繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
「和菓子、用意しておくね」
「ほら、そうやって動く。座ってて」
「奈江ちゃんがよく来てくれるからうれしいのよ」
「ほんとう?」

 奈江は誰かに必要とされる人生経験が少ない。母は不器用な奈江をうとましく思っていたし、引っ込み思案の性格では、学校の先生からも、職場の上司からの評価も低かった。そんな奈江を父や兄は静観しているだけで、何を言うわけでもない。こんなふうに存在を認めてくれるのは、昔から康代ぐらいだった。

「本当よ。奈江ちゃんが楽しそうにしてると、おばさんもうれしいの」
「楽しそう?」

 ほんの少し、面食らう。楽しいなんて感情、奈江はどこかに忘れてきたと思っていた。

「そうよ。ほら、この間、吉沢らんぷさんから帰ってきたあなた、すっきりした顔してた」
「そうかな」
「いつもそうよね。高校生のときだって。大野に来ると、いい顔するの」

 思ってもない言葉にますます戸惑うが、康代の言葉は素直に受け止められる。

「大野が好きなのかもね」
「いつでもいらっしゃいね。迷惑じゃないからね」

 迷惑だと思って消極的になる奈江の性格を見抜いているから、康代はそう言うのだろう。母親よりも、自分を見ていてくれるのだと思う。

「じゃあ、夜ごはん、食べていっていい?」

 そう言ってみて、自分が驚いた。奈江は誰かに甘えるのが苦手だ。それに康代も気づいていて、優しい笑顔を見せる。

「煮びたし、一緒に食べようね。奈江ちゃんが与野さんちに行ってる間に、もう一品作っておくから」
「だから、座っててって」

 あきれて、笑ってしまう。こんなふうに屈託なく笑えるのも、康代の前だけだ。
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