すみっこ屋敷の魔法使い
魔法の練習は簡単ではなかった。
モアは魔法の基礎はわかってはいたものの、花の魔法に関しては完全に初心者である。いちから勉強をすると時間がかかるもので苦労した。
しかし、なんとか「枯れた花を蘇らせる魔法」と「花の美しさを保つ魔法」を覚えたのである。
魔法を会得したモアは、ひいひいとしていて達成感すら抱けないくらい疲れてしまっていた。勉強詰めの日々はやはり大変だ。
ようやくモアが魔法を使えるようになったとき、再びウルリクを屋敷に招待した。その手には、あの薔薇の花。枯れ始めてはいるが、やはり――美しいな、とモアは思う。
「ようこそ、ウルリクさん! さっそく、魔法を使ってみましょう!」
「ああ、よろしくたのむよ」
「はい。では、花をこの子に渡してもらえますか?」
この子、と言ってイリスはモアの肩をぽんと叩く。ウルリクはにっこりと笑って、モアに薔薇の花を差し出した。
モアはドキッとしてしまう。
この花に――私は触れてもいいのだろうか、と。
しかし、差し出された花を受け取らないわけにもいかず。モアはドクンドクンと冷たく高鳴る鼓動を感じながら、そっと花を手に取った。
魔法は、使える。魔法はたくさん勉強した。早く魔法を使って、この花をウルリクに返そう。そう思って、モアは魔力を花に込める。
ふ、と星々が瞬くような光が弾ける。ふわっと光は薔薇の花を包み込み、そして。薔薇の花は呼吸をするようにふわっと花弁を広げた。枯れかけてしぼんでいたところも、みずみずしく、真っ赤に染まる。
モアの手の平のうえで。
「あ――」
声を上げたのは、ウルリクだった。
蘇った薔薇と共に、ウルリクの思い出も蘇る。
――親が決めた結婚だった。
ウルリクと、その妻。
出会ったときこそは相容れなかったが、ウルリクは格好だけはつけたくて薔薇の花と共にプロポーズをしたのだ。
『まあ、おまえが、おれと結婚したいかどうかは知らんけど。そういう流れだから。結婚してくれ』
『あら、なんてひねくれたプロポーズなのかしら。ふふ。よろしくお願いしますね』
赤い薔薇と共に、二人の男女は夫婦となった。
けれども、どうせ捨てられると思っていたその花を、妻は大切にしていた。枯れない魔法を必死に勉強して、魔法を使ってまで。
妻は、その薔薇を生涯大切に持っていた。
花が時を刻むように、ウルリクと妻の時も刻まれていった。薔薇の花は、夫婦の二人のかたわらに、そっと佇んでいる。二人の子どもが生まれたとき。子どもが大人になって、結婚式をあげたとき。子どもが二人のもとを去ったとき。孫が生まれたとき。再び二人だけの生活がやってきたとき。
ずっと、寄り添っていた二人。
亡くなる直前――妻は言う。
『この花をもらったとき、本当はすごく嬉しかったのよ。恥ずかしくて、言えなかったけれど』
どちらも、素直になれない結婚だった。けれども、幸せな結婚だったのだ。小さな幸せを、花を育てるように、少しずつ芽吹かせていた。
――そんな思い出が、ウルリクの心のなかで回り出す。
薔薇の花を光が包んで。きらきらと、薔薇は輝いた。これでもう、枯れることはないだろう。永久に、大切な思い出と共に生き続ける。
「ウルリク様。薔薇に魔法をかけました。これで――」
魔法をかけ終わり、モアは薔薇の花をウルリクに返そうとした。薔薇の花ばかりを凝視していたモアは、そこで初めてウルリクの表情に気がつく。
ウルリクは、涙ぐんでいた。
え――どうして?
モアに、ウルリクの感情を理解することはできなかった。
けれども、「ありがとう」と何回も何回も言って薔薇の花を受け取り、そして抱きしめるウルリクの姿に……なぜか、モアの瞳にも涙がにじむ。
ウルリクは、最後まで「ありがとう」とモアに言っていた。屋敷を出る、そのときまで。
残されたモアは、呆然と彼が消えた扉を見つめる。そして、ぽろ、と宝石が転がり落ちるように涙の雫が落ちた。
「……イリス。なぜ、ウルリク様は泣いていたのですか?」
「モアはなんで泣いているの?」
「わかりません。この涙はなんなのでしょうか」
「知っているかい、モア」
イリスはモアの前に立つと、先ほどまで薔薇の花が置かれていたその手を握る。
「人は、嬉しいときにも泣くんだ。きみの手は、ウルリクさんの大切な大切な薔薇を蘇らせた。けれど、それだけじゃない。ウルリクさんの大切な思い出を蘇らせたんだよ。ウルリクさんは、泣くくらいに嬉しかったんだ」
「……」
モアはゆがむ視界のなか、自分の手を見つめる。ぱたぱた、と涙が手の平に落ちた。転がる涙はぱしゃりと弾けて、光を反射する。
不思議。
この手は、穢いものなのに。
あの美しい薔薇の花を永久のものにして、そして、ウルリクの心を咲かせた。
「モア」
イリスがモアの手を両手で包み込む。そして、
「がんばったね」
と笑ってくれた。
きゅ、とモアは唇を噛む。
私は、穢いものなのに。どうして、イリスはこんなことを言うんだろう。イリスは、優しいのだろう。
手に触れないでほしいと思うのに、彼の手が温かくて。そのまま握っていて欲しくて。心がぐしゃぐしゃになって、わけがわからなくなって、ぼろぼろと涙があふれ出てくる。
「うう、っ……う、……」
ねえ。私、穢いの。イリスは知らないだろうけれど、すごく、穢いの。
それなのに。
「ふふ、モアは俺の一番弟子にしてあげる!」
おどけて笑う貴方は、私の手を握る。
私の手は、貴方の手に包まれて。ほのかな熱をたたえて、小さなたからもののようにそこにある。
教えて、イリス。
どうして私は、今この瞬間、私の手を愛おしく思えるの。
モアは魔法の基礎はわかってはいたものの、花の魔法に関しては完全に初心者である。いちから勉強をすると時間がかかるもので苦労した。
しかし、なんとか「枯れた花を蘇らせる魔法」と「花の美しさを保つ魔法」を覚えたのである。
魔法を会得したモアは、ひいひいとしていて達成感すら抱けないくらい疲れてしまっていた。勉強詰めの日々はやはり大変だ。
ようやくモアが魔法を使えるようになったとき、再びウルリクを屋敷に招待した。その手には、あの薔薇の花。枯れ始めてはいるが、やはり――美しいな、とモアは思う。
「ようこそ、ウルリクさん! さっそく、魔法を使ってみましょう!」
「ああ、よろしくたのむよ」
「はい。では、花をこの子に渡してもらえますか?」
この子、と言ってイリスはモアの肩をぽんと叩く。ウルリクはにっこりと笑って、モアに薔薇の花を差し出した。
モアはドキッとしてしまう。
この花に――私は触れてもいいのだろうか、と。
しかし、差し出された花を受け取らないわけにもいかず。モアはドクンドクンと冷たく高鳴る鼓動を感じながら、そっと花を手に取った。
魔法は、使える。魔法はたくさん勉強した。早く魔法を使って、この花をウルリクに返そう。そう思って、モアは魔力を花に込める。
ふ、と星々が瞬くような光が弾ける。ふわっと光は薔薇の花を包み込み、そして。薔薇の花は呼吸をするようにふわっと花弁を広げた。枯れかけてしぼんでいたところも、みずみずしく、真っ赤に染まる。
モアの手の平のうえで。
「あ――」
声を上げたのは、ウルリクだった。
蘇った薔薇と共に、ウルリクの思い出も蘇る。
――親が決めた結婚だった。
ウルリクと、その妻。
出会ったときこそは相容れなかったが、ウルリクは格好だけはつけたくて薔薇の花と共にプロポーズをしたのだ。
『まあ、おまえが、おれと結婚したいかどうかは知らんけど。そういう流れだから。結婚してくれ』
『あら、なんてひねくれたプロポーズなのかしら。ふふ。よろしくお願いしますね』
赤い薔薇と共に、二人の男女は夫婦となった。
けれども、どうせ捨てられると思っていたその花を、妻は大切にしていた。枯れない魔法を必死に勉強して、魔法を使ってまで。
妻は、その薔薇を生涯大切に持っていた。
花が時を刻むように、ウルリクと妻の時も刻まれていった。薔薇の花は、夫婦の二人のかたわらに、そっと佇んでいる。二人の子どもが生まれたとき。子どもが大人になって、結婚式をあげたとき。子どもが二人のもとを去ったとき。孫が生まれたとき。再び二人だけの生活がやってきたとき。
ずっと、寄り添っていた二人。
亡くなる直前――妻は言う。
『この花をもらったとき、本当はすごく嬉しかったのよ。恥ずかしくて、言えなかったけれど』
どちらも、素直になれない結婚だった。けれども、幸せな結婚だったのだ。小さな幸せを、花を育てるように、少しずつ芽吹かせていた。
――そんな思い出が、ウルリクの心のなかで回り出す。
薔薇の花を光が包んで。きらきらと、薔薇は輝いた。これでもう、枯れることはないだろう。永久に、大切な思い出と共に生き続ける。
「ウルリク様。薔薇に魔法をかけました。これで――」
魔法をかけ終わり、モアは薔薇の花をウルリクに返そうとした。薔薇の花ばかりを凝視していたモアは、そこで初めてウルリクの表情に気がつく。
ウルリクは、涙ぐんでいた。
え――どうして?
モアに、ウルリクの感情を理解することはできなかった。
けれども、「ありがとう」と何回も何回も言って薔薇の花を受け取り、そして抱きしめるウルリクの姿に……なぜか、モアの瞳にも涙がにじむ。
ウルリクは、最後まで「ありがとう」とモアに言っていた。屋敷を出る、そのときまで。
残されたモアは、呆然と彼が消えた扉を見つめる。そして、ぽろ、と宝石が転がり落ちるように涙の雫が落ちた。
「……イリス。なぜ、ウルリク様は泣いていたのですか?」
「モアはなんで泣いているの?」
「わかりません。この涙はなんなのでしょうか」
「知っているかい、モア」
イリスはモアの前に立つと、先ほどまで薔薇の花が置かれていたその手を握る。
「人は、嬉しいときにも泣くんだ。きみの手は、ウルリクさんの大切な大切な薔薇を蘇らせた。けれど、それだけじゃない。ウルリクさんの大切な思い出を蘇らせたんだよ。ウルリクさんは、泣くくらいに嬉しかったんだ」
「……」
モアはゆがむ視界のなか、自分の手を見つめる。ぱたぱた、と涙が手の平に落ちた。転がる涙はぱしゃりと弾けて、光を反射する。
不思議。
この手は、穢いものなのに。
あの美しい薔薇の花を永久のものにして、そして、ウルリクの心を咲かせた。
「モア」
イリスがモアの手を両手で包み込む。そして、
「がんばったね」
と笑ってくれた。
きゅ、とモアは唇を噛む。
私は、穢いものなのに。どうして、イリスはこんなことを言うんだろう。イリスは、優しいのだろう。
手に触れないでほしいと思うのに、彼の手が温かくて。そのまま握っていて欲しくて。心がぐしゃぐしゃになって、わけがわからなくなって、ぼろぼろと涙があふれ出てくる。
「うう、っ……う、……」
ねえ。私、穢いの。イリスは知らないだろうけれど、すごく、穢いの。
それなのに。
「ふふ、モアは俺の一番弟子にしてあげる!」
おどけて笑う貴方は、私の手を握る。
私の手は、貴方の手に包まれて。ほのかな熱をたたえて、小さなたからもののようにそこにある。
教えて、イリス。
どうして私は、今この瞬間、私の手を愛おしく思えるの。