青春は、数学に染まる。

挨拶


14時前。


お父さんとお母さんと私の3人はリビングで待機していた。
お母さんは他所行きの服装…。お父さんは、スーツ!?


2人とも何だかソワソワしていて、私も緊張がピークになってきた…。


 ピンポーン


「来られたわよ…」

私は玄関へ向かい、扉を開ける。
後ろからお母さんもついてきた。



「こんにちは、藤原さん」
「わざわざ来てくれてありがとうございます」

手始めに挨拶をしていると、後ろからお母さんが声を上げた。

「え、この間の早川先生…!」
「お母様、ご無沙汰しております」



そういえば、そうだった。
私がお母さんに内緒で学校をサボった日、早川先生はうちに来てお母さんと話していたのだった。


「想像もしていなかったわ…。まぁ、先生どうぞ。お上がりください」
「はい、失礼致します」



今日の先生は学校で見る通りの姿。ビシッと締めたネクタイに、黒色のスーツ。そして、七三分けの前髪といつもの眼鏡。軽く唇を噛んでいる早川先生の表情には、緊張が(にじ)んでいる…。



リビングに入り先生の姿が見えると、お父さんは急いで立ち上がった。

チャラチャラしたような人なら問答無用で追い返すと言っていたが…多分、お父さんが想像した以上に真面目な見た目をした人。口をぽかんと開けたまま固まってしまった。



「ちょっと、お父さん! ご挨拶!」
「あ、あぁ…すまない、拍子抜けしてしまって…。…どうも、父です。えっと…よくいらっしゃいました…?」

ぎこちないお父さんが面白くて少し頬が緩む。
先生は真面目な表情を崩してはいなかった。


「お初にお目にかかります。真帆さんの学校で数学教師をしております、早川裕哉と申します。この度はお時間を頂戴致しまして、誠にありがとうございます。そして、真帆さんから僕との関係をお聞きになった上で、お宅へお邪魔させて頂けましたこと、深くお礼を申し上げます」

綺麗なお辞儀(じぎ)に思わず目が奪われる。
お父さんとお母さんは…かなり動揺していた。

「あぁ…えっと…。どうぞ、お掛けください…?」



何だか面接みたい。
4人がそれぞれ席に着く。


空気が重すぎて心配だ。どうなることやら…。












早川先生が家に来て、3時間が経った。
3時間。まさかそんなに長くなるなんて。



「母さん!ありったけのお酒を持って来てくれ!」
「飲み過ぎよ!!」


しかも、お父さんと先生はお酒を飲んでいる。
先生は車で来ているからと最初は断ったが、家が近くだと知ると、なら大丈夫! 帰りはどうにでもなる! とお父さんが言い出した。先生も負けたみたい。


実際、堅苦しく会話をしていたのは最初の30分程度。
お父さんもお母さんも先生の誠実さを見込んで、私と先生のお付き合いを認めてくれた。


教師と生徒なんて…本当は殴って追い返さないといけないのだろうけどね、とお父さんが言った時は、先生の頬に一筋の汗が流れたが。



「先生…お酒飲めるのですか? 無理しないで下さい」
「全く問題ありません。こう見えて、ザルです」

ザル?
いくらでも飲めるということかな?

お酒のことが分からないし飲めない私はやっぱり高校生なのだなと実感する。




お父さんは気分が良くなっているのか良く喋っている。さっきまでは何だったのかと思うほど。

「早川くんは29歳か! 若いな!」
「最初先生と聞いた時、私たちより年上かと思っちゃって。焦ったの」
「ふふ、流石にご両親より年上だとまずいですね」

先生がそう言うと皆が笑った。



良い空気。
良かった。2人が先生のこと認めてくれて。

これが早川先生じゃなくて伊東だったら速攻追い出すのだろうな…と頭の片隅で思う。
早川先生の人柄もあるのだろう。


「真帆さん、数学が得意では無いのです。ご存知かと思いますが、高校最初のテストからずっと赤点です」
「あぁ、勿論知っているさ…。昔から数字がダメなんだよな…」
「うちの数学科は赤点者に補習を行うことと定めています。真帆さん、常連でして。そのうち、数学補習同好会を発足する運びとなったのです。部員は真帆さんだけで顧問は僕ともう1人いるんですけども」
「真帆ったら、帰宅部に入ってゴロゴロするって言っていたから丁度良いと思うわ。勉強した方が良いもの」

ここには誰1人味方がいないようだ。
私は先生にアイコンタクトを出した。いらないこと言わないで。

先生は首を傾げながら小さく手を振った。…違う! そうじゃない!




結局お父さんと先生は盛り上がって…。夜ご飯まで食べた。
お父さんとは初対面だったのに、かなり打ち解けたようだ。

「裕哉くん! またいつでも遊びに来なさい!」
「お父様、お母様、本当にありがとうございました」

先生はタクシーを呼んでいた。車は近くの公園に停めているから、また時間を見て取りに来るらしい。

お父さんはもう先生のことを名前で呼んでいる。むず痒いような嬉しいような…そんな気持ちでいっぱい。

「裕哉くん、真帆のこと頼むよ。わしらは、君を信頼しているからな」
「はい、ありがとうございます。僕は教師なので、どうしても真帆さんを不安にさせることが起こるかもしれません。ですが、必ず真帆さんを幸せにすることをお約束します」

結婚挨拶か。そう突っ込みたくなるような酔っ払い2人の会話。
そう思いつつ、先生の言葉に涙が出そうになった。


「真帆さん」

小さく手招きをして私を呼ぶ。

「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」

先生は優しく抱き締めてくれた。いつもの先生の匂いに混じってお酒の匂いがする。


早川先生は大人の人だと、改めて実感した。


「また明後日、学校でお会いしましょう」
「はい、先生。ありがとうございました」



タクシーに乗り込んだ先生は、私たちが見えなくなるまで手を振り続けていた。


「…真帆。裕哉くん、良い人だな。大変な道だと思うけれど、それも真帆が選んだ道だ。わしら、勉強面はそんなに心配していないよ。数学以外の点数が90点以上なのは真帆の努力があってこそだから。相手が “先生” なら大丈夫だと思うけど。今後も継続して、頑張れよ」
「…うん。…ありがとう、お父さんにお母さん」
「早川先生に数学見て貰っているなら、いずれ数学の点数も伸びるかもね」



お父さんとお母さん、2人とも頭を撫でてくれた。



本当に、良かった。






 
部屋に戻りベッドに寝転がると、一気に疲労が押し寄せて来た。
さっきまでの時間が夢みたい。



安心した私はそのまま眠りについた。







 

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