時は全てを奪うけれど
初恋
 憧れの姉の服を纏った絵里は、上機嫌で大好きな祐也に腕を絡ませて歩いている。
「祐也さんとデート、嬉しいな!」
 無邪気にはしゃぐ絵里に、祐也は複雑な思いで微笑んだ。

 祐也は、誰にも話していないが、中学生の頃からずっと、樹里と付き合っている。一途な彼は、樹里以外の誰か…などと考えたことは一度もない。
 樹里も祐也も、黙っていても人目を引くが、性格的に目立つことを好まず、互いにこの交際のことを友達にすら打ち明けずに居るのだ。
 それほど、樹里だけを想っている祐也が何故、樹里の妹である絵里と、こうしてデートしているのか。

 あれは、つい先日のこと。
「最低で最悪なお願いを聞いてくれる?」
 幼い頃から、いつも親を気遣い、妹を守り、祐也に対しても決してわがままなど言ったことのない樹里が、一体何を?と祐也は思った。
「俺には、わがまま言ったっていいんだよ。むしろ、言ってくれたほうがいい」
 祐也がそう言うと、樹里は瞳を潤ませながら、
「ありがとう。絵里とデートしてほしいの」
「え?」
 言っている意味が理解できず、祐也は怪訝そうに樹里を見つめ返す。
「ちょっと、言ってる意味がわからないんだけど…」
「絵里はね、祐也のことが好きなのよ。気づかなかった?」
「全然!もしそうだとしても、どうして絵里ちゃんとデートしてくれなんて言うんだよ」
「絵里が長生きできないってことは知ってるでしょう?」
「まぁ、それは…」
「もうそろそろ、危ないみたいなの…」
 そう言うと、樹里は、ずっと堪えていた涙をぼろぼろ溢し、慟哭し始めた。
 二人は長い付き合いだが、こんな樹里を見たのは初めての祐也は、どうにか樹里を宥めようとしたが、樹里は、いくら早熟とはいえ、まだ高校3年生の少女にすぎない。
 一方、絵里は支援学校中学部の1年生だが、その無垢な心は、実年齢より更に幼い。大人になれないまま死を迎える運命の絵里本人も、当然つらく怖いことだろう。
 しかし、幸か不幸か、絵里が果たして“余命”だとか“死”というものを理解できているかは曖昧だ。むしろ、嫌と言うほど理解している姉の樹里のほうが、妹の死に怯えている。
 どんなに怯えていても、それを家族の前でも、友達の前でも圧し殺し続け、ついにその限界が来たのだ。
 これまで、涙一つ見せたことのなかった樹里が、幼い子供のように泣きじゃくるのを見て、祐也は、
「わかったよ。それが樹里の本望なら…。だけど、嫌じゃないの?俺が絵里ちゃんとデートするなんて」
「嫌に決まってるわよ。もし、絵里が健康だったらね…」
 甘えられる相手が誰もいない上に、ただひたすら妹のことだけを想う樹里を救えるのは、もう自分しか居ないと感じた祐也は、この滅茶苦茶な願いを受け入れることにしたのだ。
 樹里への愛情ゆえに、絵里とデートすることが、正しいとか間違っているとか、そんなことは敢えて考えないようにした。

「デートってどういうところに行くの?」
 絵里が無邪気に問うので、祐也はまたしても戸惑ってしまった。
「そうだなぁ…絵里ちゃんは何処に行きたい?」
 祐也にしても、樹里同様、いくら大人びていても、まだ高校生であり、恋愛経験も樹里だけなので、スマートなエスコートなどできない。
「んー…あっ!動物園!」
「いいよ。じゃあ動物園に行こうか」
 動物園に着くと、その余命いくばくもない体が大丈夫か心配になるほど、絵里は大はしゃぎだ。
「絵里ちゃん、もうちょっと落ち着こうね」
「はーい」
 意外と素直に、祐也の言葉に従う絵里。
 とても、もうすぐ死んてしまうようには見えなかったものの、幼い頃から知っている絵里が、もうじき旅立ってしまうのかと思うと、祐也だって切なくもなる。
 そして、絵里の隣に居ながら、本当は別の相手のことを…ましてや姉の樹里のことを考えてしまっていることを、心の中で詫びた。
(なんで、よりによって俺だったんだろう?)
 祐也は、やるせなくなった。祐也には弟が居るので、もし好きな相手が弟だったなら、こんなややこしいことにはならなかった。
 しかし、人の心というもの自体、ややこしく出来ているのだ。
 帰りの電車の中で、はしゃぎ疲れた絵里は、祐也の肩にもたれて眠っていた。
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