昭和が終わっていく。
 昭和44年に生まれたぼくにとっても信じられない今日この頃。
多くの人がスマホを持ち歩き、タブレットやパソコンを使いこなしている現実。
 紙に書くしか無かった小説をこうしてネット上にアップできるなんて夢にも思わなかった時代。
 そしてYouTubeで過去のアニメや歌を聴けている自分。
 さらにはアプリを使うことでメールしたり朗読図書を聞いたり、、、。

 その一方で子供の頃に歌を聞いていた人たちはほとんどが70代になり、
毎月のように亡くなったニュースが聞かれる今日この頃。

 水木一郎さんも八代亜紀さんも大橋純子さんも亡くなってしまった。
あの頃に応援していたアイドルたちも還暦が目の前。
 それもそのはずで、ぼくも55歳になった。

 昭和の時代は面白くて不便な時代だった。
ぼくのふるさとはディーゼルカーが主役だったし、まだまだファックスすら無かったもんね。
もちろん秋田新幹線も走ってはいなかった。
 90年代、携帯電話とphsが出てきてポケベルも普及したあの頃。
パソコンはまだまだ庶民の手には届かなかったけれど、それがこうして手元に在る。

 視線を変えると昭和の時代は今よりもオープンな時代だった。
向こう三軒両隣と言われたくらいで、玄関を開けたままでも外出オッケーだった。
 あっちでこっちで井戸端会議も盛んだった。
 焚火をするとみんなが集まってきた。
 誰か居るって分かると勝手に上がり込んでお喋りタイムが始まった。

 そんな社会が一変したのはいつ頃だろう?
90年代はバブルの清算期に入るところで経済的には大変だったよね。
価格破壊という言葉が国中を飛び回ったくらいだから。
 一方で世界的には【アイゼンティティークライシス】が問題にされ始めたのもこの頃だ。
 要するに「自分は何処から来て何をするために生きているのか?」が本気で問われ始めたんだ。
 おかげで奇妙な宗教が乱立しては消えて行った。
そして世界各地で紛争が絶えなくなってしまった。
あれから20年が過ぎた今でもその様相は変わらない。
 考えてみれば今ほど自由な時代は無いだろう。
でも、そのために人々は怒りと欲を抑えられなくなってしまった。
それがために暴走している人たちは数知れない。
 思想が混乱し欲と怒りが充満した世界、それが今のような気がする。

 確かに欲を無くすことは絶対無理だ。 無くなれば生きていけない。
怒りを無くすことも絶対無理だ。 不条理が完全にまかり通ってしまう。
 自由だからと言って他人に迷惑を掛けまくっていいわけが無い。
自由だからと言って何でもかんでも自分の物にしていいわけが無い。
それは人であっても国であっても同じこと。
 何処かで抑えなければ全てが崩壊してしまう。
それを世界でも日本国内でも強く感じる。
怒りと欲を適度に抑えられなければ社会は破滅する。
そのためには何が必要か? 知恵である。
 現状に賢く対処していくことだ。
騒げばいい、暴れればいいでは何も解決しない。
どの対立を見ていてもそれを強く感じる。
本当の意味で賢い指導者は出てこないのか?
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