Runaway Love

68

 あたしが泣き止むのを待って、早川はドアに手をかけた。

「――さすがに、会社の人間がいるトコで、部屋に入り浸るのもマズイだろ」

「なら、そもそも、来ないでよ」

 その言葉に、あたしは眉を寄せて返した。
「バカ、少しでも一緒にいてぇからだろうが」
「――……うるさい、バカ」
 早川を見上げてにらむと、思い切り頭をぐしゃぐしゃに撫で回された。
「ちょっ……何すんのよ!」
「だから、この無自覚女!自分がどんな表情(カオ)してんのか、わかってんのかよ」

 その瞬間、野口くんが脳裏に浮かび、硬直してしまう。

 ――彼も、同じ事言ってた。

 そう思うと、胸がきしむ。

「――……おい、茉奈?」

「――……ご、ごめんなさい……大丈夫……だから……」

「大丈夫なカオじゃねぇだろ」
 早川はあたしをのぞき込むと、眉を寄せる。
「大丈夫なの!」
 勢いよく首を振り、否定する。

 ――大丈夫にならなきゃ、野口くんに合わせる顔が無い。
 ……あれだけ振り回して、傷つけたんだから――彼の想いを無駄にしたくない。

 そう思うのに、後悔している自分がいる。

 でも、あのまま関係を続けていれば――もっと、お互いの傷は深くなるに違いないのだ。

「――茉奈」
 頬に感じた温もりで、抱き寄せられた事に気づく。
「……ごめん……早川……」
「――いいから。……一人が良いなら、帰るし」
 あたしは、一瞬迷う。
 だが、ゆるゆると首を振ると、早川の胸に顔をうずめた。
 耳に届く鼓動が、心地よく、少しだけ気持ちは凪ぐ。

「――……ほんの少しだけで良いから……」

 やっぱり、あたしは、みんなの想いに甘えてばかりだ。

 ――だからこそ、真剣に考えないとなのに……心はそれを無意識に避けたがる。


 一番ズルいのは――あたしなんだ。


 時間にすれば、ほんの数分ほど。
 けれど、抱きしめてくれた早川の温もりを、離れる時には名残惜しく感じてしまう。
 あたしは、そんな想いを悟られないように、ゆっくりと早川から離れた。
「――……あ……ありがと……」
「本当に大丈夫か」
「……うん」
 すると、早川は、そっとあたしの頬を撫でた。
「――大丈夫じゃなきゃ、すぐに呼べ。せっかく隣になったんだ」
「……いいわよ。そんな風に、アンタの事利用する気なんて無いから」
「利用しろよ」
 間髪入れずに言い返す早川を見上げる。

「――忘れたいなら、忘れさせてやるから」

 真っ直ぐに見つめられ、あたしは、固まる。
 ――それは、抱いても良い、という意味に取れてしまうのに。
 
 ――でも、きっと、お互い後悔する。

 それだけは確かだ。

「――……いらない。……自分で乗り越えなきゃならない事だもの」

「――……そうか」

 あたしは、無理矢理笑顔を作り上げる。

「まあ、アンタも、あたしの事ばかりになっていないで、もっと、他に目を向けたら?」

 ――このままじゃ、いつかきっと――アンタに寄りかかってしまう時が来てしまう。
 それだけは、嫌だ。
 ――アンタとは、対等でいたい。
 仕事でも、プライベートでも――。
 それは、きっと、野口くんとも――岡くんとも、できない事だから。

 ――アンタは、あたしにとって、貴重な”仲の良い同僚”なんだから――。


「――茉奈」

 その言葉に、何かを感じ取ったのか、早川はあたしを引き寄せた。

「早川」

「――……まだ、答えは出てないんだろ」

「でも」

「――……頼むから……まだ……あと少しくらい、あがかせろよ……」

 早川はそう言って、あたしを抱きしめる腕に、力を込める。
 痛いくらいなのに――痛みは感じなかった。


 ――きっと、痛いのは、あたしよりも早川なんだから……。
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