Stayhere! 上司は××××で御曹司
「おふくろは気さくな感じだから、心配しなくていいぞ。好きなミュージシャンはビートルズだ。王道だろ」
「あ、うちの母も好きです」」
 ななみは、ほっとした。なんとか話せる気がしてきた。緊張もほぐれ、音楽の話などしていたら、編集長のご実家に到着した。
 想像通りの豪邸に、ななみはため息をついた。庭木も手入れされていて、花壇も美しい。
「宗吾さん、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
 玄関ドアを開けてくれたのは、初老のお手伝いさんさんだった。 
 ななみは、編集長のあとをついて歩き、立派なリビングにたどりつた。茶をベースにしたシンプルな部屋で、無駄なものが一切、テーブルや棚の上に乗ってなかった。花瓶に活けられた百合が綺麗だった。
 リビングの奥のドアが開き、五十代くらいの女性が入ってきた。
「宗吾、ひさしぶりね。あら、お客様なの?」
女性の顔に驚きの色がおよぶ。
「うん。会社の同僚でつきあってる。北条ななみさん。なかなかこっちに来ることがないから、連れてきた。ななみ、これがおふくろ」
「まあ」
 ぱあっと顔を明るくして、編集長の母は言った。
「珍しいわねえ、こんなの初めてじゃない?いいこともあるものね。ななみさん、はじめまして。宗吾の母です」
 編集長の年の離れた姉と言えば、通用してしまいそうな、若々しさだ。ショートカットにトレーナーにパンツ。お金持ちほど普段はラフな恰好を好むという。なるほど、と思いながらななみは頭を下げた。
「北条ななみです。宗吾さんにはお世話になっています。これ、よかったら」
 そっと手土産を差し出すと、
「あら、私の好きなお店だわ」
 と、喜んでくれた。そこで、ななみのガチガチの緊張が少しとれた。それからは、スムーズにお茶の時間となった。予想以上に、母は、ななみに話しかけてきた。会社での息子の仕事ぶりを知りたいようだった。そうか、編集長は照れ屋さんだから、お母さんに、自分の仕事を細かに話したりしないんだわ、と思い、できるだけ丁寧に編集長の仕事がどんなに素晴らしいかを話した。
「そう…宗吾は、ちゃんと編集長をやっているのねえ」
 そう言った母の表情は、ななみが予想していたものとは違っていた。快活なリアクションが返ってくると思っていたら、顔に憂いが浮かんでいる。
 私、何かいけないこと言っちゃった…?
 ななみが気にしていると、編集長が言った。
「俺の話はそれくらいでいいよ。ところで義父さんは?今日は、仕事?」
 その瞬間、母の顔色が大幅に変わった。思いつめた顔で唇をかみ、息をついてから話した。
「宗吾には言いそびれてたんだけど…義父さん、別荘にいるの」
「え?病気なのか」
「ひどいうつ病でね…もう数か月、仕事に行ってないわ。先代のお義父さまが亡くなったのと、近くにホテルチェーンができて業績が悪化したのが引き金になったみたい。」
「大変じゃないか。何でもっと早く言ってくれないんだよ」
 母は、黙っている。目を伏せ、思いつめた顔をしていた。
「…なんてな、家を飛び出した俺がいうセリフじゃないよな」
「違うの。そうじゃなくて」
 母は、語気を荒くして言った。何か強く言いたいことがあるのに、言いあぐねている。そんな風に見えた。
「ホテルは、義父さん不在で、誰が仕切ってるんだ。あ、まさか」
「そうよ。道隆さんが、息子の道也君と一緒にホテル経営を我が物顔にしてるわ。道也君なんて入社したばかりなのに、専務にしたりして、正気の沙汰じゃないわ。業績だってさらに下がってる。業界じゃ、うちのホテルは、もうダメだって噂になっているくらいよ」
「義父さん、ワンマン経営だったからな…ひどいことになったな」
 そう言った編集長の目を見て、母が言った。
「宗吾、お願いがあるの。あの人のあとを宗吾に、あなたに継いでほしいの。あなたがホテルを立て直して」
「母さん?!」
「編集長までのぼりつめたんだから、気がすんだでしょう。実はね、あなたの仕事ぶりは、義父さんもよく知っているの。あなたの雑誌を買ったり、編集長なんだって、友人に自慢したり…だから、あの人の本音は、あなたに継いでほしいの。絶対にそうなの。お願い、宗吾、母さんたちを助けて」
 編集長は、目に動揺の色を見せて、自分の母親を見つめ返した。ななみは、二人の様子を見守ることしか、できなかった。
 
 話の決着はつかないまま、実家でのお茶会は終わった。義父から母へ自分のところに来てほしいと連絡があったのだ。 
 母は、きゅっと顔を引き締めて、編集長に言った。
「今日のところは、もういいわ。でも、さっき言ったことは本気よ。宗吾がホテルを継いでくれるのを、あの人も私も願ってる。それは覚えておいてね」
 そう言って踵を返し、リビングから出て行った。取り残されたななみと編集長は、帰り支度をするしかなかった。
 帰りの車の中で、編集長は、こんな話をした。
「さっき、俺の叔父の話が出ただろう。その叔父の息子、道也な。この間のライブ中の発煙筒事件、あいつのせいだと思う」
「そうなんですか?」
 意外な展開に、ななみは驚きを隠せない。
「あいつは、昔から、俺を敵対視してる。昔っからよく嫌がらせをされたもんだよ。先代…俺の義父の父親が、妙に俺を気に入ってね。そんなのもムカついてたみたいだ。大人になってからも、嫌がらせは続いて、ロックアウト社に怪文書送ってきたりな。どうにもツメが甘くて、すぐに道也の仕業だとわかるんだよな。この間の発煙筒騒ぎも、あれも義父がダメになったら、俺を跡継ぎにって話が出たからだろう。高級車で乗りつけるなんて、すぐにバレるっての」
「どうやってキングのソウが編集長だって知ったんでしょう」
「興信所でも使ったんだろう。キングがもっと売れてたら、嫌がらせも、もっと規模が大きかったかもな。それでもライブを台無しにされたんだ。許せないけどな」
「そんな嫌がらせを、宗吾さんのお義父さんは容認してるんですか?」
「さあ。俺も特に義父に言ったりしなかったから、知らないかもな。俺も相手にしなかったし…叔父もさ、ギャンブル好きで、先代から厄介者扱いされてた。義父が弱った今こそ、チャンスだと思ってあれこれやってんだろう。なんだかな」
「…ひどいですね」
「まあな。どこにでもいるタイプでもある」
 ふ、と息をついて編集長は、それから黙ってしまった。
 なんとなく他の話題を振れるムードでもなかった。編集長の叔父親子が、編集長にした仕打ちを考えると、ななみの腹の底から、ふつふつと怒りがわいてくる。
 それと同時に、心配なのは、編集長の義父のことだ。仕事ができないほどのうつ病。きっと以前は、気丈な人だったんだろう。編集長の母の取り乱し方から、今回のことが異常事態なのは、よくわかった。
 編集長が、不意にぼそりと言った。
「…あんな、切羽詰まったおふくろは初めて見たな」
「お母様も、お疲れなんでしょうね…」
 ななみは、それ以上、なんて声をかけていいかわからなかった。
 ただ、じっと車のフロントガラスから見える景色を見つめている編集長の横顔を、盗み見ることしかできなかった。
 その後、レストランで、一緒に夕食をとったけれど、編集長は言葉が少なだった。
 食事の後、ななみのアパート前で車は停車した。
「今日はありがとうございました」
 ななみが、そう言って、助手席から降りようとした。すると、右手を運転席の編集長から、そっと握られた。
「今日は…ありがとう。また明日、な」
 静かに微笑んで言った。今まで、見たことのない編集長の表情だった。
「はい、また明日」
 ななみも意識をして笑顔をつくった。これくらいしか、できることがなかった。
 遠ざかっていく、編集長の車を見送りながら
< 18 / 24 >

この作品をシェア

pagetop