龍神様のお菓子
 颯爽と去っていった昴の背中を見送ると、夢香も足早に次の教室へと向かう、時間はそれなりに余裕があるとはいえA棟からB棟へ移るには結構な距離がある。

『早めに出てきてよかった』

 昴と出会った渡り廊下を抜け、B棟の階段をおりながら呑気にそんなことを考えていると、曲がり角で誰かと正面衝突した。

「っ!?、ごめんなさい…」

「いいよ、別に」

慌てて顔を上げた夢香は一気に青ざめる。

「龍青さん…」

「よお、昨日バイト辞めたんだって?」

「え?」

 一茶から聞いたのだろうか、龍青はニコニコと微笑みながらこちらへじりじりと近づいてくる。

「えっと…、はい。その、短い間でしだが、お世話になりました…」

夢香は変な汗をかきながら何とか言葉を捻り出す。

「一応、一茶さんと桜さんには…」

「は?俺が店長なんだけど?」

明らかにキレているー。

「ってかさ、二日で辞めるとか酷くない?仕事舐めてんの?」

 龍青は夢香を壁際へと追いやると右手をついて逃げ場をなくす。所詮壁ドンと言われるやつだが状況的に全くときめくことができない。

「龍青さんのご意見はごもっともですが…、私にはちょっと続けられそうにないなーと」

必死に言い訳を探す夢香に龍青は深くため意を吐いた。

「何が駄目だった?、制服?金?それとも人間関係?」

「いえ、どれも申し分ないです。ただ雰囲気的なもので…」

夢香は目を逸らして答えると、龍青は「んだよ、雰囲気って…」とようやく壁から手を離した。

「まさか、俺のせい?俺のこと嫌い?」

「え?」

 少し悲しそうに質問する龍青に夢香は何故か動揺する。

「べ、別に、嫌いじゃ…」

「じゃあ、好き?」

「いえ、それは…」

 出会ってまだ日も浅いと言うのに何故そんな質問をするのだろう?

夢香は戸惑ったように、教科書を握りしめる。

嫌いではないー。

でも好きな訳でもないー。

 そんな事わかりきっているのに、何故かその回答を選びたくない自分がいる。

「よく…、わからないです」

「…」

 どうして、そんな回答をしたのだろう。揶揄われているだけなのに…、咄嗟に口から出た言葉は肯定でも否定でも無かった。暫くの沈黙に夢香はギュッと瞳を閉じる。きっと思い切り笑われて馬鹿にされるに違いない。
 沈黙に耐えかねた夢香がいい訳の一つでも言おうとしたその時、

「まぁ、そうだよな…、変なこと聞いて悪い…」

龍青から紡がれた言葉は意外にも謝罪の言葉であった。

 驚いた夢香はゆっくりと顔をあげる。そこには口元に手を当て、恥ずかしそうにそっぽを向く龍青の姿があった。まだ夕方でもないというのに、耳はほんのりと赤く染まっている。

「えっと…」

 一体何が何だか、どう言う状況なのか、夢香は急に恥ずかしくなる。

「まぁ、その何…、俺さ見てわかる通り口悪いし、態度でかいし、馴れ馴れしいからさ、そう言うところが嫌になったのかなって心配になったんだよ…」

珍しくしおらしい態度に、夢香は余計に恥ずかしくなる。

「い、いえ!龍青さんは口は悪いですが、私をナンパから救ってくれましたし、試食の場所も教えてくれる優しい人です!」

「それって褒められてるってことでいいんだよね?」

夢香の言葉に龍青は少し複雑そうな表情をする。

「と、とにかく!龍青さんも一茶さんも桜さんも、椿庵の皆さんはとってもいい人です!」

「じゃあ何で辞めんだよ…、俺ちょっと傷ついてんだけど…」

 夢香の思いに龍青は頭を抱える。正直、椿庵なんて店を構えたり、可愛い制服を作ったりしたのは他ならぬ夢香の為、
夢子の生まれ変わりである夢香の為なのだー。
 生まれ変わった夢香と一緒にたいという己の欲を満たすために、敢えてこんな学生にまでなっていることに自分でも驚かされる。昔の龍青がここにいたら、さぞかし爆笑しているに違いない。

「それは、なんていうか、仲間はずれ感を感じてしまって…」

「仲間はずれ感?」

夢香の言葉に龍青は首を傾げる。

「はい。皆さんとっても仲が良さそうで、私だけなんかよそ者みたいな感じで、当然といっちゃ当然の事なんですけど、何かそれがちょっと寂しくて…」

前世の無意識が関係しているのだろうかー。

 龍青を含め一茶と桜は人間ではない。はるか昔から生きる神様の部類である。彼らは当然、昔からの顔見知りであり、仲もそれなりに良い。そして、その輪の中心にはいつも夢子がいた。名前も姿も少し違いはあるが、同じ魂を持つ夢香がそう感じてしまうのもおかしくは無い。

「そうか…、気づかなくって悪かった」

 普通であればそこまで気にするような事ではないが、きっと無意識の下で夢子の魂が寂しさを感じてしまったのかもしれない。

「いえ、龍青さん達のせいじゃありませんし、私が勝手にそう感じてしまっただけで…その…」

「じゃあさ、こうしねぇ?」

慌てる夢香に龍青は一つの提案をする。

「この前面接して欲しいっていってた小鳥遊昴をウチで雇ってやる。お前らは二人で好きな時間に出勤してくれればいい。もちろん、働いた分はちゃんと給料も払う。なんなら小鳥遊以外も連れてきていいぜ?その代わり多くてもあと二人くらいな、あと出来れば静かな女な」

「え、でも」

「はい、決まり!じゃ、小鳥遊君に宜しく。あ、来る時は一応俺のメッセージに連絡入れといて」

 パチン!と掌を叩くと、龍青はどこから取り出したのか、マジックペンで夢香の掌に連絡先の番号を書いた。

「念の為、スタンプかなんか送っといて、ちなみに女の子から聞かれても教えんなよ。俺の連絡先超貴重だから」

「いや、ちょっと…」

「んじゃ、俺帰るわ」

「待ってください!龍青さ…」

目を逸らした一瞬の隙に、龍青は魔法のように姿を消した。

「もう!勝手に決めないでよ!」

 夢香は誰に怒るでもなく、廊下で一人叫ぶ。
どうやら、まだアルバイトは辞められないらしい。
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