プルメリアと偽物花婿
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 水曜日の十九時前。
 私は山田さんのオフィスの前に立っている。戦闘モードでいつもよりもかっちりとしたスーツとヘアメイクにしてしまった。
 こういうところが可愛げがないんだろうけど、今日は気をしっかり持っていたい。

 ちなみに心配した和泉も近くに待機している。
「話し合いをして逆上されて暴力沙汰になったりしたらどうするんですか! 男性の力には適いませんよ!」とのことで。
 山田さんの柔和な顔を思いだすとDV男だとはとても思えなかったが、彼には婚約破棄という前科もある。信用ならない男なのは間違いないので、同行してもらうことにした。
 といっても、基本的には私と山田さんだけで話をして、万一のことがあった場合だけ和泉が出てくることになっている。

 山田さんの会社が入っているビルは、あまり規模は大きくなく入口は一つで見逃すことはなさそうだ。
 人が出てくるたびにいちいち緊張しては、違ったと肩の力を抜く、の繰り返しだ。
 
 山田さんの怒った顔を一度も見たことがない。それはそこまでの関係だったからかもしれない。私だって怒ったことは一度もなかったし。というか、激しく心が乱されたこともなかった。
 この年になると誰かと全力でぶつかり合うことなんてほとんどなくて。面倒なことはなるべく避けている。
 なのにこうして面と向かって、決別しに行く必要なんてあるのだろうか。
 山田さんは私を見てどんな表情をするのだろう。何度も想像しても答えは見つからないまま。緊張から手に汗がじっとりと滲んでくる。
 
「あ――」

 出てきたのは、間違いない。少し猫背であまり足を上げずに靴を擦るような歩き方は山田さんだ。

「山田さんっ!」

 上ずった声が躍り出た。山田さんはビル内から呼ばれたと思ったのか、後ろを振り向いている。

「山田さん!」

 私は彼の正面まで小走りで移動した。山田さんは前を向き、視線の中に私を捉えると――へにゃりと笑った。

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