Runaway Love
「――じゃあ、何かあったら、いつでも呼べよ」

「……ありがと……」

 しばらくの間、あたしを抱きしめていた早川は、ゆっくりと離れるとそう告げる。
 そして、あたしがうなづくのを待ち、部屋を後にした。
 あたしは、早川を見送って鍵をかけると、その場に座り込んでヒザを抱える。
 ――涙が止まらないのは、もう、あきらめた。

 自分と向き合う為に、他人(ひと)を傷つけるなら――そこに、何の意味があるんだろう……。

 あたしは、唇を噛む。

 何をどうしたって、誰かを傷つける。

 ――そんな風にできているなら、ウソで固めてしまえば、誰も傷つかずに済むんだろうか。


 ――そんな恋愛なら――あたしは、いらない。


 翌朝、早川と会う事もなく、出社する。
 さすがに道は、もう覚えた。

「――おはようございます」

 フロアのドアを開け、挨拶をすると、バタバタと人が行き交っている。

「おーう、おはようさん!」

 支社長が先陣を切ってバタついているせいか。
 あたしは、少々あきれつつも、経理部の部屋に向かう。
 その間も、挨拶を交わすが、気のせいか好奇の目で見られているような気がした。
「おはようございます」
「「お、おはようございます!」」
 部屋のドアを開け、既に席に着いていたメンバーに挨拶をすると、若干緊張気味に新人二人から返された。
「おはようございます、杉崎主任」
 すると、向かいの席に着いていた古川主任が、立ち上がってあたしの元にやってきた。
「今日から、新人二人の教育をお願いします。――私は、通常業務がありますので」
「わかりました」
 あたしがうなづくと、彼は再び席に戻る。
 だが、思い出したように続けた。

「ああ、それと、プライベートとはいえ、あまり目立つ真似は避けていただきたい」

「――……は?」

 淡々とした口調で、謂れのない言葉を投げられ、あたしは眉を寄せた。
「……どういう意味でしょう」
「杉崎主任の部屋から、朝早く、早川主任が出てきた、と、ウワサになっておりますが」
「――……っ……」

 ――昨日のアレか!

 あたしは、どう取り繕うか悩むが、それより先に古川主任は続ける。
「見かけたのは、朝、ランニングに出かけていた、同じマンションの社員だそうです」
「――そうですか」
「否定はしないんですね」
「――事実ですから」
 すると、一瞬で、新人二人の視線が好奇のそれに変わった気がして、心の中で苦笑いした。
「――ですが、早川は酔いつぶれた私を心配して、様子を見ていてくれただけですので」
「ありきたりな言い訳ですね」
「事実です。――ご期待に沿えず、申し訳無いですが、下世話な想像はおやめください」
 そう言い捨て、あたしは、バッグを机の上に置く。

「それじゃあ、始めましょうか」

 有無を言わさぬ圧を持って、できる限りの低い声で、あたしは新人二人に声をかけた。
 これ以上、妙なウワサが広まってたまるか。
 たとえ、SNSでやり取りされようが、態度は変えない。

 ――あたしは、あたしの仕事を全うするだけだ。
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