岩泉誠太郎の結婚
 会社への誤解は解けたが、社内の噂は止めようがなかった。

 彼女を直接知る同僚達は多少の疑問を残しつつも噂を聞き流しているようだったが、他はそうもいかない。

 彼女は社内のそこかしこで冷たい視線を浴び続け、ことあるごとに陰口を叩かれ、嫌がらせを受けた。

 俺との関係は人事部で公表を止めてもらったはずだったが、噂がひとり歩きを始め『彼女がしつこく言い寄っている』という形で広まっている。しつこく言い寄ってるのはむしろ俺の方なのに、その噂のせいで彼女に直接抗議する者までいるらしい。

「人の噂も四十九日、ですよ?」

 ‥‥それをいうなら七十五日だ。こんな間違いに気付かない彼女ではない。平気そうな顔をして大丈夫だと笑う彼女だが、無理をしているのは火を見るより明らかだ。限界は近い。

 あんなにしあわせだったのに‥‥俺にならまだしも、彼女への攻撃は絶対に許せない。一刻も早く犯人を捜し、俺の手で叩きのめしてやる。

 ‥‥‥‥送信元の端末さえ判明してしまえば、あとは芋づる式であっという間に犯人までたどり着いた。

 犯人は澤田やよい。彼女にそそのかされてこの件に関わった数名は、人事に報告してきつく処分するよう、副社長名義で通達を出した。

 澤田やよいは父さんに渡された見合い写真の内のひとりで、澤田薬品のご令嬢だ。

 うちと昔から取引のある企業だが、業績不振が続いて数年前から合併が検討されていた。俺と娘の結婚で少しでも好条件での合併にしたいという意図があまりにも透けていたので、父さんの条件を満たすには丁度いいかもしれないと思い、啓介を三枝社長に紹介するのと同時進行で、澤田薬品についての調査も進めていた。

 俺と娘の結婚で利を得るのは澤田薬品ばかりで、三角側には特にメリットがないように思えた。つまりは澤田薬品と合併して技術力の恩恵さえ受けられれば、父さんの条件をクリアしたことになる。

 結局、啓介のおかげで澤田薬品の調査は中断したが、俺が関わらないというだけで合併自体がなくなったわけではない。

 古くからの付き合いもあるので、結婚がなくてもそれなりに緩い条件での合併になると予想されていた。

 ‥‥だがしかし、である。

 歴史ある企業をたった数年で傾けさせたぼんくら社長の娘なだけあり、みてくれだけの頭からっぽ令嬢が、後先も考えずにとんでもないことをしでかしてくれたのだ。
< 24 / 30 >

この作品をシェア

pagetop