繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
***


「賢太がさ、明日、吉沢らんぷに来てくれることになったから、早坂さんもおいでよ」

 そう秋也から電話があったのは、金曜日の夜だった。

 仕事に疲れて帰宅したばかりだった奈江は、電話に出るのも億劫だったのに、秋也の声を聞いたら、ふしぎと胸が高鳴るのを感じていた。しかし、それ以上に彼の声は優しくて、癒される。

 どういうわけか、らんぷやで見たビンテージランプの光が思い出された。彼はまるで、黄昏だ。穏やかで優しい黄昏色のぬくもりを持った人。そばにいると感じるだけで癒されるって、本当にあるのだと思う。

 初めて秋也に出会ったあの日以降、横前駅で彼を見かけた日はない。あの日はたまたま横前駅にいたのだろうか。もう一度会えたらいいのに、と日々を過ごしていることも、胸の内だけの出来事だ。

「早坂さん、聞こえてる? 来られそう?」

 返事をしないから、秋也が困ったように尋ねてくる。

「あっ、はい。行けますっ」

 あわてて言うと、彼はくすくす笑った。

 ぼんやりしてたって気づかれたのだろう。至らないところを見ても、あきれたりしないで楽しんでくれる彼は、奈江にとって貴重な存在だ。

「じゃあ、午後2時に吉沢らんぷで」

 翌日も、前日の最高気温を更新しそうなほど暑かった。残暑だというのに、暑い日が続いている。

 来月には、秋の風が吹くだろうか。その頃には康代の足も治るだろう。困りごとがないのに頻繁に訪ねれば、彼女も気をつかう。気をつかわせるのが苦手な奈江も、足が遠のくだろう。

 次に大野の駅を降りるのは、いつになるだろう。秋也に会うのも、今日が最後かもしれない。彼に対して、どんなに好印象を持とうとも、奈江は自分の魅力をわかっていた。
< 47 / 172 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop