Runaway Love

24

 結局、寝ている途中で傷が痛み出し、数時間おきに目が覚めてしまった。
 何かで気をそらしてみようにも、深夜や明け方にガタガタと物音を立てるのもはばかられてしまい、断念する。
 そして、ようやく、うつらうつらとしてきたと思ったら、すぐにアラーム。
 あたしは、げんなりとしながら、ベッドから起き上がった。

 ――……しっかりしなきゃ。

 あからさまに具合が悪い顔をしているのは、みんなに迷惑だろう。
 ゆっくりと動き出し、支度を始める。
 顔を洗おうとして、鏡を見やれば、目の下にはクッキリとクマができていていた。
 顔色も決して良いとは言えない。
 でも、なんとか、メイクでカバーするしかない。

 ――早川に、罪悪感を持たせたくないんだから。

 腫れている頬はマスクで隠すとして、腕は包帯の白が目立つ。
 結局、少し暑いけれど、長袖の紺のブラウスに長めのプリーツスカートで、どうにかしようと決めた。
 悩みまくったせいか、時間は既に、いつもの出勤時間を過ぎている。
 朝ご飯はパスして、お昼を――。
 そう思ったところで、自分の頬に手を当てる。
 ……これじゃあ、社食は行けないわね。
 まず、マスクを取れない。
 お弁当も無理だ。そもそも、まだ腕が痛くて作れない。
 あたしは、ため息をつき、棚を開ける。
 昨日、早川にもらったゼリー飲料や、岡くんが持って来てくれたものも残っている。
 入っていた袋のまま、乾物入れに一緒に突っ込んでいた物を手に取り、バッグに入れた。
 仕上げに洗面所の鏡を見ながら、マスクを調整し、どうにか腫れが隠れてくれる辺りまで直すと、時間は限界。
 急いで部屋を出て歩き出すと、腕の傷がまだ痛み、顔をしかめた。
 けれど、すぐに大きく息を吐く。

 ――……こんなものに、負けてたまるか。

 あたしは、いつも通りと、繰り返しつぶやき、会社まで歩いた。


 いつも以上に時間をかけて会社にたどり着くと、正面玄関を入ってすぐに、空気が変わった。
 出社していた社員の視線は、全員、あたしに向けられているのに、誰も何も言ってこない。
 それが、何を意味するのか――わかりたくはなかった。
 ロッカールームの方を見やれば、既に業者が入っているのか、工事をしているような音が聞こえた。
 ――そうか。昨日の痕跡を消すのか。
 当然だろう。傷害事件。しかも流血付きだ。
 あたしは、あらゆる方向からの視線を受けながらも、ロビーを通り、エレベーターホールを通り過ぎて階段を上る。
 こんな状況で、呑気に、密閉された箱の中に入っていられるはずもない。
 ゆっくりと上っていき、五階に到着した頃には、激しい息切れに襲われた。

 ――奈津美じゃないけど、アラサー、体力落ちてるわ……。

 少し――いや、かなりショックな現実を突きつけられて気分は落ち込んでしまうが、気を取り直す。
 今は仕事だ。年齢について、アレコレ考えている場合じゃない。
 あたしは、経理部の部屋のドアを開けた。

「――おはようございます」

 瞬間、全員が席を立って、あたしの前にやってきた。

「杉崎主任ー!大丈夫なんですか⁉」
「――ええ。ごめんなさいね、外山さん。怖かったでしょう」
 完全に不意打ちで、あんな流血場面を見たのだ。
 トラウマにでもなったら、大変だ。
 だが、外山さんは、涙目になって、あたしに抱きついた。
「何、言ってるんですか!怖かったのは、杉崎主任の方でしょう!!」
 思った以上に力を入れられ、左腕がズキリと痛む。
 一瞬だけ歪んだ顔は、野口くんに、あっさりと見とがめられた。
「外山さん、杉崎主任、ケガしてるんだから」
「あっ!す、すみません、痛かったですよね!」
 慌てて離れた外山さんは、頭を下げる。
「大丈夫よ。振動がちょっと響いただけ。痛み止めも飲んでるし、気にしないで」
「気にはするでしょう。大体、何で休まなかったんですか」
 野口くんが、そう言って、眉を寄せてあたしを見る。
「――でも、仕事にならない訳じゃないし……」
 すると、大野さんが、諭すように野口くんに続いた。
「杉崎、その姿勢は買うがな。仕事は、誰かが代わりにできるようになってんだよ。――けど、お前自身の代わりは、できないんだからな」
「そうですよ!あたしも、頑張りますから、休んでてください」
 外山さんの言葉に、野口くんもうなづく。
 
 ――……みんなの気持ちがありがたくて、あたしは、涙目になりそうなのを、ごまかすように頭を下げた。
< 107 / 382 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop