、安易なネーミングだ。
 残虐性としては今ひとつ。この町を囲むようにして建てられている六つの神社のいずれかに、胴体から切り離された生首が祀られるように置いてあり、また、胴体はバラバラに刻まれたり、おかしな装飾をされたりして別の場所に捨てられているというものだった。確かに回を追う事に残虐性も増していっているし、直近の被害者の胴体はそれなりに面白い形で飾り付けられていたけれど、それでもマスコミが焚き付けて煽っている感じは否めない。
 確かに、この二ヶ月の間に五件。というのは異常だけれど、その中から狂気を感じられたのは最近の二件からだ。
 おかげで僕はそれに気付く前に、興味を持つ前に、あっさりと大事なものを失ってしまった。厳密に言えば、気付いた時にはギリギリアウトだったのだ。本当にほんの少しの差だった。でも、取りこぼしてしまったそれはもう二度と完璧な形には戻らない。それが悲しくて、悔しくて堪らなかった。
「お兄ちゃん。こっち」
 式場の前で待っていた雪乃は、歩いてくる僕に気付いて小さく手招いた。
「ごめん。待たせて」
「ううん。行こ」
 雪乃は暗い表情のまま薄く笑って、周りに居る記者やカメラに見向きもせず中へ入った。
 式場の中には僕が一年前に着ていた制服が思った以上に溢れていた。そんな男子よりも、雪乃と同じ制服を着ている女子の方が多いのは当たり前だったけど、それでもこの男子の多さは彼女の分け隔てない人付き合いの賜物と言えるだろう。
 彼女はいつだってそうだった。
 性別も学年も関係なく、その曇りの無い瞳で屈託の無い笑顔を見せながら話してくる。
 親友の兄である僕に対しても勿論そうだった。でも僕にとっては、とりわけ良く話をした後輩だったと思う。特別だったのだ。
 彼女が僕に少しばかりの好意を寄せているのは雪乃から聞いていたし、僕もまた彼女と目が合う度に胸が高鳴った。だから、彼女の特別になりたいと思っていた時期もあった。
 牧原紫(まきはらゆかり)。学校の人気者だった彼女の名前は今や全国区だ。
 カラーネーム事件、四人目の被害者。今日は彼女の告別式だった―――――。



「――――帰ろっか」
「友達はいいの?」
 僕が何となく見覚えがある女子達に目を投げると、雪乃はかぶりを振って、そのまま僕の腕を引っ張って式場を出た。
 だんだんと灯りや声が遠のいて行く。ささやかな夜に戻って行く。しばらくはそのまま歩いていたけど、会場が完全に見えなくなるとようやく雪乃は僕の腕から手を離して、歩く速度を落とした。
「……何で、泣けないんだろう」
「僕も泣いていないよ」
 斜め後ろから顔を向けて様子を伺うが、雪乃は俯いたまま目を合わせようとしない。仕方なく僕は隣に並んで、歩幅を合わせた。
「お兄ちゃんは、悲しくないの?」
 雪乃は小さく呟く。俯いたままだったからきっと、一瞬、息を詰まらせた僕に気付きはしなかっただろう。
 悲しくない。訳が無い。でも、それ以上に自己に対する嫌悪や、犯人に対する憎悪の方が大きかった。雪乃はそんな僕を知らない。きっとこの先もずっと。
「私は……悲しいよ」
「……僕もだよ」
「でも泣けないんだよ。みんなみたいに。涙が出て来ないんだよ」
「泣けないからって悲しさの度合いが小さい訳じゃないよ」
「わかってる。でも、きっと私はあそこで皆の所に行ってたら、泣いたと思う」
「うん」
「嘘泣きじゃないけど、でも何か違う。そういう涙じゃない気がするの」
「うん。分かるよ。言いたい事」
「良かった……ありがとう」
 雪乃はようやく顔を上げて少しだけ微笑んだ。会場で見かけた見覚えのある泣き顔よりよっぽど悲しそうだった。
 雪乃は誠実だ。真っ直ぐで純粋で。だから、牧原紫と同じくらい人気者なのも頷ける話だ。
 きっと雪乃が何人もの友達とすれ違っても、誰とも話さず、目も合わさずに告別式の会場を出た理由を知る者は僕だけだろう。だからと言って無視された友人達は雪乃を責めたりはしない。都合のいい解釈をして、勝手な理由を捏造して、誰よりも悲しんでいた人間だと思い込んでいる筈だ。親友を殺された悲劇のヒロインだと勝手に認識して、終わり。
 人気者ってのはそういうものだ。
 善人フィルターとでも言うのか、ちょうど牧原紫もそんなような報道のされ方をしていた――――。
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