婚前どころか、フリですが ~年下御曹司?と秘密の溺甘同居~
「恥ずかしながらあのころの僕は、周りからのプレッシャーに押しつぶされそうになっていました。しっかりしなければ、良い結果を出さなければ、認めてもらわなければ、と。 その焦りから仕事でミスをした時、小春さんが言ってくれました」

遥太も、私でさえも聞き入ってしまう。翔くんが紡ぐ言葉は、この場を凌ぐための作り話にしてはリアルで、その時の翔くんの気持ちが痛いほど伝わってくるようだ。

「泣きたい時は泣けばいい。無理して笑わなくていいって。 かっこいいと思いました。僕にはそれがすごく嬉しくて、悩みも不安も吹き飛んだ。それからも、小春さんはいつも温かくて、気がついたら好きになっていて、今はこの世の何よりも大切な存在です」

それは演技にしては重たくて、心にずっしりと響くものだった。翔くんが広報部に配属されてから最初の数ヶ月を思い出す。表情が硬いのは緊張しているからだと思っていたけれど、彼の抱えるものはそれだけじゃないのかもしれないと気づいたのはいつだっただろう。今ならなんてことない、いや、いまならしないような小さなミスで、この世の終わりみたいに落ち込んでいた時があった。声をかけても、大丈夫です、と弱々しく笑うから余計に心配で。思わず言ったのだ。

『無理して笑わなくても大丈夫だよ。ここには私しかいないし、先輩の前でくらい泣いたっていいんだから! ほら、胸、貸しますよ!』

結局翔くんは泣かなくて、でもちょっとだけ目に涙を浮かべながら笑っていた。それは無理やりじゃなくて、今みたいに無邪気で屈託のない眩しい笑顔。初めて彼の気持ちがちゃんと伝わった気がして嬉しかったのを覚えてる。翔くんもそれを覚えていて、しかもそこが彼の私への想いの始まりだったなんて思いもしなかったけれど。

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