アンダー・アンダーグラウンド

 牧原紫が殺害された事をニュース番組が報道しだした時は、近所の人に「良かったね」「危なかったね」なんて言葉を頻繁にかけられた。クラスメイトにも少なからず言われた。
 ただ、それらの言葉は僕に対してじゃなくて「妹」に対してだった。
 当たり前だ。僕は男なんだから。イレギュラーでも起きない限り、心配はいらない。
 これは連続「女子」生徒殺人。四人目の被害者は牧原紫。ただ、同じクラスにもう一人、名前に色が入っている女子生徒が居た。しかも同じ「紫」だ。
 それが、僕の妹「紫水(しみず)雪乃」だった。
 悪い予感が当たった時には、妹は家で夕飯を食べていたし、牧原紫は既に殺されていた訳なのだけれども、妹が殺されなかったのはただ幸運だっただけだと言えるだろう。
 きっと、どっちが殺されてもおかしくなかった。妹が助かったのは「たまたま」だ。
 どっちが死んだ方が悲しいかなんて比べられないけど、それでも、やっぱり僕はこの結果を「良かった」とは思えずにいる。本当に兄として最低だと自分でもわかっている。
 でも、それでも、止めるわけにはいかなかった。

「――――あ、お兄ちゃんまた地図見てる」
 日曜日、リビングのソファで町内地図を眺めていると、雪乃が後ろから覗き込んできた。
「雪乃。出かけるの?」
「うん。今日は友達とバドミントン。大丈夫。ちゃんと早めに帰ってくるから」
「わかった。気をつけて」
 頭の上にポンと手を置いてやると、雪乃は満足そうな笑みを浮かべて「はーい!」とリビングを飛び出していった。
 快活な妹の背中をその場で見送って、僕はまた地図に視線を落とす。この町の配置。神社への近道をインプットする為に、僕はここ最近ずっとこうして頭の中に刷り込んでいた。失敗は許されない。もし、失敗すれば僕は多大な被害を被る事になる。だから、いざって時に覚えた事が出て来ないなんて事態は絶対に避けなければならなかった。
 恐らく、来週中には全てが終わる。
 そろそろ衝動を抑えられなくなってきている筈だ。
 二時間程集中した後、少し脳を休める為に地図から顔を上げて、リモコンを手に取る。
 点いた途端にテレビから間抜けな声が鳴りだす。ワイドショー番組がカラーネーム事件を取り上げていた。僕はそれを景色のようにぼうっと眺める。
 数時間使い続けていた脳みそに、誰かも分からないコメンテーターが口にする下らない理論が止まる事無く通り抜けていく。相も変わらず、被害者に対しての考察がヒドい。
 特に、割と直ぐに報道しなくなったが第一の被害者と第二の被害者の対比をまた関係のない部分を掘り起こして面白おかしく述べていたのには辟易としてしまった。
 一番目の被害者「黄田茉莉菜」は所謂、非行少女だった。
 家出やサボリの常習犯で、特にマスコミがこぞって取り上げたのは彼女が頻繁に行っていた援助交際についてだった。
 対して二番目の青井優子は相反するように真面目な生徒。模範的と言っても良いくらい品行方正な女子だったらしい。
 こんな二人がほとんど同時に別々の神社で生首だけ見つかったのだから、当時はそれこそ一日中このニュースが流れていた。
 首の切断面から見て、黄田茉莉菜の方が一日ほど先に殺されていたのが明らかになったので、青井優子は二番目の被害者として認知されたが、黄田とは違って次々に体の部位が発見されるのでニュースの焦点はどんどん青井の方に集まって行き、多くの同情を集めた。
 比べて、黄田茉莉菜は胴体が全く見つからないのに、余計な情報だけは後からどんどん出てくるので、同情の声は疎か、自業自得なんて言う人まで現れる始末だった。
 これら二つの事件はその殺され方から同一犯の犯行と見られたが、この二人に接点は全く無く、ニュースでは快楽殺人者に偶然選ばれてしまった不運な二人として報道された。名前に色が入っている関連性が浮かび上がるまで、二人は全く別の種類の人間だとキャスターは報道していたのだ。二人とも同じただの女子高生だと言う事に変わりはないのに、その事について意見を述べた人間は、仰々しくコメントをしている専門家達にさえ居なかった。更に「事件の残虐性は増していっている」などと言って、殺し方からその犯人像を推察している番組も後を絶たなかったが、そのどれもが本質にまるで触れられていなかったのだからおかしなものだ。
 残虐性が「増す」事への違和感。
 確実に三人目から「変化」している事に誰も気付いていないのか、それとも報道していないだけなのか。
 どちらにせよ「残虐性」は変わっていない。もとより、胴体と首を真っ二つに出来るだけで一般的には十分残虐な犯人と言えるだろう。
 「増した」と言うより「生まれた」のだ。
 「狂気」が。
 明らかに三人目から違っている殺し方。三人目で気付き、四人目で開花した。そして五人目で定着したのだ。その内に眠っていた紛れもない「狂気」が。自分でもきっと予想だにしなかっただろう。まさかこんな事になるなんて。
 でも、だからこそ犯人はまだ続ける筈だ。
 そこに「こだわり」が生まれてしまった以上は絶対に無視出来る筈がない。
 もうすぐ。きっともうすぐだ。
 沸々と内から沸き上がる感情が抑えきれなくなる前に僕はテレビを消して、家を出る事にした。相も変わらず間抜けな事を言っているテレビのせいで脳を休める他に、気分転換も必要になってしまった。気を落ち着かせなければ冷静な判断は出来ない。僕は地図で思い描いたルートを目視しておくついでで長めの散歩へ出かけた。
 行き先は二カ所。
 牧原紫の首が置かれた神社と、町内で唯一まだ何も起きていない神社だ。
 牧原紫を見つけた神社は自分の家からそう遠くない場所にある。それでも、裏路地を使って少しでも時間を短縮して向かった。
 自分の住む町じゃないと分からないような、路地とも呼べない塀と塀の隙間を縫うようにして向かっていく。数分、数秒を短縮する為にこんな道を通っているのに、更に細く一人分の隙間があるかないかの間に入り込んだ瞬間に、何とも言えない安心感が不意に飛び込んで来て、思わず数分ほどそこで立ち止まってしまった。
 十数分程で辿り着いた神社は、長い石段を上った先に本殿がある割と大きめな神社だ。それでも、上りきって鳥居の真下から見渡す風景に人は居なかった。あんな事件が起きたからではなく、事件が起きる前からここはいつも人気が無い。もしかしたら事件が起きるまで、ここに神社がある事すら忘れられていたんじゃないかと思う程にいつだって静かな場所だった。時折、ここで時間を潰したりしていた僕だって未だにここが何の御利益がある場所なのか知らなかった。
 ただ、地元の人でも通う者が居ないんじゃないかと思える神社はここに限った訳ではない。元々この町に有名な神社など無く、僕だって特に興味も持っていなかった。だから、三つずつ並んだ列に挟まれるようにしてこの町が出来ていると気付いたのは、僕よりも妹の方が先だった。
「何か守られているような感じじゃない?」
 まだ牧原紫が殺される前の出来事だった。今日と同じように、そして今日とは別の目的で開いていた地図を後ろから覗きこんできた妹が放った言葉。
 僕が神社に印を付けていた事も関係するのであろう。他愛の無い会話の中で何となく出てきたその言葉で僕は閃きかけた。そう、まだその時点では辿り着けていなかったのだ。
 そのせいで、僕は牧原紫をここで失ってしまった。
「ごめんね。守れなくて」
 全く自分らしくない一人言を呟きながら、僕は牧原紫の首が置かれた場所でしゃがみ、手を合わせた。
 牧原紫の殺害現場はそれまでの三件と違い、体もそこにあった。
 参道の丁度、真ん中あたりに首が置かれて、それを中心に細かく刻まれた体の部位で大きな五芒星が作られていた。仰々しく五つの頂点には大きなロウソクが立てられて、時折舞い込む風に、目を見開いたままの牧原紫を照らす灯りが揺らいでいた。
 合わせた手を下ろして立ち上がり、ぐるりと辺りを見回す。
 寂しげな短い参道にはまだテープが貼られている。それでも、ここに警察の姿がないのは、次の場所が唯一まだ何も起きていない神社に違いないと踏んでいるからだろうか。
 確かに可能性は凄く高い。でも、まだわからない。そうやってアタリをつけてしまうと、足をすくわれてしまう。
 警察内部の考えや動きは勿論、僕にもわからないが、詳しく知る必要は無かった。
 二つだけわかっていればそれでいい。そしてそれはもう分かっている。
 ここはあまり気分のいい場所じゃないので、早々に退散する事にした。もしかしたら姿を見せないだけで誰かが監視しているとも限らないし。
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