恋愛下手の恋模様

立ち聞き


今月は規模の大きな全体会議が予定されていて、下っ端の私たちまでもがその準備のために毎日残業続きだった。

ようやく資料用のデータが出そろったのは、会議の前日。

私は、コピーと併せてそれを取りまとめる作業を任された。

けっこうなコピー量になりそうではあったが、作業自体は単純だし会社のコピー機は性能もいい。久しぶりに今日は早く帰れるかもしれないと、小さな期待を抱いた。

データを出力しようとして、私はコピー用紙の在庫がふと気になった。

途中で足りなくなったりしたら面倒だ。念のため、少し余分に準備しておこう。

そう思った私は台車を引っ張って、同じフロアの最も奥まった場所にある、皆んなが「倉庫」と呼ぶ場所へ向かった。

分厚い自動ドアを入ったところにもう一つ扉があって、そこを入ってすぐの棚に、文房具の類や資材などの在庫が置いてある。さらに奥にも扉があって、その向こう側には過去の資料などの書類が保管されていた。

足を踏み入れた倉庫の中は、しんとしていた。床一面には毛足の短いカーペットが敷かれていて、靴音が吸収される。私以外、人の気配がしない倉庫の中は非常に静かだった。

その静寂に、声を出すのがはばかられる。私は心の中でつぶやいた。

――A4のコピー用紙は、っと。あ、あった。

その棚は一番奥にあった。その近くまで台車を寄せようと考えた私は、一度扉の所まで戻ろうとした。

その時微かな話し声が聞こえた。

私は反射的に背後を振り返った。

誰かが入ってきた様子はなかった。この部屋は廊下のいちばん奥まった所だから、ここに用事がある人しかまず来ない。今、この部屋にいるのは私だけのはずだ。

そうだとすると、先客がいたのだろうか?

私は耳に神経を集中させようと、息を潜めた。

あぁ、確かに――。

奥の部屋の方で、ぼそぼそと話し声がしていた。それは多分、男性と女性の二人。

人けのないこの部屋で、一体何を話しているのだろう。

私の中で好奇心が頭をもたげた。だが、この場から早く離れた方が良さそうだと思った。すべてがそうとは思わないが、仮に人目を忍ぶような秘密の匂いのする場面に遭遇してしまったのだとしたら、見ざる聞かざるがいちばんいい。

そこで私はできるだけ静かに注意深く、そろそろとコピー用紙の箱を台車まで運んだ。数回の往復の後、ようやく最後の箱に手を伸ばした時だった。

私がいる方へ移動したのか、彼らの声が先ほどよりもはっきりと聞こえた。

「遼子さん、ご結婚おめでとうございます」

その声と言葉に、私はその場で固まった。

「ありがとう、山中君」

そして、遼子さんの声が答える。

山中、”くん”…?

心臓の鼓動がうるさいくらいにどくどく言い出した。私は胸を押さえながら息を殺し、壁にピタリと体を寄せた。

穏やかな男性の声は言った。

「遼子さんのその相手が、俺じゃなかったのがとても残念です」

そのセリフを聞いた瞬間に、私はあの夜のことを理解した。すとんと腑に落ちたような思いがした。彼――補佐のあのつぶやきはやはり、遼子さんのことを言っていたのだ……。
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