ようこそ、片桐社長のまかないさん

9 お祭りへ行こう

「えっと……今日は航さんにご用事でしょうか? あいにく今仕事で出ておりまして」

結婚の約束と、そう言った彼女は広く薄暗い玄関には似合わない程に派手で、この屋敷にいると合成のようだと思った。

「ええ、航さんがお仕事中なことくらい分かっていますよ? お忙しい方だから」

そう言うと彼女は手で口元を隠しながら笑った。

(じゃあ、一体何の用なんだろう。)

内心そう思っていることが顔に出ないよう、私も必死に口角を上げて微笑んだ。

「一昨日、父がこちらの家政婦さんに失礼なことをしてしまったそうで。そのお詫びに参りました」

ああ、そうなのかと、彼女の父という言葉を聞いて絶望に似たものが自分の胸の中にドンと落っこちたのを感じた。

先ほどまでは、航さんに執着し現実と妄想が入り混じったメンヘラ女の可能性も捨てきれないと思っていた。

でも違った。この派手な女は漁業組合長の、県漁連会長の、航さんの父親が大変お世話になった人の、航さんの大事な仕事相手の、娘なのだ。

「家政婦さんはあなたお一人? もしかして父がホステスのように扱ったという方はあなたかしら?」

そう言って、彼女は私を上から下へ品定めするように眺める。

「賄は私一人ですが、ホステスのように扱われてはいません。ただお隣に座ったのでお酌をしただけです」

自分の声がいつもより低く小さいことに気が付いたけれど、顔面を微笑ませておくことで精いっぱいでこれ以上感じ良くすることは困難だった。

「そうなの? 航さんがそのようなことをおっしゃったと父から聴いたのだけれど。違ったのなら良かった」

ホッとしたように彼女は胸に手を当てて息をついた。そしてクスり、と笑った。

「そう……よね。倉木さんとおっしゃいました? その……とても素朴でいらっしゃるものね。とてもホステスというかんじではないものね」

……ホステスに見えなくて結構。と思った。

初対面で飾りっ気のない家政婦だなと言い放った父親とよく似た感覚をしている人なのだなとぼんやり考えた。

「あの……申し訳ありません、私仕事中でして。なにか言伝を承りましょうか?」

これがなんの時間なのかよく分からなくなってきて、努めて朗らかな表情でそう言った。

「いえ。お気遣いなく。おばあ様にはご挨拶したかったけれど、お忙しいでしょうしこれで失礼します」

「そうですか」

「……ねえ、倉木さんはおいくつなの?」

失礼すると言ったじゃないかと思いつつ「25です」と答えた。

「あら、同じ歳だわ。これからぜひ仲良くしてくださいね。また遊びに来ます」

そう言い残すと、彼女はピンヒールをカツカツ鳴らしながら去って行った。

ドラマのお嬢様役をそのままくり抜いたような出で立ちの人だった。25歳。同い年。

航さんの、婚約者。

30分ほどすると女将さんが帰ってきた。

組合長の娘さんが、一昨日の組合長の粗相を謝りに訪ねてきましたとだけ伝えた。

すると女将さんは食材を取り出そうとしていた買い物袋から顔を上げて空を見つめ固まった。

「それで? 凛ちゃんはなんて?」

「え? いえ、私はただお酌しただけで失礼なことなんて何もありませんでしたとお答えしました」

「そう。ありがとう。他にはなにか言っていた?」

女将さんと目が合わない。

「いえ……。女将さんに挨拶をしたいけれどお忙しいでしょうからと帰って行かれました」

女将さんはこちらを見ないまま微笑んでまた買い物袋に向かった。

「留守番ありがとうね。凛ちゃんは休憩しておいで。夕ご飯の仕込みも大体終わったでしょう?」

「はい。……じゃあ、ちょっと隣のカフェに行ってきます」

そう言うのと同時に私はエプロンを脱いでお台所を出た。つんのめりそうになりながら靴を履き玄関扉に肩をぶつけながら屋敷を出た。



「漁業組合の組合長さんって、明菜さん知ってますか?」

身震いがするほど寒い雨の午後3時。カフェにお客さんは居なかった。

「もちろん。柏崎さんでしょ? この町じゃ名士よ。今県漁連の会長やってるんじゃなかった?」

流石、詳しい。

明菜さんとは週に二、三度こうしてカフェを訪れてはたわいのないおしゃべりをする仲になっていた。

「一昨日の夜、お酒を飲みに来ました」

「へえ。そういや何ヶ月か前にも飲みに来たって玲奈ちゃんが愚痴ってたよ。よっぽど社長のこと気に入ってんだね」

「やっぱり偉い人なんですかね」

「偉いっていうか、ね。あの人の弟と従兄弟は市議会議員やってたりさ。代々漁師の家系で昔からここの漁港を取り仕切ってたり、ね」

明菜さんが作ってくれたラテのマグカップを両手でそっと包む。

「娘さんがいるって、知ってますか?」

「柏崎さん? ああ、あの溺愛してる娘ね。よく高級車で運転手つきで高校に通ってたって噂されてたな」

「明菜さん良く知ってますね」

「柏崎さんもスナックの客だったからね」

明菜さんはピンクのリップが指につかないように慎重に人差し指を立てて、「内緒よ?」と言った。

「で? あんたはなんでそんな浮かない顔してるわけ? 社長と何かあった?」

明菜さんはカウンター内の片づけをしながらそう訊いた。

「航さんと、しました」

「なにを?」と、明菜さんは出しっぱなしにしていた牛乳を冷蔵庫にしまいながら訊いたと思ったら、答えを聞く前にぎょっとしてこちらを見た。

「あ、そう。え? そうなの? ついに? へえ、ちょっと、想像すると鼻血出そうなんだけど」

珍しく明菜さんは興奮した様子でなぜかうっすらと顔を赤くして言った。

「え? どうだった? とか聞いてもいいの? ちょっとやだ、仕事にならないじゃない」

と明菜さんは冷蔵庫を乱暴に閉めて戻ってくると私の顔を覗き込んだ。

「って、そんな浮かれた感じじゃないわね、あんたは。なに? 抱かれたくなかったの?」

明菜さんは暖簾に腕押しな私のテンションを見て興奮を一瞬で引っ込めた。

「抱かれたかったです」

「じゃあ、なんでそんなんなってんのよ」

……航さんの会社の従業員である明菜さんに婚約者のことを勝手に話してしまっていいのか分からなくて口を噤んだ。

(いや、違う。)

言えなかった。婚約者なんて、言葉にするのが嫌だった。私よりこの町にも漁港にもずっと詳しい明菜さんが、しかたない、と言ったら? それは諦めるしかない、と言ったら? 私はどんな顔でそれを聴く?

「ぽっと出の私なんかが……結ばれるはずもない相手だったんだなって改めて思って」

そう言うのがやっとだった。

「えぇ? どうしたのよ。そんなことないでしょう。確かにすごい人ではあるけど。だって社長はあんたのこと好きなんでしょう?」

「私、航さんに好きって言われたことなんて一度もないですよ」

そうだった。そうだ。だからずっとずっと自信が持てなかったんだ。例え体が結ばれても。

涙が勝手に流れてきた。明菜さんの困った顔が視界の中で滲んでいく。

「……大人だから。そんなこと言わなくても分かってくれてるって思ってるだけじゃない?」

明菜さんの声がとても優しく響いて、頭を撫でてくれる手もとても暖かかった。

「そうだと……いいな」

そう言って必死で笑った。



[side航]

市内で会っていたのはこの県に三つしかない百貨店の一角、三松屋のバイヤーだった。

来春の催事でうちの加工品を取り扱うことは既に決まっており、今日は最終打ち合わせだった。

今回の催事を機に地下の高級スーパーでの取扱いが決まりそうだった。

田舎の百貨店とはいえ、三松屋は都内にも二店舗展開している老舗だ。取引が決まれば大きい。

打ち合わせを終え、帰りに時間を合わせて玲奈を学校まで迎えに行き、玲奈の友達にギャーギャー騒がれながら玲奈を回収して帰路についた。

助手席で、玲奈は凛のことばかり話した。

「凛さんってさ、メイクするとすごく可愛くなるね。仕事してた時はちゃんとお化粧してたんだって。東京ではモテたんじゃない?」

「……もう凛に化粧するの禁止な」

「嫌だよ。なんで航ちゃんがそんなこと決めるのよ。凛さんは私のだからね」

「なんでだよ」

いつの間にか玲奈は凛を気に入り、姉のように慕っていた。散々敵視していたのが嘘のように。

カフェの市松(いちまつ)さんとも凛はいつの間にか仲良くなったようで、楽しげにカフェカウンターで話しているのを店の外から見かけたことがある。

本来気難しいはずの女将とも凛は難なく馴染み、すぐに信頼を勝ち取っていた。

夕食を食べにくる独身社員たちとも打ち解けるのは早かった。あの大人しい響とすら凛は当たり前のように砕けた会話をする。

凛の魅力を感じているのは、俺だけではないのだ。

凛は環境さえ整えばもっと広い世界で羽ばたける人間だ。実直さと素直さ、強さと優しさが様相にも声色にも言葉にもにじみ出ている。

なにより、自分の不利益を顧みず人の為に正しいことができる人間は貴重だ。『信頼』ほど共に仕事をする上で重要なものはない。凛はそれを当たり前のように持っていた。

凛は人としての魅力度がとても高い。

凛がいるべきなのは、あの家のような狭い世界ではないはずだ。東京へ戻って凛の良さを潰さない人材レベルの高い職場さえ見つかれば、凛は確実に躍進する。

分かっている。

それは、分かっていた。けれど。

「航ちゃん、またブツブツ言ってるよ。それ凛さんの前でもやってる? 引かれない?」

「凛の前では考え事どころじゃない」

「なにそれ。あ、そうだ。私、今年の末祭(まつまつり)は凛さんと行くから」

ああ、末祭。また組合長と濃密に絡まなくてはならない行事が今週の土曜にせまっていた。

「凛は家から出さない」

「それ、おばあちゃんから事情聞いたけど、いい加減可哀想よ。軟禁状態じゃない」

「何かあってからじゃ遅いだろ」

「何もないわよ。この一ヶ月何もなかったんだから。お祭には航ちゃんも行くんだし、漁港の人だらけだし、大丈夫よ」

軟禁、という玲奈の言葉に心臓がジワジワと痛んでくる。

「……玲奈と凛だけでは行かせられない。響に帯同してもらうことが条件」

「……なんで?」

「若い女二人じゃ危ないからだろ」

「……私も凛さんも可愛いもんね」

自分で言うなよと思いつつ、それを自覚しなくてはいけない程に危ない目にあってきた玲奈を気の毒にも思う。

「祭の日は凛に化粧するなよ」

「いーやーだー! 絶対するもん」

こうなると、どう止めても俺がいない隙に凛に化粧をするだろう。困った従妹だ。

「ねえ、航ちゃん。この大きい封筒なに? ……リサーチ社?」

玲奈は助手席のドアポケットに入れておいた封筒をいつの間にか引っ張り出して眺めている。

「こら。勝手に見るな」

封筒をひったくって後部座席に投げると、町までの長い一本道をひたすらにアクセルを踏み込んだ。

今日は夕食に間に合った。最近は間に合わない日が続いていた。

凛の仕事ぶりと食べっぷりを見るのが好きだった。玲奈の学校から飛ばしてきたかいがあった。

凛は夕食の準備から食事中、食べ終えて片づけをするまでずっと良くしゃべり良く笑っていた。

「空元気……」

玲奈がそんな凛を見てぼそりと呟いていた。俺も同じ印象を持ったけれど、一昨日酔って積極的に夜を過ごした後から凛はずっとおかしい。

まあ、あれは。

断片的に覚えているのなら数日引きずったとしても不思議ではない。

俺からしてみればただただご褒美タイムだったけれど。そうは言うまい。そしてもう二度と飲ませまい。

思い出すだけで鼓動が早くなるくらいだ。可愛くてどうしようもない。あの甘えたな凛……。

と、気が付くと今夜も凛の白い肌をはみ、真っ赤に湿らせ恥じらう表情を眺めながら愛撫をしていた。

事務的な仕事を急いで終わらせて部屋に行くと、凛は風呂から出てきたところだった。

今日は早く帰ってきてくれて嬉しいと、そう俯きながら言うので風呂に入ることも忘れて凛に夢中になっていた。

最中、凛は涙を滲ませた。酔っていた一昨日も初めての時もなかったことだった。

「凛? 奥、痛い?」

弾む息を落ち着かせながら訊くと、凛は慌てて首を横に振った。

「ううん。気持ちいい。嬉し涙だよ」

そう言って涙を一筋こめかみに伝わせた。

俺が涙の筋を唇でなぞると、凛は歯がゆそうにして小さな唇を寄せキスをせがんだ。



[side凛]

航さんは、私を一日おきに抱いた。

抱いた次の夜は決まって全身にキスをして、私の体を弄り倒し満足したように眠りについた。

私は盛りの付いた猫のように、本当は毎晩航さんに抱かれたかった。抱かれていると一時的にでも不安が薄れるようで。

散々優しい愛撫をし尽くしようやく入眠モードになった航さんには、何度キスをしても、体をぴったりとくっつけても、足をもじもじとさせても、「いい子で寝ろ」と抱きしめられるだけだった。

疲れ果てているはずの航さんに、これ以上なにを求めているのかと、一人で恥ずかしくなるのは毎度のことだった。

(……結婚の約束ってなんなんだろう。)

抱かれた日も抱かれなかった日も、航さんが先に寝てしまうと決まってそのことを考えた。

航さんはまだ26だ。東京で仕事をしていたら結婚なんてまだまだ考えない歳だろう。

(……結婚の約束ってなんなんだろう。)

ストレートに考えたら、航さんを気に入りブレーンのように信頼を寄せている組合長が娘を嫁にするよう約束させたといったところだろうか。

この田舎の漁港という特殊な町では、二十代で親の権力によって結婚を決められるというドラマのような話があってもおかしくないと思った。

何歳になったら結婚をするとか、航さんの会社がどうなったら結婚するとかそういう約束がなされているのかもしれない。

それはどのくらい先のことなのだろう。本当に二人が結婚をすることになったら、私はここにいていいはずがない。

航さんはどう考えているのだろう。

そもそも本当に組合長が決めた結婚なのだろうか。本当に?

私は、航さんにとってどういう存在なのだろう。

見た目にそぐわないスピースピーという航さんの可愛い寝息が私の前髪を揺らす。

(……結婚の約束って、なんなのよ。)



「やだ、凛さん寝不足でしょう。肌が大荒れだよ」

この地域では年の瀬に神輿を引き、熊手を売る年末祭が年間の一大行事であると女将さんが教えてくれた。

今日はその『末祭』の日で、朝から女将さんも航さんも従業員たちも祭の準備に狩り出されていた。私も昨日の夜、大量のおにぎりと炊き出し用の味噌汁の仕込みを手伝った。

私は玲奈さんにお祭へ一緒に行く約束を半ば強制的にされ、こうして今日も午前から化粧を施されていた。

「凛さんの取り柄は綺麗なお肌なのに。勿体ない」

玲奈さんがそう言うので、下地を塗られた頬を撫でてみるとザラザラとした嫌な感触がした。

「長い髪もなくなっちゃったし、綺麗な肌もなくなったらほんとに航ちゃんに捨てられちゃうよ?」

玲奈さんはイタズラに笑いながら私の肌にパウダーファンデーションを乗せる。

そう言えば、あの組合長の娘は長くてサラサラな髪に、白く透き通った陶器のような肌をしていた。

「捨てられちゃったら、出て行かなくちゃね」

居間の掃出し窓からお庭の木々を見ながらそう言った。玲奈さんはぎょっとして、詰まらなそうな顔をした。

「冗談だよ。どうしたの? 出てくなんて言わないでよ。大事な練習台が居なくなっちゃったら困るじゃない」

「ああ、ごめん。でも、十分すぎるくらいお給料ももらえてるし、年が明けたら近くに部屋を借りようかなとも思ってて」

「なんで? 朝早いし夜も遅いんだから、ここにいたらいいんだよ」

出て行って! と啖呵を切っていた一か月前の玲奈さんが懐かしく思えて、少し笑ってしまった。

「でもなぁ。大人だからな。ちゃんと自立しないと。ね」

私が折れずにそう言うと、玲奈さんは頬を膨らませてなにか言いたそうにする。そんな表情も可愛くて、私はスマホを取り出しバシャバシャと玲奈さんのふくれっ面を撮った。

「何よ、やめて」

「いや、可愛すぎてつい。響君に見せたくなって……」

と口を滑らせると、玲奈さんはスンと表情を無にして私を睨んだ。

「なんで響が出てくるのよ。見せたら怒るからね」

「いや、だって今日お祭に一緒に行くんでしょ?」

「仕方ないじゃない。航ちゃんが女だけで行くなって言うから……」

相変わらず航さんは玲奈さんを守ることに一生懸命だなと思った。

「響はどうでもいいけど、末祭楽しいよ。的屋がたくさん出て、お化け屋敷もあるんだよ」

そう、と私はアイシャドウを塗られながら答えた。

久しぶりに外に出るのは楽しみだったけれど、末祭は漁業組合が自治会と一緒になって開催する祭で、町の若い人は皆参加すると明菜さんに聞き、行きたくないと思ってしまった。

あの組合長は確実にいるだろうし、おそらくその娘もいるだろう。

「響君のこと、どうでもいいなんて言っちゃダメだよ玲奈さん。大事な存在でしょう? そんなこと言ってると、私今日響君と仲良くしちゃうよ」

先ほどのお返しにとからかうと、玲奈さんは急に表情をそぎ落として化粧ポーチを漁る。

「別に。響が凛さんと仲良くしようがどうでもいい」

素直じゃないなぁと思いながら、その後は大人しくマスカラを塗られた。

今日は玲奈さんがワンピースを着て行くからお揃いにしたいとせがまれ、仕方なく航さんに貰ったワンピースを着ることにした。

上着も航さんがくれたファーの付いた白いコクーンコートを玲奈さんが選んだ。

今日は髪の毛も短いなりにセットしてくれ、編み込みのアップ。鏡を見ると自分じゃないような気がしてくる。

何をしても肌は綺麗にならないし、サラサラのロングももう戻ってこないというのに、何を着飾っているのだろうと、玲奈さんの部屋の全身鏡を見てぼおっと考えてしまった。



お昼前に響君がやってきて、三人で出かけた。昼から夜までのお祭だそうだ。お昼ご飯はお祭で食べるらしい。

海の近くを通って町はずれの山林にある神社に向かう。もうすぐ冬至を迎え風が肌に刺さる程冷たいというのに、海は温かな陽にキラキラと光っていた。

小学生の夏休みをここで過ごした。砂浜の奥にある岩場でいつも夕陽を見た。

お祖母ちゃんの家に預けられていた私は、一日のほとんどをここで過ごした。

私と同じく遠くから遊びに来ていた、おきな君と知り合ったのもこの岩場だった。

久しぶりに屋敷から出て歩いたからか、沢山の人の流れに乗って町を歩いたからか、あるいは海が眩しすぎてか、ぐるぐると眩暈がした。

舗装された急な上り坂を上っていくと、木々に囲まれた鳥居が見えてきた。

「玲奈ちゃん? 久しぶり。ああ、響君も。元気? あ、そのお姉さんは?」

先ほどから玲奈さんと響君はいろんな人に声を掛けられていた。同級生と思しき人たちや私は会ったことのない航さんの会社の人たち、漁港の人たちがひっきりなしに絡んでくる。

玲奈さんも響君も綺麗だから仕方がない。中には明らかに玲奈さんに気のある男の子と響君に会うことを目的に祭に来たのだろうと思える女の子もちらほらといた。

玲奈さんも響君もどうでも良さそうに適当な挨拶をして、足を止めることなくズンズンと境内に向かって歩く。

「そういえば、二人の幼馴染ってあと五人いるって言ってたよね? その子たちは来てないの?」

鳥居をくぐり参道を歩きながら訊ねた。

「三人は上京してるの。まだ学校が休みに入ってないし今年は年末まで戻ってこないつもりみたい。あとの二人は……どうだろう」

玲奈さんは口ごもり、そのまま歩調を速めて進んでしまった。チラリと響君を見ると、玲奈さんの後ろでこっそりと耳打ちされた。

「一人はこの前、玲奈に告白したんです」

「ええ?」と大きな声が出そうなのを抑えつつ驚いた。

「それでフラれたので気まずくて今日は来ないと思います。もう一人は女子ですが……玲奈と喧嘩中です」

「喧嘩? どうしてまた」

「さあ。俺には教えてくれないので分かりませんけど」

人ごみの中で立ち止まって顔を寄せ話していると、玲奈さんが振り返った。響君が来てからここに来るまで決め込んでいた玲奈さんの無表情が揺らぐ。

「コソコソなによ……」

「なんでもないよ」と駆け寄るも、玲奈さんはまたスタスタと行ってしまう。

これは。……なにかが変わりつつある予感がする。

ようやく境内に辿り着くと、大きな船の形をした神輿が置かれていた。これを担いでこの山中から海岸沿い、漁港までを往復するらしい。

境内の中に所狭しと張られたテントの一つに、見知った顔が集まっていた。航さんの会社のテントだ。

「あら、お昼に間に合ったわね。凛ちゃんもいらっしゃい」

女将さんがテーブルにおにぎりを並べているところだった。

「私、今日は本当にお手伝いしなくて大丈夫だったんでしょうか」

「もちろん。今日はお祭楽しんでちょうだい」

「ありがとうございます。……あの、航さんは」

テントには従業員らしかおらず航さんの姿はなかった。

「あいさつ回りよ」と女将さんが言って、視線の先を追うと航さんがいた。足袋を履いて、長いベンチコートを着込んでいる。もしかして、神輿を担ぐのだろうか。

(あ……。)

対面のテントでおじさんたちに囲まれている航さんの隣には、組合長と……。

「あれ? あの航ちゃんの隣にいるのってもしかして組合長の娘?」

私が気が付くと同時に、玲奈さんがそう声を上げた。女将さんが「そうじゃないの」と答える。

航さんの隣でハンドバッグをちょこんと持ち、この間とは違ったバラの柄のワンピースをコートの裾から覗かせた、サラサラロングストレートの、女。

やはり、居た。会ってしまった。二度と顔も見たくなかったのに。
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