恋愛下手の恋模様
「岡野さん、待って!」

補佐の声に反射的に振り向いた時、彼の手が私の手首をとらえた。

予想外だった彼の行動に驚いて、私はその場に固まった。掴まれた手首から彼の体温が伝わってくる。そこから、うなじの辺りに甘やかでぞくぞくと痺れるような感覚が走り、どきりとする。力強い彼の手を自力で解くことができない。私は戸惑いながら、補佐を見上げた。

そんな私の視線に気づき、彼は我に返った様子を見せてその手を慌てて離した。動揺したのか両の瞳を揺らしながら、彼は謝罪の言葉を口にする。

「いきなりごめん、つい……。大丈夫?痛かったよね。すまない」

「いえ、痛くはありませんが、驚いてしまって……」

私は彼に掴まれていた自分の手首を、もう片方の手でそっと覆った。
  
これまでの短い間、補佐のことを直接知る機会は数えるほどしかなかった。そんな中私の目に映る彼は、いつだってスマートで颯爽としていて、穏やかだけど冷静な表情と態度を崩さない人だった。だから、まるで真逆のような、熱を感じる行動はとても意外に思えてどきどきした。

私はおずおずと訊ねた。

「どうか、されたのですか?」

彼はためらうような表情をちらと浮かべたが、すぐに穏やかな顔に戻るとこう言った。

「もう少しだけ、つき合ってくれないか」

「え?」

聞き間違えたのかと聞き返す私に、補佐はもう一度ゆっくりと言った。

「俺の酔い覚ましに、つき合ってもらえないかな」

「酔い覚まし、ですか……?」

その誘いを嬉しく思いながらも、私はすぐには頷けなかった。

少しでも長く、補佐と一緒にいたいと思っているのは本当だ。けれどこれ以上傍にいれば、より強く彼に惹かれてしまうことが予想できて怖かった。

そんなことを考えていた私の沈黙を、補佐は「否」と解釈したようだった。やや不自然さを感じる明るさで短く言った。

「今のは忘れて」

「いえ、あの……」

「帰ろうか」

補佐は場の空気を変えるように口調を切り替えると、タクシーを探して通りに目を向けた。

しかしその背中が目に入った瞬間、私は弾かれたように顔を上げ、言ってしまった。

「私で良ければ、お付き合いします」

「えっ?」

驚いたような顔の補佐に、私は言う。本当は彼の傍にいたいだけーーその本心を隠して。

「心配なので……。ご自分では自覚がないようですが、補佐、酔っていらっしゃいますから」

「本当に、この前ほど飲んでいないんだよ」

「いいえ」

と、私は強い口調で返した。

「確かにこの前ほどの量ではないと思いますが、絶対に酔っていらっしゃいます。そうでなかったら……」

私をあんな風に引き留めたりはしないだろうーー。

その言葉を飲み込み、表情を揺らす私に彼は訊ねた。

「そうでなかったら、何?」

「いえ、なんでもありません」

その視線から逃げて、私は顔を逸らした。

補佐の顔に訝しむ表情が浮かんだ。けれどそれ以上は追及しようと思わなかったようだ。彼は私を促して歩き出す。

「近くに公園があったはずだから、そこまで行こう」

「はい」

周りから私たちはどんな関係に見えるだろう――。

考えても仕方がないことが、ふと頭に浮かぶ。苦笑しながらそれを振り払って、私は補佐の後を追った。
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